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第9話 真夜中の逢瀬

「みんたー。花がら掃除終わったで。こっちのお花ちゃんにも水あげてや」

「その呼び方やめてください。葉や花弁が茶色くなっているものはありませんか」


 三日後の昼下がり。翔太と手分けして、蝶の舞うゼゾン・ガルテンを世話する。今日からまた三連休だが植物には関係ない。温冷室や日本庭園も他の寮生が回っている。


(つか、雨模様やから水遣り要らんかも)


 雨の少ない淡路島ではめずらしい、と曇天を仰ぐ。

 そこに、花の健康状態をチェックしていた翔太が「うぉうぉう」とぶつかってきてはね返った。何なんや。


「見てみ、はぐれイエローちゃん増えとる! スライムやないのにおかしない?」


 月見草の区画を指差す。

 まるで夕の課題再提出を急かすかのように、スプリングフラッシュが二株になっていた。……ほんまに何なんや。


 ままならなくて悔しい。夕は短く息を吐き、二株とも咲いているぶんを摘み取っては如雨露に浮かべていく。

 直径五センチほどの黄色で水面が埋まった。


「ちょっ、七不思議の物理的な解決はどうかと思うで」


 翔太が目を丸くする。不真面目な歳上の同級生に口出しされたくない。

 ふと、幼い頃ガラスの花瓶にミミズやらダンゴムシやらを山ほど放り込み、母に悲鳴を上げさせたのを思い出す。まあ悪戯は十三年前に封印したが。


 スプリングフラッシュを寮に持ち帰り、花瓶に活けた。自分の机に置く。明るい黄色を眺めて空元気を出し、日誌を手に取る。


 過去の記述分を読んで参考にしようとしたものの――単なる園芸日誌でしかない。

 花卉の状態やどんな世話をしたかなどが記録されているきりだ。


(教育実習生の日誌として読み返せるんは、自分が見たものだけか?)


 白紙頁に行き着く。光が拡がり、

 寮の二人部屋が実習生用私室に塗り替わった。

 こうなったら、ディモルフォセカとオエノセラを徹底的に観察しよう。園芸は観察が基本だ。勇んで廊下に踏み出す。


 まずは一年生の区画へ。

 四度目の花園は暮夜で、寄宿舎内は軒並み消灯していた。ディモルフォセカも夢の中と思いきや――一部屋に四つ並んだベッドのうち、彼のベッドのみもぬけの殻だ。


(またおらんのか)


 夕は顎に手を当てた。どこぞの不真面目な歳上みたいに、オエノセラが引っ張っていったのか。

 夜行性の生徒が使う自習室ではなさそうだ。前回ディモルフォセカが寝こけていた空き部屋に足を向けてみる。秘密の共有場所といったらそこだろう。


 夕の推理は正しかった。扉の小窓に、蝶と蛾と花びらが舞う。寝間着のワンピース姿のディモルフォセカが、オエノセラにせっせと黄色を降らせていた。

 オエノセラのほうは制服だ。暑いのかジャケットを着ていない。


「ぼく、最近寝起きがいまいちなんだよね」


 と、元気がない素振りもする。夕の目には、陽が暮れると花が閉じる性質のディモルフォセカのほうがよほど眠そうだが。


「これで、元気に、ふあ、なってください」


 ディモルフォセカは約束を果たさんと手を降り続ける。眠気と奮闘で頬が上気していた。オエノセラは自分のための「おひさま」をたっぷり堪能したのち、微笑む。


「ありがと、モルちゃん。元気になったよ」

「はい!ふふふ、『モルちゃん』」


 ディモルフォセカがはにかむ。研修では言ってもらえなかった「元気になった」という言葉と、特別な呼び方が(夕とは違って)嬉しそう――なのはさておき。


(「早う寝ろ」って部屋に帰さな。……けど)


 防除学の授業の違和感がよみがえり、慎重になる。

 そのうちにディモルフォセカが廊下に出てきて、眠気でか夕に気づかず自室へ帰っていく。ついぞ声を掛けそびれた。


「ベンヤミン先生、見逃してくださってありがとうございます」


 続いて出てきたオエノセラに礼を言われる始末。彼は夕の気配を聡く捉えていた。

 防除学の教室では、憐れみじみた目を向けられた。夕が実習生に相応しくないと言いたげな――でも、生徒に媚を売るのが「天の花園」への近道とも思わない。


「次は見逃さない。悪いことだってわかってるなら、一年生を引き込まないように」

「一年生にはそこまで悪いこととは思いません」


 オエノセラはいつもの調子で含み笑いした。やはり彼の思考は理解しがたい。

 それでも実習生の務めとして、夜の散歩を監視する。夕が二歩後ろを歩くのを、オエノセラは鬱陶しがりはしない。この間とは別の空き部屋の通用口から外へ出る。


 あちこちの外灯にあしらわれたとんぼ玉が、一瞬赤く光った。

 夕の睛に似ている。興奮して血流が増すと、アース・アイの青い部分が赤みを帯びるのだ。それも悪戯とともに封印されたが。ミドルミストと別れてから、大笑いも大泣きもしていない。


 オエノセラは、すぐ青に戻ったとんぼ玉を食い入るように見つめ続けている。


「あの玉は何?」

「花園に……部外者が近づくと光る装置です」


 ややもったいぶった説明が返ってきた。では初来園時に玉が点滅していたのは、まさに夕の来訪を花園の青少年たちに知らせていたわけか。


 オエノセラの考えと花園の仕組みをひとつずつ知ったところで、光が弾けた。

 夕の手から日誌を引っこ抜いた翔太と、至近距離で目が合う。反射的にのけ反る。


「お約束。ほんで、翔太さん出掛けるで~。おはようおやすみいってらっしゃいしてや」

「……。お茶漬けまでしっかり食べてくださいね」

「おねえちゃんとこ居座れ言うとる? そんなん夕がさみしいやん」


 まったくさみしくありません。の顔で、「一号」というプレートのついた鍵をちゃりちゃり鳴らす翔太を締め出した。


 さみしいのにはもう慣れた。ただ、現実に戻る協力者がいなければ迂闊に日誌を開けない。……でもあの酔っ払いに頼りたくない。

 また小さく息を吐いた。本当はもっと検討すべき点があったのを、見逃したまま。




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