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第5話 はじめての実習

 一年生の中でも小柄だ。綿毛みたいな髪に丸い頬。ラシラスと同じハイソックスとリボンタイ。選ばれまいと諦めたような表情だが、一縷の希望でそわそわしてもいる。


「さて、ベンヤミン先生にも誰か選んでもらいましょうっ」


 テディベア先生に促された。

 引率中にガルテンの謎について聞き出せたら効率がいい。顔見知りのオエノセラは夜行性なのか見当たらない。と、なれば。


「ディモルフォセカ。――ディモルフォセカ」

「……僕、ですか?」


 ディモルフォセカは聞き間違いを疑っている。

 実際、他の生徒は顔を見合わせた。明るい黄色は見舞い向きながら、この花特有というわけでもない。


「そうだよ、ディ! 出し切ってこい」


 悪友たちに髪をわしわし撫でられてやっと、ディモルフォセカはぱあっと笑った。





 校外研修では、橋を渡る。

 ボンネットがシュライフェりぼんの形をしたバスで出発した。懐古趣味な内装と裏腹に最先端の自動運転だ。夕と選抜生徒のみ、左右に揺られる。


(橋のところどころが陥没してるの、おとろしいな)


 生徒も教官も自分の足では園外へ移動できないと聞いたが、確かにこれは危険だ。

 車窓は花曇りで霞む。それでもディモルフォセカは飽かず窓に額をくっつけている。

 先に周囲の観察を切り上げた夕は、彼の隣の座席に移り、オエノセラと何か縁があるのか訊こうとした。


「僕、校外研修はじめてなんです」


 だが、先にディモルフォセカが切り出してくる。


「小さいし、色も形も平凡だから……劇場でのお祝いにも、侘び寂びの表現にも、安らかな眠りのための祈りにも選ばれませんでした。でも、先生が機会をくださった」


 特別な経験をさせてくれて感謝します、とばかりに見つめられ、少し後ろめたい。


「ニンゲンに喜ばれるコツがあれば、教えてください。ベンヤミン先生はニンゲンをよくご存知ですよね……?」


 夕のミドルネームが木の一種と同名だからか、人間の仲間か自信なさげだ。

 夕も夕で、「ありのままでいいと思う」くらいしか助言できない。だって花は花だろう。


「では精一杯頑張ります! ええと、きちんと挨拶してから、手を振って、」


 小声で段取りを繰り返す彼に、今研修と関係ない話をしても上の空に違いない。帰りに仕切り直すほかなさそうだ。


 橋の対岸は、無機質な建物が並ぶ。そのひとつ、医療センターに到着した。


 消毒液の匂いが漂う大部屋を訪ねる。

 他の生徒はそれぞれ白い仕切りカーテンの中に入っていくが、ディモルフォセカはしきりに制服のリボンタイを直している。

 夕は彼の小さな背中に手を当ててやった。頷き合い、一緒に進み出る。


「こん、にちは」と、ディモルフォセカが段取りどおり患者に笑い掛けた。


(「人間を元気づける」て言いよったけど……)


 夕には、もやもやした影にしか見えない。

 小さな女の子が白いベッドに臥せている、と思われる。まあテディベア先生たちを見た後なのでそう動じない。


「きみに元気になってもらいたくて、来たよ」


 女の子の影は、病のせいか陰鬱な雰囲気だ。ディモルフォセカは居ても立ってもいられないといったふうに、手振りした。

 その指先から、黄色の花弁が振り出される。


 夕もこれには息を呑んだ。生徒にこんな能力があるとは。

 可愛らしい花びらが、すぐ夕の驚きをほぐす。女の子の気持ちも上向く、と思いきや。


「黄色は、きらい。学校の帽子を思い出しちゃう。……友だちと一緒に通えんのに」


 影は壁のほうを向いてしまった。ディモルフォセカの手も、場の空気も、凍りつく。


「他の色はあらへんのか? 白とかピンクとか」


 傍らの丸椅子にいた、女の子の父親らしき影に詰め寄られる。

 ディモルフォセカの属は色違いが多い。素朴な黄色のほか、オレンジ、白、ピンク、赤、紫。他の色も振り出せるのだろうか。ちらりと旋毛を見下ろす。


「やってみます」


 ディモルフォセカは「白、ピンク」と小さく唱えながら挑んだ。

 しかし手を振れども振れども、出てくるのは黄色の花びらばかり。

 夕が急遽ラシラスと交代させ、ピンクがかった白の花を贈ることで、何とか事なきを得た。



 現実世界の見舞い花や祝い花は贈ったきりだが、花園の生徒は花園に帰ってくる。

 宵闇の中、校舎と寄宿舎間の高架をディモルフォセカと並んで歩く。ディモルフォセカの歩幅は小さく、回廊の手前でついに止まった。


「テディベア先生への結果報告、ちょっとだけ時間を置いてはだめですか? 少し、一株ひとりになりたいです……」


 俯いたまま申し出てくる。

 研修が苦い結果に終わったのは、花園では色違いは別個体だと察せなかった夕の落ち度でもある。認める以外の選択肢はない。


「わかった。落ち着いたら、僕の部屋へおいで」


 結局オエノセラとのことを訊けずじまいで、ディモルフォセカを見送った。


(はあ。なかなかうまくいかん)


 もどかしさでローブを翻す。

 実習も似非七不思議の解明も、思うとおりには進まない。日誌の使い方だってまだまだ不明だ。一度現実に戻って考えを整理したくとも、


(日誌から手ぇ離すか、日誌閉じるか? それ以外は?)


 花園側でできるアクションを発見していない。

 仕方なく、実習生用私室に向かうことにする。


 寄宿舎は、階段状に増築していったような構造で、結構入り組んでいる。


 夕はふと思い立って、ループタイの生徒を呼び止めた。オエノセラの居場所を尋ねてみる。

 だが生徒は困り眉で首を振った。


「二年の部屋では見掛けませんでしたが。あいつ、また何かしました?」


 オエノセラにも接触できないときた。「いや」と取り下げ、すごすご私室に引っ込む。


 私室は、机とベッドとクローゼットという簡素な一人部屋で、居心地がいい。

 ただ、ディモルフォセカがちっとも現れず、日誌の考察に集中しきれなかった。


(すっぽかすような子ちゃうと思うけど。迷うたのか?)


 待ちきれず、夕のほうから一年生の部屋が集まる中階に出向く。

 どたばた走り回る音が廊下まで聞こえた。ここにはいまい。となれば川岸か?


 屋外に出ると、夜の帳が下りてきていた。花園では夜歩き回る生徒はいない。


(まさか川に落ちたりとか……まさかな)


 厭な想像をしてしまった。自然と大股になる。

 川沿いには外灯が点るのみだ。ローブのせいで滲む汗を拭う。どこに隠れた。


 暗く静かな坂道を取って返す。

 校舎に続く螺旋階段に、制服の背中が垣間見えた。今夜は青いとんぼ玉が光っていないので暗く、ディモルフォセカだという確証はない。とにかく全速力で駆け寄る。


「先生、どうなさったんですか?」



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