「人が船に乗り、自分の島から別の島に渡るように、ごくたまに……人が自分の世界から別の世界に、渡ってしまうことがある」
夢琪は寧人を指差し、言い添える。
「それが、お前さんに起こったことだ」
(要するに、アニメやラノベなんかでよくある、異世界転移っぽいことが起ったって言ってるのか)
ゲームだけでなく、アニメやラノベも好きな寧人は、そんな風に解釈する。
だが、夢琪の話を、そのまま信じる程、寧人は素直な人間ではない。
「いや、でも……そんな荒唐無稽なことが、俺に起こる訳が……」
「起こるさ、お前さんは
「……そんな物、持っていないんだけど」
「持っているからこそ、お前さんは死んだ後、洞天福地に送られて来たのさ」
自信有り気に言い放った後、夢琪は立ち止まる。
目的の場に、夢琪は辿り着いたのだ。
(今、俺が死んだ……みたいなこと言ったよな、この人?)
そのことについて、寧人が訊く前に、夢琪は口を開く。
「当分の間、お前さんは日本には帰れないので、洞天福地で暮らして貰うことになるんだが、どうせ住むのなら、ここがいいだろう」
立ち止まった寧人の目の前には、一軒の建物があった。
他の建物に比べれば、かなり小さいのだが、日本でいえば農家の家程の大きさがある、余裕で大家族が暮らせそうな、瓦葺の平屋が。
灰色の煉瓦造りであり、窓や扉には古い中国の建物のように、凝ったデザインの格子がはめられている。
ただし、窓には板ガラスが嵌められているので、デザインが古く見えるだけで、機能的には古くはない。
「六十年……いや、六十五年くらい前だったかな? 以前、日本から来た奴が、暮らしていた家でね……」
懐かし気な口調で、夢琪は続ける。
「いつか自分のように、洞天福地を訪れるかもしれない日本人の為に、色々と残して日本に帰ったから、お前さんにも役立つ物が、きっとあるだろう」
そう言いながら、出入り口の右側を、夢琪は指差す。
出入り口の開き戸の右には、以前の住人の苗字が記された、古びた木製の表札が掲げられていた。
表札に墨で書かれた文字を見て、寧人は驚きの余り、我が目を疑う。
何故なら、表札に書かれていた苗字が、「神志南」であったから。
自分と同じ苗字、しかも寧人は表札の字の筆跡に、見覚えがあったのだ。
「この字は、爺ちゃんの……」
寧人の祖父には、「神志南」という苗字を書く時、「志」という字を、他の二字よりも露骨に大きく書く癖があった。
祖父は「
表札に書かれた「神志南」は、「志」が露骨に大きく書かれていた。
だからこそ、寧人は祖父の字だと、気付けたのである。
「その通り、この字は……お前さんの祖父、
「じゃあ、以前、日本から来た奴っていうのは……」
「弾だよ。弾も歸來符籙を使い、日本から洞天福地に来たのさ」
「爺ちゃんも俺みたいに死んで、洞天福地に来たの?」
「いや、弾は死なずに、生きたまま自分の意志で、洞天福地に来たんだ。そういう意味じゃ、お前さんとは違うね」
「爺ちゃんが、自分の意志で洞天福地に来た? 爺ちゃんは洞天福地に、何をしに来たんだ?」
「修行だよ。武術と仙術……武仙として戦う方法を身に着ける為のね」
夢琪の言葉を聞いて、寧人の記憶の扉が開く。
子供の頃、弾に武術を習っていた時、どこで武術や仙術を習ったのか、寧人は弾に訊いたことがあったのだ。
「……若い頃の話だが、その頃の俺じゃ勝てなかった敵に勝つ為に、洞天福地って所に行って、強くて綺麗な仙女の師匠達に、修行をつけて貰ったんだ」
そんな返答を聞いたのを、今になって寧人は思い出した。
(だから、洞天福地って言葉を、聞いた覚えがある気がしてたんだ)
実際に弾から聞いていたので、寧人は洞天福地という言葉に、聞き覚えがあったのである。
弾の字を見て、弾がしていた話を思い出し、寧人はようやく、夢琪の話を信じられるようになる。
「爺ちゃんは洞天福地で、強くて綺麗な仙女の師匠達に、修行をつけて貰ったって言ってたんだ……」
「綺麗かどうかは知らないが、その師匠の一人は、あたしさ」
そうなのではないかと思い始めていたのだが、二十代中頃にしか見えない夢琪が、祖父の師匠ということが、寧人には信じ難かった。
「そんな年には、見えないんだけど?」
「あたしは仙女……仙人や仙女は不老不死でね、身体が年を取らないんだ」
夢琪の返答を聞いて、寧人は納得しつつも、驚かされてしまう。
「弾の奴は若い頃、どういう訳だが、日本にあったらしい陰陽寶珠を、妙な経緯で手に入れてしまったらしいんだが、使いこなせずに困っていたんだ」
夢琪は扉の取っ手に手を伸ばす。
取っ手には「封」と書かれた、日焼けした紙が貼ってあるが、夢琪が触れると、紙はボロボロになり、崩れ落ちて消えてしまう。
出入り口の扉だけでなく、家全体を侵入者から守っていた封印が、解かれたのだ。
「陰陽寶珠の力を引き出すには、氣を操る武術と仙術の両方が必要だが、日本……というか、お前さん達の世界では、そういった術を習得するのが難しかったそうだ」
実際は日本にも、氣を操る武術は存在するし、中国から伝わった仙術を受け継ぐ者達もいる。
だが、そういった術の使い手に、若い頃の弾は日本で出会えなかったのだ。