「梁さん、あたし達……口は堅い方なんだけど、信用されてない?」
近くを通り過ぎようとした夢琪に、カウンター席の赤毛の女性が、そんな言葉で問いかける。
客である自分達には聞かれたくない話を、寧人相手にする為、夢琪が場所を変えようとしていることを、赤毛の女性は察したのだ。
「シェイラさん達のことは信用しているけど、それでも知らない方が幸せなことが山程あるのが、世の中というものじゃないかね?」
立ち止まり、赤毛の女……シェイラ・リベラに、そんな言葉を返してから、夢琪は再び出入り口に向かって歩き出す。
夢琪に続いて、シェイラ達の近くに来た寧人は、立ち止まって深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。
「さっきは、御免なさい! ホント……わざとじゃなかったんです!」
シェイラ達は互いに顔を見合わせ、目線で意志を確認する。
そして、銀髪の女が、グラスを見せつつ口を開く。
「梁さんと酒に免じて、許してやるけど……悪いと思ってるなら、一つ貸しってことにしとくから、その内返してくれ」
銀髪の女の言葉を、黒髪の女が受け継ぐ。
「私達……モリグナの裸を見た御代は、高いよー」
「いや、湯気とお湯で、見えてなかったから!」
弁解の言葉を口にした後、もう一度頭を下げてから、寧人は夢琪の後を追う。
モリグナという言葉の意味を、訊きたくはあったのだが、既に出入り口に辿り着いていた夢琪を、待たせない方がいいと思ったので、訊かずに三人の前を後にしたのだ。
(まぁ、私達って言ってたから、グループ名か何かだろ)
心の中で呟きながら、寧人は夢琪と共に、出入り口から外に出る。
露天風呂で意識を失った時より、暗くはなっているが、まだ夕方といえる程度に、外は明るかった。
寧人は後ろを振り返り、少し前まで自分がいた建物の外観を確認する。
見る方向は違うが、煉瓦造りの平屋という外観から、露天風呂で目にした建物なのではと、寧人は推測する。
少し離れた所に、似たような平屋の建物もある。
「
建物に興味を示した寧人に気付き、夢琪が簡単に説明する。
「ここには色々な温泉や泉があるんだが、客に開放しているのは八卦溫泉だけで、女性の客しか受け入れていないんだ。あたし達は女所帯だから、男性客は扱い難いのさ」
夢琪は前方にある、煉瓦を積み上げた塀を指差す。
「客が出入りできるのは、この辺りだけ……あの塀の手前だけだよ」
煉瓦といっても、紅囍館の建材に使われている、赤い煉瓦とは違う物だ。
コンクリートのような、灰色の煉瓦である。
五メートル程の高さの塀には、出入り口らしいアーチ状の穴が、あちこちに開いている。
穴の一つに向かって、夢琪は石畳の上を歩いて行く。
穴を通り抜けると、その先には幾つもの建物があった。
高く跳躍した時に目にした、五重塔風の高い塔や、古い中国の城や楼閣のような建物を、今度は見上げる形で、寧人は目にすることになった。
(凄いな……三国志の映画とかに、出てきそうな建物だ。こんな建物、日本にある筈がない)
率直な感想を、寧人は心の中で呟いた後、夢琪に問いかける。
「あの……ここは何処なんですか?」
「洞天福地さ」
夢琪は踊るように、時計回りに一回転しつつ、周囲を指差してから、言葉を続ける。
「この山全てが洞天福地、あたし達……
「武仙幫?」
武仙の方は、祖父に教わっていたので、元々意味を知っている言葉だった。
武術と仙術を操り、戦う者達を意味する言葉で、寧人自身も假面武仙に変身するのだから、知らない訳がない。
(この人達は、武仙なのか? 確かに、無茶苦茶強いみたいだから、その可能性はありそうだ)
考えごとをしながら、寧人は夢琪の後を歩き続ける。
「洞天福地の西には、大きな町がある。その町の名が、さっきヘルガが言っていたサウダーデさ」
寧人の頭の中に、跳躍中に遠くに見えた、盆地にある都市の光景が浮かんでくる。
「あれがサウダーデか……明らかに日本の町の名前じゃないな。いや、北アルプス市みたいなのが、あるにはあったけど」
「日本ではないのだから、町の名が日本風じゃないのは、当たり前だよ」
「日本じゃないなら、ここ……どこの国なんです? 俺は日本の埼玉で死んで、気付いたら……ここにいたんだけど」
「この辺りは、どこの国にも属していないし……」
夢琪は歩きながら、重大なことを涼しい顔で口にする。
「そもそも、お前さんが生まれ育った世界とは、別の世界にあるんだ」
寧人は驚きの余り、呆けたように目と口を開けたまま、硬直してしまう。
数秒後、何とか硬直が解けた寧人は、上擦り気味の声で、夢琪に問いかける。
「べ、別の世界? 何、それ? どういうこと?」
「言葉通りの意味だよ」
寧人が驚くのを予期していたのだろう、夢琪は丁寧な口調で、説明を続ける。
「世界というのは島のようなものでね、海に沢山の島があるように、世界も沢山存在して、この世界も……お前さんが生まれ育った世界も、その一つなのさ」
(……パラレルワールドとか、
寧人は心の中で、自問する。
日本にいた頃、そういった設定が登場する娯楽作品を、色々と楽しんだことがあったので、パラレルワールドや多元宇宙について、寧人は一応は知っていたのだ。