「わ、ワンワン!!」
「まだ少し恥じらいが残っているわね。やり直しよ」
「ワンワン!」
次にライラは背筋を伸ばし、耳まで真っ赤になりながら、もう一度犬の鳴き声を真似た。
「ふふ、よくできました♪」
満足そうに微笑むミルネシアが、ライラの頭を優しく撫でる。その手つきは完全に犬を可愛がる飼い主のそれだった。
「ミ、ミル、もうやめようよ! なんでこんなこと……」
「だって、ライラったら調子にのって私の膝に頭を乗せてきたでしょう? それは命令になかったもの。だから、飼い主としてのしつけをしてあげないと」
「ち、違うもん! ミルの膝が気持ちよさそうだったから、ちょっとだけ……!」
「言い訳するワンちゃんには、お仕置きが必要ね」
「えっ、ミル!? なにを――きゃっ!?」
ライラの抗議は最後まで続かず、ミルネシアの手によって優しく頬をつねられた。
「んふふ、可愛いライラ。ほっぺ、ぷにぷにね」
「も、もうやめてよぉ……!」
ライラは顔を覆いながら悶えるが、その頬は触れられた部分だけさらに赤くなっていた。
(ああ……でも、懐かしい。そうだ、私は……このやり取りを一度――)
次の瞬間、頭を駆け巡るのは、血に濡れた査問会の光景。
――裏切り者の烙印を押され、毒を盛られ、倒れる自分。
――ミルネシアが泣き叫ぶ声。
――視界が暗転する瞬間の、どうしようもない絶望感。
(……私は、一度死んだ)
ぞくりと背筋を這う冷たい感覚に、ライラの目の前の光景が揺らぐ。だが、次の瞬間、目の前には変わらないミルネシアの笑顔があった。
(でも、こうしてやり直せている。いや――巻き戻っているというべきなのかな)
――あの時と同じだ。
王国が襲撃し、その最期を見届けようとしたあの日。
"お姉様"と慕っていた女性に裏切られ、ミルネシアが命を落とした瞬間、ライラもまた確実に殺された。
だが、気がつけば――自分とミルネシアが死ぬ、わずか数分前に戻っていた。
原因は分からないが、今回もまた死に戻ったのなら、このあと起こる未来を変えなければならない。あんな最悪な結末にならないように。
二度目の死を迎えたことで、今度こそ確信した。
――自分は、ミルネシアと共に生きたいのだと。
あれほどの過ちを犯しておきながら、なおも彼女と共に生きたいと願うなんて――自分は一体、何様のつもりなのだろう。
わがままだと分かっている。身勝手な願いだということも。
それでも、もう止まれなかった。
(……考えろ、どうすればいい?)
冷静に状況を整理する。査問会が行われるまで、あと一週間。あの場でグラウド卿が手に入れた決定的な証拠――偽造された手紙と、シャーリーの証言。
(手紙は確実に偽造。なら、誰がどのタイミングで私の部屋に仕込んだ?)
あり得るとしたら、査問会当日だろう。
あの後シャーリーには時間があった。後片付けと称して、手紙を入れ、あたかも自分が見つけたとでっちあげる事ができた。それか同僚のルイディナに見つけさせる方法もある。
ライラはシャーリーが証言した自分の寝言は嘘だと断言できた。
(私は元々帝国という国が好きではないし、一度殺されてからあの人の事は嫌いになった。ミルが言ってた蛙化現象ってものに当てはまる。だから寝言でも言うはずがないんだ!)
注意しないといけないのは、シャーリーの動向である。
彼女は元々グラウド卿の手の者であり、自分を監視していた。彼女が敵なのか、それとも別の思惑があって協力しているのかをライラは査問会が始まるまでに見極めなければならない。
(やっぱり、うまく……思い出せない)
査問会の時、宰相は彼女の事について何か話していたのは覚えているが、裏切られた衝撃が多すぎて忘れてしまったのか、はたまた死に戻った直後だからか記憶が混濁しているのか詳細を思い出せなかった。
(時間は、まだある。動けるうちに動くしかない!)
ここでウジウジしていても何も始まらない。と改めて気を引き締めたライラだったが、目の前のミルネシアはまだ楽しそうにしていた。
「……ん? どうしたの、ライラ?」
「あ、ううん。なんでもないよ、ミル」
ライラは微笑みながら、そっとミルネシアの手を握る。
「次の命令は何?」
彼女にはまだ話せない。話したくない。話せば、優しい彼女は心配してしまう。だから……。
ミルネシアはライラの手を握り返し、ふふっと微笑んだ。
「じゃあ、そうね……次の命令は――」
冗談めかして言葉を続けようとしたが、ミルネシアはふとライラの表情が微かに強張っていることに気づいた。先ほどまで照れながらも甘えていたはずの彼女が、どこか別のことを考えている。
「ライラ?」
名前を呼ばれると、ライラは一瞬びくりと肩を揺らしたが、すぐに愛想のいい笑顔を作った。
「んー? なぁに?」
「……何か、考え事をしていたでしょう?」
「そ、そんなことないよ! ミルの膝枕が気持ちよすぎて、ちょっとボーっとしてただけ!」
ライラは慌ててごまかしたが、ミルネシアはじっと彼女の瞳を見つめる。優しく、それでいて鋭い視線。まるで心の奥まで見透かすかのようだった。
「ほんとだってばー!」
内心焦るが、ここで何かを悟られるわけにはいかなかった。今話したところで、ミルネシアが無茶をする可能性がある。それだけは避けたかった。
(査問会までは、私がなんとかしなきゃ)
ライラは心の中で強く決意を固める。
今度こそ、未来を変えるために。
ミルネシアと共に、生きるために。