(いや、そんなことより、こんな勢いで落ちたら、死んじまうって! いや、ここはあの世で、もう俺は死んでるんだろうから、死なないのか?)
とにかく、寧人は慌てて陰陽寶珠を出現させ、假面武仙に変身しようとする。
假面武仙に変身し、防御能力を引き上げれば、落下によるダメージは軽減されると考えたのだ。
だが、落下スピードは速く、寧人は陰陽寶珠を出現させる前に、温泉の中に墜落してしまう。
凄まじい湯飛沫が、間欠泉や噴水のように上がる。
(あ痛たたたたたたた! 痛いって死ぬわマジでっ!)
湯が口の中に入ったせいで、声が出ない為、寧人は心の中で悲鳴を上げる。
何とか足の方から下りられたのだが、墜落の衝撃で、全身が軋み……激痛に身体が悲鳴を上げる。
いくら氣で身体能力が強化されてるとはいえ、百メートル以上の高さから墜落すれば、身体は無事では済まないと、寧人は思っていた。
だが、激痛を覚えはしたのだが、寧人は自分の身体が無事であるのを、すぐに自覚した。
湯を口から吐き出すべく、すぐさま立ち上がれたので、そのことに寧人は気付けたのだ。
寧人は全身の状態を、目で見て確認してみるが、怪我もなければ、骨にも異常はなかった。
変化したことといえば、着衣と身体を濡らしているのが、水から湯に変わったことくらいだった。
(水にずぶ濡れになったと思ったら、今度はお湯かよ……)
自嘲しながら、寧人は周囲の様子を確認する。
すると、湯気で確認し難いのだが、露天風呂らしき光景が、寧人の目に映る。
学校のプールを超える大きさの、かなり広い露天風呂だ。
その中央に、寧人は墜落したのである。
地面に埋め込まれている露天風呂の浴槽は、石材で作られていて、寧人が墜落した衝撃にも耐え切っていた。
墜落時の衝撃の余波だろう、湯面は激しく波打っている。
湯気のせいで見え難い中、寧人は建物を視認する。
はっきりとは見えないのだが、跳躍中に見た高い建物とは違う、煉瓦造りの平屋の建物のように、寧人には見えた。
(あそこに行けば、誰かいるかも……)
そう考えた寧人は、湯の中を歩き始める。
そして、湯気で視界が悪い中、十メートル程歩いた辺りで、寧人は湯気の中に人影を視認する。
(人がいたのか!)
明らかに人が使う為に作られている露天風呂なのだから、人がいてもおかしくはない。
だが、湯気のせいで人影が見えなかった為、寧人は誰もいないと、思い込んでいたのだ。
ここが何処なのか訊きたいので、人に出会えること自体は、寧人にとっては嬉しいことだ。
だからこそ、人がいるかもしれない建物を目指し、移動してきたのだから。
でも、温泉に浸かっている人となれば、話は別である。
男であれば問題はないのだが、女の場合は問題となる。
何かを着たまま温泉に浸かるのなんて、温泉をレポートする女性タレントくらいだろう。
つまり、この温泉に浸かっている女は、当然裸ということになる。
見知らぬ女が裸で温泉に入っている所に、男である自分が姿を現すのは、さすがに問題が有り過ぎる。
それ故、出来れば男であって欲しかったのだが、風が吹いて湯気が流れ、姿を現した人影は……女であった。
(そう言えば、風に乗って女の声がしたような気が……この人達の声だったのか?)
明らかに日本人ではない、二十代前半と思われる、三人の若い女性達が、湯に肩まで浸かった状態で、寧人を見上げていた。
何かが露天風呂に墜落したらしいことには、気付いていたのだが、女性達の方も湯気のせいで、近付いてきた寧人が男だと、分かっていなかったのだ。
女性達の表情が、驚きと嫌悪の表情に変わる。
明らかに、寧人を変態や性犯罪者だと見做した表情を、女性達は浮かべている。
(やっばい、俺……変態と思われてるっ!)
自分がどんな風に思われているかを察し、焦りながら弁解しようと、寧人は口を開く。
「いや、あの……違うんだ!」
だが、寧人以上に驚き焦っている女性達は、聞く耳など持たず、次々と大声を上げる。
「変態だー! 覗きだよ覗き!」
「いや、覗いてるってレベルじゃないでしょ! 痴漢とかレイプ魔とか、そのレベルの性犯罪者だよ!」
「ヘルガさん! 性犯罪者だよ! 助けてっ!」
最後の一人が、ヘルガという者に助けを呼んだ直後、寧人が目指していた建物の方から、黒い人影が素っ飛んでくる。
湯気のせいで、人影が自分に近付くまでは、はっきりと姿が寧人には視認できなかった。
だが、すぐに寧人は、その姿を視認できるようになる。
黒い人影は、三十メートル程は離れていただろう建物から、まさに一瞬で寧人の前に移動してきたので。
姿を現したのは、褐色の肌に黒いショートヘアー、膝丈スカートの黒いメイド服に身を包んだ、十代中頃に見える少女。
怒っているせいだろう、その目付きと表情は鋭い。
ただ、その少女は明らかに、普通の少女ではなかった。
輕身功を使っているとしか思えない、異常な速さを見せつけた時点で、普通ではないのだが、見た目も普通ではないのだ。
髪の毛からは、黒い猫耳らしき何かが飛び出していて、おまけにお尻の辺りからは、黒い尻尾が生えているのである。
(え? メイド服姿の、猫耳美少女?)
いきなりの猫耳メイド美少女の登場に、寧人は驚きの余り、反応が遅れる。
いや、仮に驚かずとも、今の寧人の反応速度では、間に合わなかっただろう。
それ程、ヘルガと呼ばれた少女の動きは、速過ぎた。
回避も防御もできぬまま、寧人は少女が放った跳び蹴りを、胸の真ん中に食らい、吹っ飛ばされる。
(あれ? 今の蹴りって……確か……)
湯の中に倒れ込みながら、遠ざかる意識の中、寧人は少女が放った蹴りに、見覚えがあるような気がしていた。
何故、見覚えがあるかは、意識がはっきりしなくなってきたので、思い出せはしなかったのだが。
「この変質者が!」
吐き捨てるような刺々しい口調で、少女は続ける。
「殺してやりたいところだが、
(……生かしておいてやるということは、俺は……まだ生きているのか)
他者である少女が、どうやら自分のことを生きていると認識しているのを知り、寧人は自分が死んだ後、あの世にいる訳ではなく、生きているらしいことを知る。
そして、そのまま寧人は、意識を失ってしまう。
♢ ♢ ♢