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第3話 ハズレルームメイト

 日誌を開く直前、勢いよく扉が開いた。ぱっと天井の蛍光灯に照らされる。


 最低な改変口上を唱えながら乱入してきたのは、八月朔日ほずみ翔太しょうただ。男子新入生のうち入寮した八名でクジ引きして決めた、ハズレルームメイトである。


 陽に焼けた肌に染めていない直毛、笑うと三日月形になる目が人懐っこい、らしい。

 夕は、夜な夜な飲みに出て赤い顔で帰ってきては絡んでくる彼に、辟易していた。


 昂揚がみるみる萎む。

 対照的に翔太は上機嫌な足取りで、夕が(部屋全体の衛生管理のため仕方なく)シーツを取り替えてやったベッドに飛び込む。


「今日は外泊の予定では?」

「へへへ、ミナミのおねえちゃんはせっかちやねん。あ、『高校生はおうち帰る時間』言われたんちゃうで!」


 これでも阪大卒で、夕より四つ歳上だ。十五センチの身長差のせいでたいてい逆に見られるけれど。

「帰ってくるな」という厭味は効いていない。Tシャツとデニムのまま寝返りを打ち、夕の机を見て「へあ?」と小首を傾げる。


 日誌に突っ込まれたくない。夕は背中合わせの翔太の机を指差した。


桜子さくらこさんから御手紙が届いていましたよ」

「おっ、厭がらせかあ?」

「……お母さんの勧めで入学されたんですよね」

「家業継ぐ気ないの薄々見抜かれとる。けどしゃあないやん、農家はモテへん」


 八月朔日家は北関東の花卉農家だとか。

 大きなお世話だが、このふざけた酔っ払いには継がせないほうがいいと思う。西宮の実家から通えるのに朝晩も植物に接して学ばんと寮生を選んだ夕とは、根本が違う。


 夕が溜め息を噛み殺す間に、翔太は封筒の糊を剥がす。

 厭がらせを予想する割にいそいそとした手つき。しかし中身を引き出すや、神妙な顔になった。


「うちの菖蒲ちゃんの写真シールや。子どもの日のつもりかいな。返事と一緒にカーネーションちゃん送れってか? 育ててないで」


 出窓を見遣る。角部屋の特権で、筒形の土入れハンドスコップや防除薬といった園芸道具から趣味の鉢植えまで置いている。でもカーネーションはない。

 翔太が興醒めとばかりに欠伸した。

 早う寝ろ似非関西弁の酔っぱらい。と夕が念じるのもむなしく、「へあっ」と却って目をかっぴらく。


「明日、フラワーアレンジメントの実技やんな?」


 夕は最低限の反応として頷いてやった。大型連休ゴールデンウイークの谷間も授業がある。ただ、なぜ急にそんな話をするのか。家業逃れのモラトリアムなら興味がないだろうに。


「お花ちゃん被ると点渋くなるんよな。せや、通いの円生寺えんじょうじたちがおらん今のうちに確保しに行こ、ゼゾン・ガルテン季節の庭!」


 花材は自由だが、組み合わせが同じだとデザインも似がちだ。クラスメイトより高評価を得るには早い者勝ち、と翔太は考えたらしい。

 ベッドから飛び降り、腰に園芸道具一式を提げられる飴色のワークベルトを、手にバケツを、足下は踝丈のラバーブーツを、瞬く間に装着していく。


 ひとりになれそうなので彼の好きにさせた。そのはずが、ばちっと目が合う。


「支度しろって」

「僕もですか?」

「当然。夕も勝負は勝ちに行く主義やろ?」


 翔太が口角を上げる。一か月そこらの付き合いなのに知ったかぶりすな。

 ……とはいえ、夕はアレンジメントが少々不得手だ。実家の庭の花で何かつくっても、母のロザムンドに決まって「情緒が足りない」などと言われる。

 万一翔太に後れを取り、日誌に「特別な生徒」と認められなくなってしまったら最悪だ。

 しぶしぶ自分のワークベルトを取りに立った。


「ふふん。特別に『翔太さん二号』に乗せたろう。夕はチャリあらへんやろ」


 翔太がにやける。別に友好表現ではないので勘違いしないでほしい。

 夕にとって「彼」以上の友だちはいないし、また突然の別れを経験するくらいなら――なんて。


「二人乗りは結構です。歩いて行ける距離ですので」

「そ? ま、そらそれで犬の散歩みたいやわ。おまえゴールデンレトリバーとかシェパードに似てるってよう言われん?」

「いえ。それよりクリス・ヘムズワースの若い頃に似ていると言われます」

「さらっと世界的イケメン俳優の名を挙げるんかい」


 翔太が大げさに転ぶ真似をして、夕の反応を窺う。特に笑えないので笑わない。

 夕は少し考え、お預けになっている園芸日誌もワークベルトに差し込んだ。





 ゼゾン・ガルテンには、春の花が咲き乱れている。

 四メートル四方の区画が並ぶ、構内最大の花壇だ。扱う属種は春咲きだけでも百を越える。勉強も兼ねてシューレ生が世話しており、どれも実技に使って構わない。


 可愛らしい花々にしばし和んでいたら、翔太がぎゅんっと懐中電灯を向けてきた。


「もう当たりつけとる目やな、夕」

「いえ。望む花はありますが、ここには存在しません」


 人工の光が眩しくて目を瞑る。瞼の裏にあの稀少な赤い花ミドルミスト・レッドが浮かび、消えた。


「ほおん? ま、こっからは個人戦ちゅうことで」


 翔太は夕を目潰ししておいて駆け出す。

 今回の実技は、見舞い花の想定だ。好まれるのは色鮮やかで香りのきつくないもの。自ずと限られてくる。


「太っ腹やからチューリップちゃんとスイートピーちゃんは譲ったる、で……」


 翔太がすぐ引き返してきて、夕のダンガリーシャツの袖をきゅっと摘まんだ。


 夜露にでも触れたのか。他人の服で拭わないでください、その無駄にオーバーサイズなTシャツでどうぞと諫めようとして、翔太の顔が強張っているのに気づく。


 翔太は階段状の花壇の一画を注視していた。




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