(もう少し、まともに修行しておくんだった)
後悔の念に、寧人は苛まれる。
(ま、今更後悔しても遅いか。今出来ることに専念しないと)
絶望的な状況ではあるのだが、寧人は諦めてはいない。
寧人は氣を練り続け、全身に満たし続ける。
変身時の陰陽寶珠には、氣の増幅能力や制御能力がある。
それ故、氣を練り操る能力が低い寧人であっても、普通なら不可能なレベルの、強力な氣をエネルギー源とした、能力や技を使えるのだ。
(傘が消えると同時に、西の茶畑の方に向かって、全速で逃げよう)
そう寧人が決意した直後、屏障仙傘の傘の部分が、現れた時と同様に、一瞬で消え去ってしまう。
寧人が握っていた中棒の方も、ほぼ同時に消え去り、瓢箪型のカプセルの蓋が閉じられる。
とうとう限界を迎えた屏障仙傘が、その役目を終え、カプセルの中に戻ったのだ。
使い終えた寶貝は、自動的にカプセルの中に戻る仕様になっているのである。
(今だ!)
寧人は陰陽寶珠の力を借りて、
中国武術には、氣をエネルギー源とする、
輕身功は內功の一つであり、輕身功を発動した者は、人間の限界を超えた疾走能力や跳躍能力を、発揮できるようになるのだ。
寧人は輕身功を使う為、気を全身に巡らせていたのだった。
ただ、厳密に言えば、寧人が使う輕身功は、中国武術のものではない。
祖父に習った、中国武術とは似て非なる武術の輕身功なのである。
路面を蹴って駆け出した寧人は、ドラゴンを見上げて様子を確認しつつ、風のような速さでアスファルトの上を疾走する。
ドラゴンとミサイルの破片群の下を、寧人は駆け抜けて行く。
程なく、後方から激しい衝突音が響いてきて、道路が揺れる。
転びそうになりながらも、寧人は止まりはせずに、走りながら後ろを振り返る。
寧人の目に、路上に着地したドラゴンの後ろ姿と、道路や建物に降り注ぐ、ミサイルの破片群が映る。
路面のアスファルトは地割れのように裂け、道の両側に並んでいた建物は、火山弾のように降り注ぐミサイルの破片群により、半壊と言える状態。
ほんの少し前まで、普段と変わらなかった街の景色が、既に戦場や大地震の後のように、破壊されていた。
破壊を引き起こしたドラゴンは、巨体に似合わぬ素早い動きで、身体を時計回りに半回転させ、寧人のいる方を向く。
半回転したせいで、ドラゴンの恐竜のように長い尾が、北側に建っていたテナントビル数棟を直撃し、あっさりと薙ぎ倒してしまう。
ドラゴンは寧人を睨み付けると、逃がさないと言っているかの様に咆哮する。
大気を震わせる咆哮の直後、大きく息を吸い込んだドラゴンは、寧人のいる方向に向け、勢いよく息を吹き出す。
口から火炎や極低温の冷気、毒などを放ち、敵を攻撃するのは、ブレスと呼ばれる、ドラゴンの主な攻撃手段である。
今回、ドラゴンは単に空気を吹き出しただけなのだが、その勢いは凄まじく、暴風となって寧人に襲い掛かる。
ドラゴンの場合は、強く息を吹き出すだけでも、強烈な攻撃となるのだ。
もっとも、ドラゴンの息吹は、強力な生命エネルギー……つまりは氣や魔力を含んだ息吹である。
故に、ただの空気の暴風という訳でもないのだが。
路上に停められていた自転車やバイク、自動車などを吹き飛ばし、道路の左右に立ち並ぶ建物を、倒壊させる程の暴風は、速いだけでなく攻撃範囲も広い。
後ろの様子を確認しつつ、疾走していた寧人は、ブレスによる攻撃を視認していたのだが、回避できない。
寧人は情けない悲鳴を上げながら、暴風に三百メートル程吹っ飛ばされ、茶畑の上に落下する。
茶畑とはいっても、爆撃でも受けたかのように、茶の木々は暴風で薙ぎ払われ、茶色い土ばかりになっているので、荒れ地に受け身もとれずに、叩き付けられたも等しい状態だ。
普通の人間であれば、人の姿を保てぬ程に痛めつけられ、肉塊となっている程の衝撃を、寧人の身体は受けていた。
それでも、まだ寧人は死んではいなかった。
假面武仙となった状態では、防御能力が相当に引き上げられるので、寧人は死なずに済んだのだ。
もっとも、寧人は無事で済んだ訳ではなく、かなりのダメージを負っていた。
左腕の骨と肋骨が三本折れてしまい、他にも数か所の骨にヒビが入ってしまっている。
全身を激しく打ち付けてしまったので、体中が激痛に悲鳴を上げている。
(……もう一発、今のを食らったら……終わりだ)
地に伏していた寧人は、全身で地面が揺れるのを感じる。
巨体のドラゴンが突進してくるせいで、地面が揺れているのを、寧人は察する。
(早く、体勢を立て直さないと!)
必死で起き上がろうと、寧人は身体を動かす。
全身の骨が軋み、激痛が走る上、骨が折れた左腕は、まともに動かないが、それでも寧人は何とか立ち上がる。
だが、ドラゴンは既に、寧人の近くまで迫っていた。
茶畑に足を踏み入れたドラゴンと寧人の間合いは、既に百数十メートルといったところ。
(逃げるのは……無理だ)
土煙を上げ、地面を揺らして突進してくるドラゴンの移動速度は、輕身功を発動した寧人の全速力と同程度。
だが、既にダメージを負っている寧人は、全速力を出せないので、ドラゴンには追い付かれてしまう。
仮に全速力が出せたとしても、ドラゴンにはブレスという、広範囲を薙ぎ払える強力な遠距離攻撃手段がある。
火炎や極低温の冷気、毒などを放つブレスに比べれば、暴風のブレスの攻撃力は弱いのだが、暴風のブレスとはいえ、もう一度食らってしまえば、寧人は耐え切れないだろう。
攻撃範囲が広い、暴風のブレスを回避するのは、今の寧人には不可能。
逃げたところでブレスを食らい、倒されてしまうのは確実だ。
無論、暴風よりも強力なブレスを、ドラゴンが使ってくる可能性もある。