「ディモルフォセカは前生を思い出せないだけで、憶えていると思う。今生で見られなかった君の花を、『やわらかくてきれいな白』と断言したろう」
あの夜のやり取りを思い起こしたのか、オエノセラががばりと夕を仰ぐ。
根拠はもうひとつある。ゼゾン・ガルテンの月見草の区画に紛れ込んでいた、スプリングフラッシュ。
後ろで管理帳に記入中の台帳先生に尋ねる。
「昨秋か今春、ディモルフォセカがオエノセラの部屋に迷い込みませんでしたか?」
スプリングフラッシュは秋に種を撒く。ポッドで苗を育て、春に庭に植え付ける。そのどちらかのタイミングで、中途覚醒したのではないか。
「おや、よく知っとるな。まさに春先、なぜだかオエノセラくんのベッドで二度寝しておった。そうそうないことじゃがな」
台帳先生がぱらぱら音を立てて頷く。前生の感情の残滓に衝き動かされた、とも取れる現象の証言を取った。
今春のはじめ、オエノセラのベッドに明るい黄色の花びらを残したのは、ディモルフォセカ本人だ。
「憶えていて、くれたんだったら……」
オエノセラが、大胆な企みを仕掛けた割に「信じられない」といった顔でディモルフォセカを見つめる。正反対の、それでも、それゆえ、特別になった存在を。
気休めみたいなことを言うなんて、夕の柄ではない。でも話せるのはこれが最後で、今にも日誌を落としてしまうかもしれない。彼にも挨拶しよう。
「短い間だったけど、君たちには多くのことを学ばせてもらったよ。このあと眠るまで、悪さはしないように。次の春、ディモルフォセカと仲良く……ね」
「天の花園」のビレート(通行証)に手が届かなかった事実が思い出され、歯切れ悪くなる。
「え、もう卒業されるんですか? 歴代の教育実習の先生は、ひととおりの学期(きせつ)いらしたそうですが」
しかしいつもの調子で返され、今度は夕がオエノセラをまじまじ見た。
夕の早とちりで、再試で「
オエノセラがそう言えば、という顔で夕に寄ってくる。
「先生は十三年も約束を憶えていたんですよね。お友だちには会えましたか」
「いや、まだ……と言うか、ここにはいない。でも、忘れてないって信じてる」
痛いところを突かれた。むしろ十三年も掛かって、ミドルミストはもう夕を待っていないかもしれない。
そもそも一方的な誓いだ。それでも、会いたい。あれ以来帰っていないハノーファーの家に、一緒に帰りたい。
正直に答えたら、オエノセラもまっすぐ夕を見上げた。もはや試す色はない。
「ベンヤミン先生、お願いがあります」
花園で、生徒たちの信頼を得ること。それが特別な日誌の課題だ。だいぶ試行錯誤した末にそう結論づけ、「わかった。必ず」と引き受ける。
オエノセラは透明な湿布の下で、やりきったようにも、後悔しているようにも見える笑みを浮かべた。
〈オエノセラとディモルフォセカの三つ目の約束に立ち会い、「眠り」を確認〉
翌日の放課後、退院した翔太から「ガルテンで動けへんくなった」とショートメッセージが届いた。緊急連絡用に円生寺に教えた電話番号が、早くも漏洩したらしい。
酔っ払いの戯言なら無視だが、今日に限っては事故の後遺症の可能性がある。出窓での個人的な作業を切り上げ、ガルテンへ急いだ。
群青色の空の下、翔太がへたり込んでいる。ちょうど月見草の区画の前だ。大丈夫ですかと夕が確かめるより早く、腕を掴まれる。
「なあ、夕、イエローちゃん跡形もなくなっとる。なして? 腰抜けてもうた」
夕はこれみよがしに溜め息を吐いた。元気ではないか。顔の包帯も絆創膏に変わっている。
ならば容赦無用。似非七不思議絡みに終止符を打つべく、核心をつく。
「あなたがやっていないのに減ったのが、そんなに不思議ですか?」