悪夢を見た。
ミルネシアに見捨てられ、処刑台に送られる夢だ。
悪夢を見た。
ユリアナと共にミルネシアを痛めつける夢だ。
悪夢を見た。
ミルネシアと国を捨て、逃避行の果てにレオン様によって捕らえられる夢だ。
悪夢を見た。
悪夢、悪夢、悪夢――。
「……夢、か」
目が覚めると、見慣れた天井が目に映る。微かに漂う部屋の匂い。それはミルネシアが好んで使っていた香水の香りによく似ていた。
ここは小さい頃にミルネシアが住んでいた離宮である。
ミルが寝泊まりしている宮殿を私に使わせるわけにはいかないので、査問会が行われる日まで、私はこの離宮に軟禁されている。ミルがいない時は自由に外に出ることすら許されていない。
唯一許可されているのは、監視役を二名つけた上での庭園散策だけ。部屋の外では衛兵が待機している。彼らがその監視役だ。
「みず……のみたい」
ひどい夢のせいで全身汗だくになっており、喉も渇いていた。
私は近くにあった呼び鈴を鳴らした。少しして、廊下からバタバタと軽やかな足音が近づいてくる。
(足音からして、シャーリーちゃんかな)
私の予想は的中し、小柄なメイドがひょこっと顔を出した。
「ぜぇ、ぜぇ……遅れました、お嬢様! ご用件はなんでしょうか?」
「シャーリーちゃん。申し訳ないんだけど、そこにあるお水を取ってくれる?」
「はい! お任せください! あ、あと、よろしければお着替えとお身体をお拭きしましょうか? このままでは風邪をひいてしまいますよ!」
「ありがとう。お願いするわ」
「はいっ! シャーリーにお任せください!」
この離宮で私の存在を知る人間はごくわずかだ。私が大罪人であることから、その事実を知る人間を最小限にする必要があるらしい。そのため、身の回りの世話をするメイドも二人だけ。
愛嬌たっぷりなフリル付きのメイド服を着たシャーリーちゃんと昔ながらのシンプルなデザインを好む、無愛想な三十代くらいのルイディナさんだけだ。
「……ふぅ、生き返ったよ」
「お水飲んだら、服を脱いでくださいね。取り替えちゃいますから」
私は、帝国軍に襲われ家や家族を失ったお嬢様という設定になっている。それをミルが保護し、自分の離宮へ連れてきたというストーリーだ。
「ん。ありがとう」
背中を向けると、シャーリーがその小さな手でタオルを丁寧に絞り、「よいしょ、よいしょ」と声を漏らしながら優しく拭いてくれる。その仕草が微笑ましく、つい背中越しに微笑んでしまうが、気づかれないよう口元を引き締めた。
以前、前を拭くと言われた時は、あまりの恥ずかしさに断ったものの、彼女に「それも私の仕事ですので」ときっぱり言われてしまった。あの真剣な眼差しに負け、結局言うがままになったのは、私の甘さゆえかもしれない。
「ライラさん、背中が赤くなっていますけど、力が強すぎましたか?」
「ううん、大丈夫だよ。それに、シャーリーちゃんの手つきは気持ちいいからつい力を抜いちゃったの」
そんな言葉をかけると、シャーリーは顔を赤らめながら「そ、そうですか? 光栄です!」と慌てて答える。その可愛らしい反応に、ふと私の心が軽くなるのを感じた。
彼女が黙々と背中を拭いている間、自然と記憶が蘇る。この離宮で過ごす毎日は、私の罪を背負う時間でもある。けれど、シャーリーのような純粋で一生懸命な人たちが傍にいてくれるから、なんとか自分を保てているのだと思う。
「次は腕を拭きますね」
「あ、ありがとう。もう充分だよ。休んでいいよ、シャーリーちゃん」
「いえいえ! まだ全然疲れていません! ライラさんが気持ち良さそうにしてくれるなら、何時間でも続けられます!」
その言葉に、胸が少しだけ痛む。この子もまた、私の罪が招いた悲劇の中を生き抜いた一人だ。それなのに、私にこんなに明るく接してくれる。
「……ありがとう、シャーリーちゃん。あなたのおかげで、少しだけ心が軽くなったよ」
「えへへ。私なんて、大したことしていませんよ! でも、ライラさんがそう言ってくれるなら嬉しいです!」
その笑顔が、どこか眩しく見えた。私がシャーリーにしてあげられることなんて、ほんの少ししかないかもしれない。だけど、彼女の未来が少しでも明るくなるように――それだけは祈らずにはいられなかった。
シャーリーちゃんはおっちょこちょいだが、私より二つ年下で親しみやすい性格をしている。それに、私が大罪人であると知りながらも態度を変えず、自然体で接してくれるのも好印象だ。
それに初対面の時に「こんなに高貴な方にお仕えできて光栄です〜!!」と言っていたので根っからの良い子なんだろう。
「ライラさんの肌って、すべすべで気持ち良いですよねー」
「そんなことないよ。シャーリーちゃんだってお肌スベスベじゃんか」
「えー、そんなー。私は何も手入れしていませんよー。ライラさんは褒め上手ですねー」
「な、なにもしてない……!?」
二つしか歳が違わないのに、このハリの違い。恐ろしい。私なんて美容のためにいっぱい頑張っているのに。こんちくしょう。
「これが若さってやつか……それに私もシャーリーちゃんと同じ歳くらいの時、こんなにおっきくなかった」
「ライラさんも十分大きいじゃないですか〜。えいっ!」
「わっ、やめてよシャーリーちゃん!」
彼女とじゃれ合いながらも、ふと考えてしまう。今、彼女はどんな気持ちで私に接しているんだろう? 内心、私を恨んでいるんじゃないか、と。
そんなことを考えてしまうのは、きっと今朝見た悪夢のせいだ。そうに違いない。
私が犯した罪は、大きく三つに分けられる。
1.帝国に王国の機密情報を漏らし、騒乱を手引きしたこと。
2.国宝級の魔道具や宝を持ち出し、献上したこと。
3.ミルネシアや国民を欺き、傷つけたこと。
細かく挙げればきりがない。それくらい私は罪を重ね、私のせいで罪のない人々がたくさん死んだ。
シャーリーちゃんも、その被害者の一人だ。
彼女は元々、辺境の地に住む下級貴族の出身だったが、帝国軍の襲撃によって両親を失い、命からがら双子の妹と共に首都へ逃げ延びた。その途中、妹のコレットが敵の毒矢を受け、満足な治療もできないまま走り続けたため、保護された頃には足が完全に壊死していた。
応急処置で壊死の進行を膝下で止めたものの、彼女の足を完全に治すには神国の高位聖職者による高度な治癒魔法が必要だった。治療には莫大な献金が必要で、シャーリーちゃんは大金を稼ぐか、妹の足を切断するかの選択を迫られた。
彼女は即決した。
「妹の足を完全に治してあげたい」と。
その話を聞いた王国の上層部が、彼女を私の専属メイドとして雇ったのだと聞いている。
聞いた話では、彼女達は私のお世話を数日間するだけで、下級貴族の数年分の給金が得られるらしい。それなら頑張るよね。
「ライラさん。まだ体調が優れないようでしたら、もう一眠りされますか?」
「そうだね。それもいいかも」
「ではでは、寝る前にエヴァリス家特製のミルクティーはいかがですか?」
「じゃあ、一杯もらおうかな」
意気揚々とミルクティーを淹れるシャーリーの姿を横目で見ながら、成長したなと思う。初めての頃は、カップを何度も落としていたものだ。
下級貴族に生まれた女性の多くは、長女を除いて上級貴族の屋敷にメイドとして仕えるのが一般的だ。男性の場合、家督を継ぐ長男を除けば、多くが騎士として仕官する道を選ぶ。
これが、この世界における貴族の常識である。
「はい、できました! どうぞ!」
「ありがとう」
彼女が淹れてくれた特製ミルクティーを一口飲むと、体がポカポカしてきて、途端に眠気が押し寄せてきた。
「ちょっと……ねる……ね」
「はい、おやすみなさい、ライラ様。よい夢を」
そのまま私は眠りについた。今度は、良い夢が見られることを願って。