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第6話 ビジンで悪い先輩

 振り返ったのは、ハイソックスでなくスラックスを穿いた――オエノセラだ。


 やはり夜行性らしい。息を切らす夕に、のんびり笑い掛けてくる。何とも気まぐれな感じがするが、夕より花園の地理に詳しい彼の力を借りたい。掻い摘んで事情を話す。

 ディモルフォセカ、と名を出すと、オエノセラの片眉が上がった。


「もちろんご協力します。宿舎の使われていない部屋のどこかでしょう」


 するりと夕の横をすり抜け、寄宿舎に歩み寄る。

 平然と通用口を開けた。道に面した部屋のうちどの鍵が開いているか、知っているのだ。


 彼の悪だくみぶりを旧友と重ねかけ、夕は深呼吸して切り替える。

 オエノセラは空き部屋を通り抜け、下階を見て回った。その背中に声を掛ける。


「手分けして、僕は上階を探そうか」

「上階は上級生の区画です。モルちゃんは気後れして近づきません」


 オエノセラはやんわり首を横に振る。

 ディモルフォセカと親しげな口ぶりだ。せっかく行き合ったことだし、足は止めず端的に訊く。


「君はディモルフォセカと仲がいいのか?」

「まだ知らないです」


 またしても首を横に振る。

 肩透かしを喰わされた。やっぱり素直なディモルフォセカのほうに詳しく聞こう。そう決めて、等間隔に並ぶアーチ扉の小窓を覗いていく。


 一年生の大部屋とも実習生用私室とも異なり、白か黒のベッドしかない。天蓋付きで、たまに生成りのワンピースに身を包んだ生徒が横たわっている。賑やかな中階と対照的にしんとして、温度も低い。蝶もまったくいない。


(つかここ、何の区画や? ひとりになるにはお誂え向きだけど)


 夕が顎に手を当てるのと前後して、オエノセラが「いました」と足を止める。

 彼の頭越しに小窓を見れば、ディモルフォセカが黒いベッドの枠に凭れて寝こけていた。

 研修中気を張っていた反動か。何にせよ無事でよかった。


「ぼくが起こします」


 ディモルフォセカを探し当ててのけたオエノセラは、「知らない」はずの後輩から視線を外さないでいる。妙な圧におされ、夕は彼に任せた。


「こんなところで、何の夢を見ているの?」


 扉を押したオエノセラから、甘やかな香りが匂い立つ。

 ディモルフォセカは丸い鼻をひくひく蠢かせ、瞼を持ち上げた。かと思うと真っ赤になり、こてんと横転する。


「えっ、ノ、セラ先輩!? どうして、いつの間に陽が暮れて」

「うん。夜遊びの時間だね」

「一株になりたかっただけなんです、研修で失敗してしまって……って、知らない一年生にこんな話されても困りますよね。ごめんなさい」

「ううん。聞かせてよ」


 オエノセラがディモルフォセカの隣に腰を下ろす。

 夕としては、似非七不思議に関係する情報を得られるなら願ったりなので、止めには入らない。

 ディモルフォセカは小さく口を開けてオエノセラに見惚れていたが、涎が垂れかけて慌てて前を向く。


「……春学期生の中でも目立たない僕ですが、ニンゲンを笑顔にしてあげたかった」


 ぽつぽつ吐露し始めた。ぶり返した苦みのせいか俯く。


「でも、『黄色はきらい』って言われちゃいました。僕の力不足なんですけど」

「ぼくも『レモンドロップだと思ったのにがっかり』って言われたよ。よくある」


 オエノセラはあえてだろう軽い口調で後輩を励ました。

 月見草も色違いがある。彼の色は夜に映える白らしい。――では、初対面の際に咥えていた黄色の花びらは?

 眉を顰める夕に劣らず、ディモルフォセカの表情も険しくなる。


「先輩のやわらかくてきれいな白にそんなことしか言えないなんて、ニンゲンは、」


 そこではっと口を噤んだ。暗くなったり怒ったり恥じらったり忙しい。


「僕なんかが偉そうにごめんなさい。あっ」


 おまけに、指先から花弁が噴き出す。


「ああ!? 『制御』は、授業でちゃんと習ったのに……っ!」


 止めようとするほど黄色が乱舞した。

 夕は同情してこめかみを掻く。


「あはは、さすがスプリングフラッシュ」


 一方、髪にたくさん花びらをくっつけたオエノセラは、悠長に笑った。

 その何気ない一言に、ディモルフォセカが目を見開く。


「僕の種名ファーストネーム、知ってくれていたんですか」

「うん。黄色だから」

「……先輩も、黄色は、お好きじゃないかと」


 彼の色違いのレモンドロップは、爽やかな黄色だ。


「うん。でも、君の黄色はおひさまの色で、あったかくて元気になるよ」


 オエノセラは否定しない。それでいて、それまでと同じ調子で後輩を謳う。

 ディモルフォセカは堪えきれないとばかりに顔を歪めた。


「本当は、ずっと、誰かにそう言ってもらいたかったです……」

「あれ、泣かせちゃった? ぼくは悪い先輩?」


 ディモルフォセカが「泣いてません」と言い張りながら、洟をすんすん啜る。

 オエノセラは慈しむような切ないような表情で、小指を差し出した。


「ぼくに元気が足りないとき、君を呼ぶから、ぼくのおひさまになってよ。約束」

「う、僕で、よければ……」


 夕は彼らの微笑ましい指切りを見守りつつ、何とも言えず顎に手を当てる。


(色ひとつが泣くほど気になるんけ。まるで人間みたいや。研修頑張りたいとかも)


 研修を引率したことで図らずも、花たちはアレンジメントなどに使われるのを厭わないとわかった。

 と言うか、夕にそんな視点はそもそもなかった。

 どちらにしろ現実では園芸学生や職人が采配するので杞憂だ。彼らにそう教えてやろうとしたとき、


 ――……ま霧ベンヤミン夕~!


 間抜けな声に名を呼ばれた。




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