彼の担当する防除学は一般教養に当たり、一年生必修だ。
「……はい。是非お願いします」
研修時に生徒の安全を保てなかったという暗示か? 探るうち、教室に辿り着く。
「諸君、始めるぞよ」
薬剤先生の一声に、じゃれ合っていた一年生がばたばた長机に着く。ディモルフォセカもおり、悪友のアプリコットに腕を引っ張られた。彼の
夕は窓沿いに控え、ディモルフォセカを観察し直すことにした。
「それでは教科書の二十頁を開いて。このように、諸君を補食対象とする悍ましい虫類が存在する。ニンゲンも虫類を疎むが、彼ら任せは禁物であり――」
薬剤先生が黒板のほうを向くや、アプリコットがディモルフォセカを肘で
「ディ。昨日の夜、どこ遊び行ってたんだ? 俺には教えろよ」
めくるめく冒険譚への期待が滲む。対照的にディモルフォセカは口ごもった。
「別に、ちょっと、反省してただけ」
「反省? 研修だめだったのか」
失敗を大っぴらにしたくないのだろう、躊躇いがちに悪友に耳打ちする。
「あー、色違いなあ。その割にあんまり落ち込んでないな」
「実は……オエノセラ先輩が話を聞いてくれて」
「えっ、あの悪い
ディモルフォセカは首を振って否定した。オエノセラは他の生徒にあれこれ言われているようだ。
「自衛の基本として、薬コーティングを施した
薬剤先生の咳払いに、ディモルフォセカたちが縮こまる。
また小声のおしゃべりが始まったら、夕が注意しよう。そう決意した矢先、もっと大胆な生徒が現れた。
噂のオエノセラが、薬剤先生の死角を衝いて入室してきたのだ。目を閉じてふらふら階段を上がる。朝は苦手だろうに一年次に落単したらしい。
わざとなのか、ディモルフォセカの真後ろの長椅子に横になった。酔っ払いじゃあるまいし、早う起きろ。
「また、属種によって要注意の虫が異なる。次の頁を百回読むべし」
ディモルフォセカは、教科書ではなくオエノセラを何度もちらちら見遣る。そして意を決したように小さな手を後ろに伸ばし、振った。
「先輩。元気の足しにしてください」
「ん~……? あったかい。ありがと、モルちゃん」
薄っすら目を開けたオエノセラが、黄色の花弁をひとひら咥えて微笑む。ディモルフォセカも劣らず元気になった。
(花が互いに思い遣るとかあるんけ?)
夕はますますこんがらがる。ただ今はそれより、と息を吸った。
「ディモルフォセカ。薬剤先生の話をよく聞きなさい」
ディモルフォセカは「はい!」と勢いよく立ち上がる。教室中の目が集まった。薬剤先生の光沢肌も鋭く光る。
「授業が終わるまでそのまま立っていなされ」
ディモルフォセカが項垂れる。起き上がったオエノセラが、憐れむように夕を見た。
防除学は花園生にとって大事な内容で、散漫になっているのを注意するのは実習生には当然の選択のはず。なのに何だか手応えがない。なぜだ?
――夕くぅん?
光が弾ける。翔太の猫撫で声で引き戻された。
むしろわからないことが増えた結果に、夕は口角を下げざるを得ない。考察を進めようとして、机の時計を二度見する。
「は? 一時間経っているではないですか」
「ちょびっと遅れただけやん、怒んなや。レア名字同好会仲間の円生寺が『【速報】清楚美少女が小生に傘を貸してくれた』て乱入してきてん。夕も聞きたかった?」
聞きたいわけがあるか。名字五十音順で席が隣なだけの他人の恋愛に興味はない。
出窓を見れば、夕が花園滞在中に降ったらしい雨粒がついている。ただでさえゼゾン・ガルテンまで往復させられ、連休中の自習計画が台無しだ。ドイツの
(日誌は、そういう知識や技術を試しとるんちゃうんか?)
手探りのまま日誌を使っても、良い評価は得られなさそうだ。その夜は日誌も翔太も寝かせ、現実での自習に励むことにした。