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第10話 忍び寄る危険

 翌日、自室で計画どおり自習を進めた後、日課のひとつとして日誌と向き合った。

 翔太はそれこそお約束のごとく飲みに出掛けていて、いない。毎日熱心なことだ。何とか自力で現実に戻れるよう、指一本だけ使って白紙頁を開いてみる。


 実習生用私室に塗り替わった。窓の外では透明な斜線が踊る。放課後のようで、廊下に出るとあちこちで笑い声が聞こえた。雨だと花園の生徒は元気になる。


 駆け回るリボンタイの生徒を捉まえ、ディモルフォセカの居場所を訊いた。


「最近よく校舎の回廊をうろうろしてます」

「ありがとう。ああ君、『測量と整列』の宿題を忘れないように」


 まんまと忘れていたのか、よろよろ自室に帰る彼とすれ違う形で、高架を渡る。


 ローブで雨雫を避け、しばらく回廊を行き来する。だが綿毛頭は見つからない。シューレではガルテンの花は動かないから、探すのは不思議な感覚だ。


(まあスプリングフラッシュは別の区画に紛れ込んだり増えたりしとるけどな)


 別の一年生に、再び訊く。一年生はちょっと心配げに首を傾けた。


「うーん、どこだろう。さっき、寝起きのオエノセラ先輩にも訊かれたんですが」


 ディモルフォセカはオエノセラに花を降らせるのが日課になったらしい。では二年生の部屋か? 寄宿舎に取って返そうとして、足を引き摺る一年生が目についた。


 歩み寄り支えてやれば――ディモルフォセカではないか。


「わ。先ぱ……、先生、すみません。僕、雨が苦手で……」


 途切れ途切れに言う。すべての花が雨を喜ぶわけではない。スプリングフラッシュは水喰いでいて、天気の悪い日は花が開かない。それで彼は体調がよくないようだ。


「医務室へ行こう」


 見兼ねて促しながら、寄宿舎の透かし標識を思い浮かべた。医務室まで、校舎からだと結構歩く。いっそ抱えていこうか。

 案の定足がもつれたディモルフォセカを、夕の反対側で支えてくれる手があった。


「大丈夫? モルちゃん」


 この呼び方はひとりしかしない。

 オエノセラだ。一年生が遠巻きに見惚れている。


「大丈夫、です」


 ディモルフォセカは元気がないところを見せたくないのか、ふぬ、と一歩踏み出す。瞼が今にも閉じそうだが。

 その瞼を、オエノセラは呑気に指先でつつく。


「君の寝顔、こんな感じなのかな」

「まだ『眠ら』ないです、まだ……」


 ディモルフォセカが、今度は悲壮に首を振った。夕は会話についていけない。


 高架を渡るとき、幸いにも雨は止んでいた。ただしとんぼ玉が赤く点滅しており、緊張感はむしろ増す。

 正門でフリティラリア黒百合たちが校外研修のバスを降り、寄宿舎へ引き返してくるのが見えた。


(フリティラリアがおるなら「呪い」の研修や。バスが部外者見つけたのか?)


 顎に手を当てる夕の先回りするかのように、オエノセラが「たいしたことはないですよ」と微笑む。夕より長く花園にいる彼が言うならそうなのか。


 寄宿舎内では、生徒がばたばた部屋に駆け込み扉を閉める。少し奇妙に感じつつ、今は医務室を目指す。オエノセラが近道を教えてくれたおかげで早く着けた。


「あとは先生にお任せします。モルちゃん、お大事にね」


 と思ったら、さっと長髪を翻す。後輩思いなんだかそうでもないんだか。


 ベッドが八つ並んだ医務室は、湿度が低く保たれている。同じく雨に弱い生徒を診に出たのか、校医はいない。ひとまず乾いたベッドにディモルフォセカを横たえる。オエノセラが去るやいなや顔色が曇った。気力でもたせていたのだ。


「……なぜ、オエノセラのためにそんなに頑張る?」


 問いが口を衝く。花園の生徒は、人間の要請に応えて観賞や呪いや食用などの役割を果たすために学んでいる。生徒同士で花を降らせても、成績は変わらない。

 ディモルフォセカは「うまく、言えませんが」と夕を見上げた。


「平凡な僕にもできることをくれて、嬉しかったので、精一杯応えたいんです。一年生の僕には、時間があんまり残っていませんし」


 必修が多く自由時間が少ない、という意味か? かと言って、自身の体調が悪いのに無理をするのは理に適わない。


「先輩に言われなければ、『おひさまの色』だなんて、思いも、しなかった……」


 使命と陶酔と倦怠感がないまぜな表情で、ディモルフォセカは眠り込んだ。


 その寝顔を眺めていたら、光が弾けた。同じ姿勢を保てず指先が痙攣したとみた。

 夕陽で仄明るい寮の部屋のベッドと、机の黄色の切り花を交互に見ながら、ディモルフォセカとのやり取りを反芻する。


(オエノセラに言われなければ思いもしなかった、か)


 花園のオエノセラとディモルフォセカから学べ、と日誌に示されているとして。

 課題について、オエノセラと同じくらい夕と思考回路の異なる、翔太に意見を仰いでみるか?

 不本意だが、唯一の友だちに会うためだと自分に言い聞かせた。




 しかし翔太は深夜まで帰ってこなかった。帰ってきてもいい日に限って。

 夕は朝が強くない。翌朝日課のジョギング(モテるため)に出た翔太を取り逃がしてしまう。彼とは生活サイクルも合わない。夜咲きと昼咲き並みだ。


 連休最終日の自習計画を変更して待ち構えた。だが翔太は大浴場で汗を流すとそのまま昼飲みに繰り出したようだ。まさか寮生の世話当番もすっぽかしか? 無責任め。


 深々と息を吐く。やはりひとりで取り組もう。今までだってそれがいちばん効率がよかった。昨日と同じ方式で日誌を開く。


「嘘だろ?」

「こんなこと上級生も経験ないって。寄宿舎の改修以降は――」


 実習生用私室までざわめきが届くくらい、花園は騒然としていた。何事だ?




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