「……いくら、命の危険がある実戦経験の積み重ねが、強くなる為には重要だといっても、アガルタで氣が使えなくなるような真似をするのは、武仙にとっては自殺行為でしかないんだ」
夢琪はしつこく、念を押す。
「本当に、ここで使わなければ死ぬって時だけしか、使っちゃ駄目だからね!」
「分かってますよ! 梁師は心配し過ぎです」
寧人は輕身功を発動しつつ、夢琪に返答する。
そして、寧人とヘルガは、夢琪とジーナ相手に抱拳禮をする。
夢琪とジーナも、寧人とヘルガに抱拳禮を返す。
「じゃあ、行ってきます!」
夢琪とジーナに声をかけると、寧人は輕身功を発動したヘルガと共に、地を蹴り宙に舞う。
そして、心配そうな夢琪とジーナに見送られながら、寧人はヘルガと共に、階段を駆け下り始める。
身を洗う朝の空気と、緑の匂いが心地良い。
爽快な気分を味わいながら、寧人は吹き下ろす風のように、山肌を蛇行する長い長い階段を、駆け下り続ける。
普通の人であれば、途中で休む場などを利用して、時間をかけて下りる必要がある三千段の石段でも、輕身功を発動中の二人であれば、あっという間に駆け下りてしまえる。
石段には、朝霧に濡れている場所もあるので、滑る可能性を考慮し、輕身功発動中にしては、それ程スピードを出している訳ではないのに。
程なく、地形がなだらかになり、寧人とヘルガは麓に辿り着く。
階段の終点辺りも、木々に覆われた森となっているのだが、幾つかの人工的な物もある。
階段の向かって左側には、牌楼に似せた作りの、シンプルな建物があり、クルサードの標準語で書かれた、「自転車置き場」を意味する言葉が書かれた看板が掲げられている。
サウダーデから八卦溫泉を訪れる客は、一部の走力自慢の者達を除けば、自転車を利用する者達が多いのだ。
向かって右側には、直径にして二十メートル程の池があり、一度に二十人くらい乗れそうな、小さな屋形船が浮いている。
この
ごくたまにアガルタで発見される、浮遊石と呼ばれる物を利用している、この空を飛ぶ船は、来客が八卦溫泉まで上がる為に利用している。
日本の山でいうなら、ケーブルカーや斜行エレベーター的な存在といえる。
輕身功が使える武仙幇の者達や、輕身功には劣るが、似た技といえる
だが、普通の人達には、三千段の階段を使って移動するのは、厳しいものがあるので、夢琪が普通の人達の為、帶篷飛船を作ったのだ。
帶篷飛船は階段を無視して、牌楼の近くにある泉の一つに、数分間で飛んで行ってくれる。
発進ボタンを押すだけで、自動的に決まったルートを行き来するので、運転手は不要である。
ちなみに、客用ではない輸送用の帶篷飛船もあり、ジーナが温泉の湯を運ぶ時などに利用している。
(ちょっと乗ってみたい気もするな)
帶篷飛船を目にした寧人は、心の中で呟くが、乗っている暇はない。
既にヘルガが、西に向かって駆け出しているので、寧人は後を追わなければならないのだ。
草原や森林、荒野などを通り抜ける道は、一応はアスファルトで舗装されている。
大都市であるサウダーデの近辺は、舗装されている道が多いのである。
舗装されているのは都市と周辺地域くらいで、それ以外の道路は、まともに舗装されていない場合が多い。
そういった舗装もされていない道や荒野でも、余裕で走ることができる、オフロードタイプの車両が、都市間交通には利用されている。
細い道を二分も走り続けると、大型トラックが複数並んで走れそうな程に、太い道に出る。
他の都市と繋がる街道に、寧人とヘルガは辿り着いたのだ。
クルサードにおける、主要な交通機関は鉄道である。
自動車は補助的な交通機関で、鉄道の路線が敷かれていない都市間において、主に使われている。
街道を走り続けていると、数百メートル離れた右前方に、鉄道の列車が見えてくる。
クルサード大陸の西側の大都市を巡る、グレートウェスタン鉄道の貨客列車が。
一見すると、巨大なシリンダー型の機関車は、蒸気機関車風の見た目であり、煙突からは灰色の煙を棚引かせている。
あくまでも蒸気機関車風の見た目であり、蒸気機関車ではない。
フェルサというエネルギー源を使う、フェルサ機関で動く、フェルサ機関車である。
アガルタの中では、「アガルタイズ」と呼ばれるフェルサの塊が、採掘される。
無限に湧き出るに等しいアガルタイズを採掘し、他の都市に販売して稼ぐのも、サウダーデの主力産業の一つである。
アガルタイズの採掘の為だけに、アガルタに下りる者達は、冒険者ではなく採掘者と呼ばれている。
貨客列車はサウダーデで採掘されたアガルタイズを、他の都市に輸送するのだ。
無論、客車もあるので、都市間の人々の移動にも、使われている。
寧人とヘルガは、すぐに貨客列車に追い着き、追い越してしまう。
輕身功を発動してはいるが、大してスピードを出している訳ではないのに、追い越せてしまったのは、サウダーデに近付いたせいで、貨客列車が減速し始めていたから。
洞天福地の麓からサウダーデの外縁部までは、数キロしか離れていない。
故に、輕身功を使っている寧人達は、すぐにサウダーデに辿り着いてしまうのだ。
自由都市であるサウダーデは、住みたい人が空いてる土地に、勝手に建物を建てるという、出鱈目なやり方で発展してきた。
そのせいで、土地計画とは縁遠い都市といえる。