「八月朔日氏は、貴殿の見舞いを熱望している。寮生の世話当番は小生がやっておくゆえ、心配要らない」
夕はアース・アイを眇めた。「見舞い来てや~」という似非関西弁が脳内に響く。
「結構しゃべれるんですか?」
「うむ、単独事故だし、軽傷だ。ただ念のため検査を受けねばならないとか」
想像と違った。ほっと力みが抜けるとともに、「何しょるんや」と呆れがふつふつ湧いてくる。夕の連絡先を知らないからと、円生寺の手を煩わすとは。
(私物の配置かて知るか。保険証は財布に入れとけ。そもそもバイクで飲み行くな)
どうにも気分が悪い。八つ当たりみたいに翔太の机の抽斗を漁った。
基本遊びに出ない夕は、自転車もバイクも持たない。使役できる生物もない。島内唯一の公共交通機関である循環バスに揺られ、島西病院の面会終了間際に滑り込む。
翔太は大部屋の白いベッドに、ちんまり横たわっていた。つい観察する。額と左腕に包帯。黙って目を閉じていると、意外に年相応に見える。
「八月朔日さん」
転んだ際にしっかり受け身を取ったおかげで軽傷と聞いたが、返事はない。傍らの丸椅子に腰を据える。
「八月朔日さん。……翔太さん」
翔太は三度目にぱちりと目を開けた。
「やぁっと名前で呼んだな、夕。名前呼び記念に、LINEのID交換せえへん?」
「何やってるんですか」
翔太がのしたり顔で笑う。夕は笑えない。むしろ非難する。
翔太は拗ねるかと思いきや、夕のシャツをひしっと掴んだ。
「それがな、誰そ彼時のサンセットラインを、おかんが歩いててん。確かめよ思たら転(こ)けて、おかんもおらんかった。霊かもしらん。解明してや夕ー」
夕は耳を傾けたのを後悔した。嬉しそうに絡んでくるな。
サンセットラインは島の西海岸に臨む県道だ。絶景目当ての観光客も多く、桜子に似た人がいたっておかしくない。と言うか、母親を生霊扱いはどうかと思う。
「馴染みの『おねえちゃん』のどなたかじゃないですか」
「あ? 転けたんは仕込みやないで」
とにかく見間違いだろうと、適当に流す。翔太は自演を疑われたと受け取ったのか、唇を尖らせた。ことごとく噛み合わない。
当たり前でしょう、見舞わせるために怪我するなんてあり得ない、と言い返そうとして、はっとする。
まさかオエノセラは、攫われたのではなく、何か目的があって攫わせたのか? 屋外を散歩しては、警報灯を注視し、制服の上着を脱いでいることもあった……。
バスを待つ間に読み返して反省しようと鞄に入れていた、日誌を見遣る。
課題はまだ終わっていない気がする。シューレで対処するだけでなく、花園の事件も収めきってこそ、ふたつの世界を行き来できる実習生の存在意義があると言えまいか。
翔太に視線を移す。彼に――自分と違う考え方の人間に、訊いてみようと思っていたことがあった。短く息を吸う。
「それより少々知恵をお借りしたいのですが」
「お~ええ響き、なんや言うてみ?」
翔太がぱっと顔を輝かせた。夕は表情を変えず、ディモルフォセカとオエノセラがそれぞれ口にした言葉を思い起こす。
「『自分には時間があまり残っていない』って、どういう状況だと思いますか」
「へあ? そりゃあれや、もうすぐ死んでまうんやろ」
翔太は一転痛ましげに、思いもよらない見解を示した。病室だからか説得力がある。
ディモルフォセカは幼くして命に限りがあるのか。それであんなに必死だった?
「では、『自分のことが今の自分にはわからない』の意味は?」
「んー、記憶喪失とかやない?」
またも夕にない発想だ。オエノセラがディモルフォセカを「まだ知らない」と言ったのは、思い出せないから……いや。ディモルフォセカも自分を「知らない一年生」と称した。
(一年生――もしかして。初対面やけど、初対面とちゃうってことか!)
夕の頭が冴えわたる。花園の青少年の一生も、現実の花に準ずるのだとしたら。
スプリングフラッシュは一年草だ。一年生とも呼ぶ。春に花を咲かせ、枯れる。
月見草は二年草で、種を蒔いて二度目の春に花を咲かせ、枯れる。
枯れることが、彼らにとっての「死」なのではないか。
次に咲くとき、属種ごとの容姿や性格はそう変わらずとも、記憶は引き継がない。だから「わからない」。夕と初対面時のオエノセラは、ふざけてなどいなかったのだ。
ただ、オエノセラの目的までは辿り着けない。結局叶ったのか? 叶っていないなら、安全に手助けしてやり、花園の秩序を取り戻したいのだが。
冴えたのは一瞬で、眉を顰めて考え込む。いっそオエノセラ本人から聞き出すか。
再試の仕上げは独力で遂行したい。「何の話?」と首を傾げている翔太に、知恵を借りたぶんだけ声帯を使ってやる。
「参考になりました。そろそろ失礼します。二十四時間何もなければ、脳震盪の心配なく退院できるそうですよ。では」
「ちょっ、さみしいやん、添い寝してやぁ~っ!」
これだけ元気に叫べれば問題ない。さくっと病室を出た。
待ちきれず、バス停のベンチで日誌を開く。
しかし周囲は薄闇のまま、何も起こらない。県道を行き交うクルマの排気音が聞こえるきりだ。
一度日誌を閉じ、再度白紙頁を開いてみても同じ。
夕はみるみる蒼褪めた。