「査問会、頑張ってきてくださいね! シャーリーは諸事情で会場まで行けませんが、ここで応援してますので!」
シャーリーは私の手をギュッと握り、いつもの明るい笑顔で送り出してくれた。
「今朝も美味しいミルクティーをありがとう。おかげで元気をもらったよ」
そう伝えると、彼女は嬉しそうに頷き、「ライラさんのためなら、何杯でも作ります!」と胸を張った。小柄な体に似合わぬ頼もしさに、思わず微笑んでしまう。
実は、今朝のミルクティーは少し失敗していた。いつものものより明らかに甘すぎたのだ。
シャーリーがミルクティーを作る際、査問会当日という緊張のせいか、手が震えているのが見えていた。その様子を見て、彼女も私と同じように不安や緊張を抱えていることが伝わってきた。
(一緒にいた期間は短かったけど、もう私がここに戻ってこない可能性もあるからね)
だからこそ、あえて何も言わなかった。「作り直して」と告げることは簡単だったかもしれない。それでも、今の彼女に余計な負担をかけるのは避けたかった。
ほんのりと甘すぎるミルクティーを口にしながら、胸の奥に湧き上がる感謝の気持ちを噛みしめた。彼女なりの精一杯の気遣いが、その一杯には確かに込められていたのだから。
「じゃあ、行ってくるね。待っていて」
「はい! シャーリーはここで、全力で応援してます!」
シャーリーの声が遠ざかり、監視役の衛兵とともに離宮を出ると冷たい風が頬を撫でた。冬の始まりを告げるその冷たさが、これから向かう場の厳しさを思い起こさせる。それでも、背中を押すようなシャーリーの笑顔と声を思い出し、自然と背筋が伸びる。
裁判とは名ばかりの査問会。私はそこに立ち、自らの罪と向き合い、正当性を主張しなければならない。厳しい視線、冷たい言葉、そして私を糾弾する者たち。
待ち受けるのは容赦ない問いと私を試す時間だ。それでも、シャーリーの「頑張ってください!」という言葉が胸に残っている限り、足を止めるわけにはいかない。
「こちらにお乗りください」
「ミル……ミルネシア様は?」
「先に到着しておいでです」
「分かりました」
黒塗りの馬車が離宮を離れる。窓は魔法でコーティング済みで外から私のことは見えないようになっている。
窓の外に広がる景色はどこか重々しく、街の人々の表情にも不安と期待が入り混じっているように感じられた。
彼らの視線が、見えない刃となって私に突き刺さる。それは当然のことだ。私はこの国を裏切り、多くの命を危険に晒したのだから。
ふと、目を閉じる。頭に浮かぶのは、シャーリーの言葉とともに、ミルネシアの顔だ。彼女がいてくれる。それだけが、今の私を支える唯一の支柱だった。
馬車が城門を抜けると査問会が行われる王宮とその奥に続く大広間が見えてきた。重厚な石造りの城が目の前にそびえ立ち、これから始まる運命の場を思わせるように威圧感を放っている。その周囲には、世紀の裁判の内容をひと目見ようと集まった人々が溢れかえっていた。
傍聴席に入るための列は、城の外まで続いている。その顔ぶれは様々で、野次馬のような興味本位の者もいれば、真剣な表情で事の行方を案じる者もいる。人々のざわめきが馬車の中にも微かに届き、まるで鼓動のように響いていた。
「すぅ……はぁー」
深く息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。心を静めようと努めるものの、緊張で手のひらがじっとりと汗ばんでいるのがわかる。この空気の重さは、否が応でも自分の立場を思い知らせてくる。
「ん」
今日の決意を胸に刻み込みながら、私はゆっくりと目を開けた。
「必ず……自分の声で語るんだ」
自分にそう言い聞かせながら、馬車の扉が開く音を聞いた。目の前に広がるのは、私を裁こうとする者たちの舞台。それでも、私は怯まない。シャーリーやミルネシア、そして私を信じてくれる誰かのために、ここで立ち向かう。
「ここまで移送してくださり、ありがとうございました」
「いえ、仕事ですので。あとはあちらの指示に従って会場までお願いします」
「はい」
歩みを進める足取りは、今までよりも少しだけ強く、確かだった。
◇◆◇◆◇
市民たちが集うのは、王宮内部に設置された臨時の裁判場だった。普段は部外者の立ち入りが禁じられている場所だが、この日ばかりは特別に開放され、多くの市民が足を運んでいた。場内は重苦しい空気に包まれながらも、好奇心や興奮が入り混じったざわめきが漂っている。
「おい、あれってハディオット将軍だよな? こんな近くでみるのは初めてだ。でけぇ」
「あっちにいるのはミルネシア様の秘書官で、事務局長のメアリー様だわ! 今日も美しい……」
「王族って、本当に別格だな。パレードの時とは違って、威厳がすごい」
それぞれが目にした光景について語り合う中、ライラの名を口にする者たちもいた。
「ライラちゃん……私は信じてるよ。あんたが悪い子じゃないってことを」
「わかっておるだろうな若造。もしあの子が無実だったら、一発ぶん殴る約束を」
興奮の中には怒りも混じっていたが、それ以上に、裁判の行方を見届けようとする期待感が勝っているようだった。
「あーあー。なんたって俺はこんなつまらない会場に朝早くからきちまってんだか。おい、ジジイ。俺が正しかった時にはちゃんとタダ酒奢ってもらうからな」
そこには店で乱闘を起こした客もいた。どうやら老夫婦によって朝から連れ出されたらしい。
平時には会うことのできない高貴な人々が一堂に会しており、民衆の間には興奮の色が見て取れた。
特に、幼い頃から王女ミルネシアを知る者たちは、彼女の成長した美しさを目の当たりにし、思わず涙ぐむ者まで現れるほどだった。
宮廷の貴族や軍の上層部が整然と並び、審議を見守る。
傍聴席には大勢の市民が詰めかけている。その喧騒に混じりながらも、王宮の重厚な雰囲気が場を引き締めていた。
正面には玉座があり、そこに座すべきはずの王の姿はない。代わりに、ミルネシアが毅然とした表情でその場に立っていた。
(まさかお母様が車両トラブルで間に合わないなんて……大事には至らなかったみたいだから、こちらから替えの馬を送ったけど裁判が終わるまでに来られるか微妙なところね)
彼女は父と兄を失い、今やラフストン王国の実質的な統治者だった。だが、その肩にのしかかる重責は計り知れない。
「これより、国家反逆罪の疑いが掛けられた大罪人、ライラ・ルンド・クヴィスト公爵令嬢の査問会を開始する!」
開会を告げる声が響き渡り、場内が静まり返る。審議を司る老人の横には、小太りで貫禄のない男がふんぞり返るように座っていた。
その豪奢な席には似合わない、その男こそ、元大臣であり、新たに宰相の座に就いたモーラン・グラウドだった。
(モーラン・グラウド……査問会を開こうと最初に提案したのもあの男ね。彼の目的が何であれ、すべて思い通りになるとは思わないで)
モーランは元々商人上がりで、狡猾さを武器に権力を手中に収めた男だった。今や彼は、一筋縄ではいかない反対派をまとめた貴族勢力の筆頭として王国の政治を牛耳る立場にあったが、実務はほとんどミルネシアと秘書官のメアリーが担っている。
本来余裕を持って、アリシア妃の到着を待って行うはずだった査問会が早く開かれる事になったのも、この男の影響によるものが大きい。
その時、扉が重々しい音を立てて開かれた。
「入場!」
黒いドレスを身にまとった銀髪の少女が、ゆっくりと場の中央に歩み出る。
周囲からは「「「おおっ……!」」」と美しいライラの姿に、感嘆の声が漏れる。
ドレスは彼女のボディラインを鮮明に際立たせ、その気品ある佇まいが人々を圧倒していた。彼女の魅力を余す事なく引き出していたドレスを選んだのはミルネシアである。
彼女はライラなんだから、当然とばかりに「ふふん」と鼻息を荒くしている。
「ライラ・ルンド・クヴィストです。本日はこのような場を設けて頂きありがとうございました。よろしくお願いします」
毅然とした声で挨拶するライラ。その姿は、罪人でありながらも堂々とした気品に満ちていた。場の緊張がさらに高まり、査問会が幕を開ける。