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第11話 天敵と使役

 窓の外は暗く、雨上がりの匂いがした。大股で廊下へ出てみれば、高架につながる通路の部分に生徒がひしめいている。蹲る一年生や目もとを拭う二年生もいた。

 夕の鼓動も速まる。近くにいた、情報通のアプリコットを問い質す。


「何があったんだ」

「っ、オエノセラ先輩が……葉虫に、攫われたそうです」


 眩暈がした。葉虫と言えば、オエノセラの天敵ではないか。

 葉を――身体を食われる。

 防除学の授業時、まずオエノセラを叩き起こすべきだった。さっきだって医務室に引き留めておけばよかった。彼の去り際、一瞬目が合ったのに。


「彼は夜間外出の常習犯だ。どこかに隠れて俺たちを揶揄ってるんじゃないか」

「夜自習なら寝間着じゃなく制服を着てるよね?」


 信じたくないとばかりに、他の生徒が声高に言い合う。

 確かに薬コーティングされた制服を着ていれば、害虫を寄せつけないはず。花園生は野生と違って授業だ研修だと忙しいが、堅固な寄宿舎と制服に守られている。


「残念だが。裏門の柵に彼のジャケットが引っ掛かっていた。葉虫の噛み痕つきだ」


 湧いた希望は、チューリップの一言で掻き消えた。普段落ち着いている彼が、怒りまじりに唇を噛む。


「今日は葉虫の好む雨天だ。警報灯も赤く光っていたのに、なぜ屋外をうろついた」


 他の生徒も同調して項垂れる。夕だけアース・アイを見開いた。

 警報灯も赤く光っていたのに、だと?


「警報灯って、手摺とか外灯にあしらわれた……害虫が近づくと光る装置、か?」


 上擦らないよう声を抑えて確認する。アプリコットがうっそり頷く。

 青いとんぼ玉の真の用途に、愕然とした。

 オエノセラに聞いた話と違う。騙られた。いったい何のために? 顎に手を当てる。


(僕を助けに来さしたないってのか。行くけどな)


 今はオエノセラの思考を理解するより救出が先だ。一歩踏み出す――のに先んじて、夕の脇をすり抜けるものがあった。


「……助けに、行かなきゃ」


 ディモルフォセカだ。

 騒がしさで目が覚め、医務室から出てきたらしい。警報灯に従って寄宿舎内に留まる他の生徒を掻き分け、高架にまろび出る。この様子だと建物の壁にも防除処理がなされているのだろう。夕は小さな背中に手を伸ばした。


「危険だ。宿舎で安静にしていなさい」

「いやです……っ。僕が辛いとき励ましてくれたのに、先輩が大変なのを放っておくなんて、できません。それに、一緒に、いなきゃ……!」


 ディモルフォセカが身を捩って主張する。彼はオエノセラと比べて葉虫に狙われにくいとはいえ、雨上がりの夜では力が出まいに。


(なんで花が他の花のために身体張ろうとするんや?)


 防除学の教科書にもそんな内容はない。夕は困惑でいっぱいになる。


「我々は自分で花園の外へは行けない。誰にも助けられない。弔いの準備をしよう」


 そこに、夜に溶け込む肌を持つフリティラリアの声が響いた。

 重苦しい空気に包まれる。誰もが目を逸らしていた事実を指摘したみたいだ。

 自分で外へは行けない――根が張るゆえの縛りか。ディモルフォセカの目が翳る。


「先輩と一緒にいられなくなるのは、僕が『眠る』ときだと思ってたのに……」


 でも夕は諦めない。園芸職人は花卉に害虫がつくのを防ぐべく日々世話するが、ついた後でもやりようはある。

 薬剤先生に相談して……、そこではっと閃いた。


「テディベア先生は、実習生なら『園外も自由に出歩ける』と言っていた」


 夕ならオエノセラを探しに出て、連れ戻せる。朗報だ。

 その割に生徒たちはあまり沸かない。むしろ、「ベンヤミン先生は、『警報発生中は外に出ない』って校則を破ったオエノセラ先輩を助けてくれるのかなあ……?」などと、半信半疑な目を向けてくる。

 そこまで厳しく指導してきたつもりはないのだが。助けるに決まっているだろう。


 心外に思いつつも、ディモルフォセカを上級生に託し、薬剤先生の研究室に急行した。園外へ出てから考えるより、考えてから園外へ出るほうが、早く発見できる。

 ちょうど他の教官も集まっていた。


「先生! 僕がオエノセラを見つけて連れ帰ります」

「おお、来てくれたか実習生殿。信じて調合しておいたぞよ。持っていきなされ」


 教官たちも夕を待っていたらしい。黒く細いバズーカ状のものを複数手渡された。対葉虫用の防除薬だ。斜め掛けにすると、ずしりと肩に食い込む。


「場所の心当たりはありますか?」

「蛾が彼の香りを辿ってくれますわ。実習生は蛾や蝶を使役できると、先代の記録にございました」


 「呪いの歴史と実践」担当の五寸釘ごすんくぎ先生が言う。鈍色に輝く細身の身体と尖った頭が凛々しい。


(夜行性の蛾は、夜咲く月見草の蜜を吸うけど。使役できるって、どないして?)


 それより蛾の使役方法が不明だ。信頼に応えたいが……。

 紅雀蛾ベニスズメが一羽、回廊の手摺に留まった。

 捻っても仕方あるまい。力を貸してくれ、と真摯に念じてみる。


 途端、紅雀蛾が巨大化した。雀に似た模様の紅色がかった翅が、夕の腕長の二倍ほどに拡がる。夕の母なら半泣きで後じさっただろう。でも夕は平気である。

 園芸学生のおかげで蜜を得られるので協力的らしい紅雀蛾の背に、片膝を乗せる。


「僕も、連れてって、くださいっ」


 幼い声に割り込まれ、夕も教官たちも目を剥いた。

 ディモルフォセカが、上級生を振り切り追ってきたのだ。息を荒げながら夕のローブを掴む。


「ならん。研修とはまったく違うぞよ」

「わかっています。でも、約束したから……」


 薬剤先生に却下されてもなお、縋るように夕を見上げた。


(実習生としては断るとこだけど――取り戻したい、よな)


 かけがえない友だちが攫われた、という焦燥は夕も共感できる。泣かないディモルフォセカは偉い。花園歴の浅い夕を補佐してもらうのも一手かもしれない。


「僕が責任をもって守ります。小柄な君なら一緒に乗れる。おいで」



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