返答はない。花園に入ったに違いない。
似非関西弁を使う翔太は、関西人なのに標準語を使う夕みたいに、実は園芸を学ぶ目的や信念を秘めていたり――?
「へへへ、でっかいピンポンマムやなあ~」
「え、ちょっと。涎垂らさないでください」
特大の寝言。寝落ちただけだった。日誌の内容が頭に入ってこなかったとみた。やっぱり信念とかないな。枕にされている日誌を速やかに回収する。
「へあ、頭ぐきってしたんやけど」
「もう少し打っておいたらいかがですか」
「どーいう意味やー!」
起きてすぐ喚く翔太は放っておく。
特別な日誌の使い方は、おおむね把握した。引き続き花園での実習に励み、技術や知識に加えて花からの信頼もある、祖父のような園芸職人を目指そう。
(つか、オーパもこの日誌
ふと思う。あの日、祖父はミドルミストを追ってくれなかった。伝言もない。
夕はこれまで、不当に攫われた友だちを取り戻したい一心だった。でも花にも感情や意思があるとわかった今、ミドルミストにあのときどうして夕に助けを求めなかったのか聞きたい。十三年間さみしくなかったかも……。
世界三箇所にしか存在しない稀少種。夕にとっては唯一の友だち。
「そゆこと言うなら、もー日誌引っぺがすお約束してやらん」
自称友だちの翔太の反撃により、複雑な気持ちは霧散した。
日誌のこの仕様だけは解せない。確実にひとりで出入りできたら効率がいいのに。やむを得ず、素質を無駄遣いしているルームメイトのご機嫌取りをする。
「退院祝いに何か飲みますか」
「あわぢびーる。冷蔵庫入っとるやろ。翔太さんに付き合って夕も飲みや」
「……十代に飲ませて捕まるの翔太さんですよ」
翔太が拗ねながらにやける器用な変顔をする。夕は「いえ」とは言わないでやった。
映画のエンドロールのような夜の色が拡がる。
そこに春の始まりの陽が射し、ベッドで丸まるディモルフォセカの瞼を撫でた。小さな一年生はむくりと起き上がり、台帳先生に入学手続きしてもらうべく廊下に出る。
途中、甘やかでいてちくちく胸を刺す香りがして、別の部屋に吸い寄せられた。
誰もいない。そのうちに眠気に襲われ、二度寝する。
「こんなところで、何の夢を見ているの?」
どのくらい経っただろう。ディモルフォセカが瞼を持ち上げたら、髪の長い美花(びじん)に顔を覗き込まれていた。
「えっ、ノ、セラ先輩!? どうして、」
「どうしてって、ここはぼくが眠る部屋だよ」
オエノセラに微笑まれ、ディモルフォセカは真っ赤になる。迷い込んだのはディモルフォセカのほうだ。小さな口が勝手に動く。
「約束の、夢を、見ていたんです」
「どんな約束?」
一転して真剣に問われ、ディモルフォセカは弱りきった。首を横に振る。
オエノセラは目を伏せた。一瞬切なげな表情を浮かべたように見えたのは、指先から舞った優雅な花びらのせいか。
「君のこころに傷が残らなくてよかった」
「……は、い?」
「ううん。じゃあ、ぼくの話を聞いてくれる?」
オエノセラが吹っ切れた様子で、ディモルフォセカの隣に腰を下ろす。ディモルフォセカは小さな手で花弁をひとひら捉え、ぱあっと笑った。
「先輩の白は、ぐっすり眠れるシーツみたいにやわらかくてきれいな白ですね」