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第8話 不本意な再試

 薬剤やくざい先生だ。暗褐色の光沢肌に緑キャップ頭。テディベア先生と打って変わって威厳に満ちている。

 彼の担当する防除学は一般教養に当たり、一年生必修だ。


「……はい。是非お願いします」


 研修時に生徒の安全を保てなかったという暗示か? 探るうち、教室に辿り着く。


「諸君、始めるぞよ」


 薬剤先生の一声に、じゃれ合っていた一年生がばたばた長机に着く。ディモルフォセカもおり、悪友のアプリコットに腕を引っ張られた。彼の属名ラストネームはヴィオラだが、色違いが多いため色で呼び分けられている。


 夕は窓沿いに控え、ディモルフォセカを観察し直すことにした。


「それでは教科書の二十頁を開いて。このように、諸君を補食対象とする悍ましい虫類が存在する。ニンゲンも虫類を疎むが、彼ら任せは禁物であり――」


 薬剤先生が黒板のほうを向くや、アプリコットがディモルフォセカを肘でつつく。


「ディ。昨日の夜、どこ遊び行ってたんだ? 俺には教えろよ」


 めくるめく冒険譚への期待が滲む。対照的にディモルフォセカは口ごもった。


「別に、ちょっと、反省してただけ」

「反省? 研修だめだったのか」


 失敗を大っぴらにしたくないのだろう、躊躇いがちに悪友に耳打ちする。


「あー、色違いなあ。その割にあんまり落ち込んでないな」

「実は……オエノセラ先輩が話を聞いてくれて」

「えっ、あの悪い美花びじんって噂の? 煙草かつりょくざい吸わされたりしなかったか」


 ディモルフォセカは首を振って否定した。オエノセラは他の生徒にあれこれ言われているようだ。


「自衛の基本として、薬コーティングを施した制服ジャケットを常に着用すべし。オホン!」


 薬剤先生の咳払いに、ディモルフォセカたちが縮こまる。

 また小声のおしゃべりが始まったら、夕が注意しよう。そう決意した矢先、もっと大胆な生徒が現れた。


 噂のオエノセラが、薬剤先生の死角を衝いて入室してきたのだ。目を閉じてふらふら階段を上がる。朝は苦手だろうに一年次に落単したらしい。

 わざとなのか、ディモルフォセカの真後ろの長椅子に横になった。酔っ払いじゃあるまいし、早う起きろ。


「また、属種によって要注意の虫が異なる。次の頁を百回読むべし」


 ディモルフォセカは、教科書ではなくオエノセラを何度もちらちら見遣る。そして意を決したように小さな手を後ろに伸ばし、振った。


「先輩。元気の足しにしてください」

「ん~……? あったかい。ありがと、モルちゃん」


 薄っすら目を開けたオエノセラが、黄色の花弁をひとひら咥えて微笑む。ディモルフォセカも劣らず元気になった。


(花が互いに思い遣るとかあるんけ?)


 夕はますますこんがらがる。ただ今はそれより、と息を吸った。


「ディモルフォセカ。薬剤先生の話をよく聞きなさい」


 ディモルフォセカは「はい!」と勢いよく立ち上がる。教室中の目が集まった。薬剤先生の光沢肌も鋭く光る。


「授業が終わるまでそのまま立っていなされ」


 ディモルフォセカが項垂れる。起き上がったオエノセラが、憐れむように夕を見た。

 防除学は花園生にとって大事な内容で、散漫になっているのを注意するのは実習生には当然の選択のはず。なのに何だか手応えがない。なぜだ?


 ――夕くぅん?

 光が弾ける。翔太の猫撫で声で引き戻された。

 むしろわからないことが増えた結果に、夕は口角を下げざるを得ない。考察を進めようとして、机の時計を二度見する。


「は? 一時間経っているではないですか」

「ちょびっと遅れただけやん、怒んなや。レア名字同好会仲間の円生寺が『【速報】清楚美少女が小生に傘を貸してくれた』て乱入してきてん。夕も聞きたかった?」


 聞きたいわけがあるか。名字五十音順で席が隣なだけの他人の恋愛に興味はない。


 出窓を見れば、夕が花園滞在中に降ったらしい雨粒がついている。ただでさえゼゾン・ガルテンまで往復させられ、連休中の自習計画が台無しだ。ドイツのー取得を考えている夕は、授業の予習復習のほか、経営学なども独学せねばなのに。


(日誌は、そういう知識や技術を試しとるんちゃうんか?)


 手探りのまま日誌を使っても、良い評価は得られなさそうだ。その夜は日誌も翔太も寝かせ、現実での自習に励むことにした。




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