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第12話 奪還作戦

 ディモルフォセカは力強く頷き、夕の冷たい手を取った。薬剤先生が慌てて短銃型の防除薬(ほとんど水鉄砲)を持たせる。

 さらにテディベア先生が、救急バッグを差し出してきた。


「わたしたち教官は、門の外では姿を保てません~。中の守りを固め、生徒に校則を課して、それでも攫われてしまえば諦めるしかありませんでしたっ。『実習生がやってきたら快く受け入れること』という申し送りは、こういうときのためもあるんでしょうっ。わたしたちの大切な生徒をどうか、頼みます~!」


 夕は「もちろんです」と請け合った。もはや生徒個体の問題ではない。花園の在り方に関わる。守護者(シューレ)代表とも言える実習生の夕がいながら害虫の好きにはさせない。


 一人と一株で、いざ、花園の外へ。

 紅雀蛾は、決まった運行ルートしか走れないバスと真逆の方向に進んだ。


「あとで蜜をたくさん用意するから、オエノセラのところまで急いでほしい」


 口早に注文する。蜜の調達方法は……帰りにこっそりディモルフォセカに訊こう。

 だが紅雀蛾はゆらゆら迷う。まさかオエノセラは食い尽くされてしまったとか――?

 冗談じゃない。向かい風に逆らって暗がりを見据えた。アース・アイは夜目が利く。


 裏門方面は、深い森が続いている。紅雀蛾は樹頭すれすれを飛ぶが、「好物」を得た葉虫は保身のため花園を離れたのか、見当たらない。十三年ぶりの舌打ちが出た。


「やつらは常に花園の近くにいます。僕が囮になります……っ!」


 ディモルフォセカも逸る様子で、黄色い花びらを振り出して撒く。

 たちまち周囲の気配が一変した。草木のあわいや土中に潜む虫類の食欲を感じる。


(これが花園の外の脅威か)


 夕は何ともないが、ディモルフォセカは本能的に震えた。その綿毛頭に手を乗せる。


「大丈夫だ。僕がついてる。っと」


 物言わぬ紅雀蛾が加速する。オエノセラの香りを捉えたようだ。ロードバイク並みに速い。ディモルフォセカを小脇に収め、がっちりしがみつき直す。


 葉虫は光を好まない。黒光りする六本の手脚と鋭い歯を持ち、群れで活動する。根城にするのはじめじめして土のあるところ――大木の根もとを、何かが行き交う。


(見っけた。一匹がゴールデンレトリバーくらいあるな。オエノセラもここか)


 大きな翅で入り込めるぎりぎりまで降下してくれた紅雀蛾から、飛び降りる。

 夕の侵入を阻もうと向かってきた葉虫たちを、バズーカ薬本体で蹴散らす。防除学の教科書で見たとおり、夕の世界の葉虫よりずいぶん大きい。囲まれたら足を取られそうだし、服を引っ張られれば抗えまい。


 夕は手加減なく数匹まとめてひっくり返し、防除薬を噴射した。元悪戯っ子には慣れたものだ。

 ひとつ息を吐き、ディモルフォセカを見上げる。


「オエノセラは怪我してるかもしれない。手当ての準備をしていて」


 彼には紅雀蛾の背で待機させるつもりだ。あとは夕ひとりで問題ない。

 ディモルフォセカは救急バッグをぎゅうっと抱え、頷く――途中で耳をそばだたせた。丸い頬が上気する。


「先輩に呼ばれてるから、僕も行きます! 後でどれだけ怒られたって構いません」

「え、ちょっ、ぐえ」


 半ば落ちてきて、あろうことか夕をクッションに着地した。

 計画が狂う。……まあ連れてきたのは夕だ。心残りなくさせてやろう。


 花園生も移動した先では動き回れる。ディモルフォセカは夕とともに、うねうねと地を這う木の根を飛び越えていく。闇雲に短銃薬を噴射するが、葉虫には当たっていない。代わりに夕がバズーカ薬で牽制する。


 不意に、甘い香りがした。この香り――オエノセラだ。

 ディモルフォセカが夢中で手を伸ばす。夕は彼より背丈のある、湿った野草を掻き分けてやった。


「先ぱ……」


 目に映った光景に、ディモルフォセカが絶句する。

 泥濘みにオエノセラがぐったり横たわっていた。長い髪は無残に噛みちぎられ、シャツとスラックスもあちこち破れて白い液(血)が滲む。彼に群がる葉虫たちが制服の残りに手こずったらしく、深い傷や欠損こそないものの、ひどく痛々しい。

 夕も足が止まる。もしミドルミストがどこかでこんな目に遭っていたら……。


「う、わああああ!」


 そのかすかな隙に、ディモルフォセカにバズーカ薬を一本奪われた。小柄な彼には重く長く扱いにくいそれを、ディモルフォセカが狂ったように噴射する。


「あああ、あ、あああああッ」


 中身がなくなったら、本体を振り回して葉虫の背に打ちつける。


「ディモルフォセカ……、ディモルフォセカ!」


 想定外の暴走ぶりに圧倒され、止めに入るのが遅れた。ディモルフォセカの花びらと、葉虫の折れた手脚から滴る血の黄色が飛び散る中、何とか羽交い絞めする。


「なんて、ことを……! ゆるさない……っ」


 ディモルフォセカの無垢な睛が、悲しみと憎しみに染まっていた。肩で息をしているにも拘らず、バズーカ薬を手離さない。

 やっぱり連れてくるべきではなかったか。ここまで取り乱すとは思わなかった。


 それを言えば、オエノセラの無防備な行動も理解不能だが。とにかく救出しよう。


 居合わせた葉虫のうち一匹はディモルフォセカが仕留めた。残りも小さな一年生の迫力に怯んでいる。夕は長い腕を駆使し、それらを一か所に追い詰めた。似ていると言われるマーベルヒーローほど怪力ではないが、バズーカ薬本体をハンマーに見立てた殴打はなかなか効いている。

 薬の連射でとどめを刺した。


 他の仲間は逃げたか、静かだ。

 葉虫の死骸の下敷きになっているオエノセラを引っ張り出す。夕の後ろでへたり込んでいたディモルフォセカが、最後の力を振り絞って彼に取り縋った。


「オエノセラ、先輩。元気に、なってください」

「……モルちゃん?」


 黄色の花びらを降らせる。

 オエノセラは一瞬目を開けたが、また閉じた。

 花園の青少年の怪我度合いは人間と違うのだろうか。奪還できたのに気が休まらない。


「げんき、に……」


 無理をしたディモルフォセカも力尽きた。

 夕は責任をもって彼らを両肩に担ぎ上げる。見た目よりずっと軽い。

 少し開けたところでちゃっかり樹液を補給していた紅雀蛾の背に、再び乗せてもらう。


 そこで光が弾けた。治療がまだなのに――。




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