――私はラフストン王国、四大公爵家当主代理のライラ・ルンド・クヴィスト。ミルネシアの……ミルの大親友だ!
――私が好きなのはもう、あなたじゃない。ミルネシア様です!
――ごめんね、ミル。もう一人にはしない。一緒に生き延びよう? 罰はきちんと受けるから……
――お、お願いします姫さまぁー! 私を殺さないでください! ユリアナに仕えていた頃の事、なんでも喋りますからー!!
「ふふっ……私に泣いて懇願するライラ……かわいかったわね」
私は、小さい頃からの習慣で日記を毎日つけている。最近は帝国による侵略戦争の問題で忙しく暫く書けていなかったが、先日久々に書いた日記を読み返し、その時のライラの表情を思い出して、思わず笑みがこぼれてしまった。
「前に書いたのは二週間も前か……ええっと、内容は――シェフのリファさんが塩と砂糖を間違えた話? 我ながらどうでもいい内容ね。でも少しだけ帝国の動きが不安、と書いてあるわね。きな臭さを感じていたけど、日記の中の私はポジティブでいたかったみたい」
公務がひと段落つき、今日は久々にゆっくり過去の日記を読み返す時間が取れた。
「とは言いつつも、一時間後には帝国軍に破壊された施設への視察と応援に行かないといけないのよね……」
視察はいいとして、応援はその言葉通りではない。私は王族であると同時に、国を代表する魔法使いだ。そのため、私一人で数百人分の作業をこなせる――だからこそ、国から「使える奴は使え」と言われているのだ。
「確かに解体作業なんかは私一人でやった方が早いけど……こき使いすぎよね。仮にも私は王族なんだから。でも、民のためになるならいいか。それにしても秘書官が優秀すぎて、私が倒れないギリギリで日程を組んでくるのは許せないわ。まぁ、【
【魔姫】とは、お母様が私につけた二つ名だ。魔法に愛された姫だから「魔姫」。なんとも大層な名前をつけられたものだ。
「なんの捻りもない、そのままの名前。でも、逆にそれが民衆ウケして広く浸透したのよね」
私の名が初めて広まった時のライラの顔を思い出して、思わず苦笑してしまう。『ミルが!?』って顔されてたなぁ。
この二つ名は、当時名を挙げていた帝国の【暴姫】ユリアナに対する牽制の意味も込められていた。彼女に準ずる強者が王国にも存在する――そんなメッセージを民衆だけでなく、敵国にも伝える意図があったのだ。
お母様はその辺りの政治的な感覚が非常に鋭い。人々が何を望み、どのような言葉が心に響くのか、瞬時に理解してしまう。そのおかげで、この「魔姫」という二つ名は、私自身の意思にかかわらず、国の象徴として広く知れ渡ることとなった。
「お母様の手腕には感服するけれど、こういうのは少しだけ迷惑なのよね……」
そもそも私は、「魔姫」などという肩書きを背負うつもりはなかった。ただ国のために力を尽くしたかっただけなのに。けれど、その肩書きがもたらしたものを否定するつもりもない。実際、この名前が広まったことで、国の士気が上がり、帝国の侵略に対する団結も強まったのだから。
「それにしても……ユリアナか」
彼女の名前を口にすると、胸の奥がざわつく。敵国の【暴姫】として、ライラとも深い関係を持ったあの存在。いまもなお、ユリアナの影は私たちの生活に暗く、重く、のしかかっている。
ライラとの溝を今一埋め切れないのもそのせいだ。
「ライラ……」
彼女の罪を裁く査問会が近づくにつれ、不安は募るばかりだ。
「……ダメね。考えすぎてしまうわ」
頭を振り、視線を窓の外に向けた。朝日が柔らかく差し込む庭の向こうには、国を支えるために奔走する人々の姿があった。彼らのためにも、そして何よりライラのためにも、私は一国の王女としての責務を果たさなければならない。
「魔姫である私が弱音を吐いてはいられない。お母様が帰国すれば、きっと何か新しい道が見つかるはず……それまで、私が踏ん張らないとね」
部下たちも文句ひとつ言わずによく働いてくれている。お母様――アリシア妃が戻れば、もう少し事態は落ち着くだろう。連絡係を通じて、帰還のスケジュールも調整済みだ。査問会の日程にもなんとか間に合うはず。
「今月は本当に働き詰めね……早くライラであそびた――会いたい、わね」
思わず呟き、自分で苦笑する。本当はこの時間も執務室にこもって事務処理をしているはずだったが、見かねた部下たちが仕事を肩代わりしてくれたのだ。だから、今だけは少しだけつかの間の休息を楽しんでもいいだろう。
「さて、ライラのことを最後に日記に書いたのはいつかしら……」
私は、本棚に並ぶ日記帳を眺めた。幼い頃から書き続けてきた日記は、サイズやデザインも様々。成人してからは落ち着いたシックなデザインを選ぶようになった。一から読み返していては時間が足りないので、検索魔法を使って「ライラ」という単語を指定する。
そこから最新の物を辿ると魔法の光がパッと反応し、一冊のページを開くよう促した。
その日記には、昔の楽しかった日々が記されていた。ライラと共に過ごした思い出が、鮮やかに蘇る。ミルネシアの胸には懐かしさと共に、切なさが静かに広がっていく。
「……この日ね」
開かれたページには、専属メイドのリルがまだ生きていた頃の記録があった。すべてが穏やかで、幸せだった日々。しかし、それが崩れ去った日の出来事も、そこには詳細に記されていた。
ライラの姉――ネリアが暗殺者に狙われていた私を庇い、命を落とした、あの日のことだ。
「どうして……あの時、義姉があそこにいたのかしら?」
登城予定のなかった義姉が、何故あの場に現れたのか? いまだに分からない。
彼女の最期の言葉を聞く余裕もなく、当時の私は完全にパニックに陥っていた。ただ覚えているのは、襲撃者に向けて魔法を放とうとした瞬間のことだけだ。
次に気がついた時には、すべてが終わっていた。
その日何が起きたのか、父に問うたこともあった。しかし、彼は何も答えなかった。そして今、当時のことをよく知る者はほとんどいなくなった。
「もし、あの時私が少しでもライラに寄り添っていれば……」
事件が起き、姉を亡くしてからあの子は自室に閉じこもるようになった。私もまた、尊敬する人を目の前で失ったショックとライラの姉が亡くなる原因を作ってしまったという負い目から、彼女との距離を置いてしまった。
そこを、あの女――ユリアナがつけこんだのだ。
今、私ができることは少しでもライラを元気づけること。そして、彼女に生きる意味を見つけてもらうこと。そのために私は意味のない命令を出し続ける。ライラも分かっているはずだ。私が彼女を処刑することなど絶対にないことを。媚を売る必要すらないことを。
けれど、これはお互いの贖罪であり、慈愛の形だ。
「お母様は私の味方で、理解者よ。ライラのために、私には思いつかなかった方法で助けてくれるはず……」
もしもダメだったら……そこまで考えて、日記を閉じて立ち上がった。
「――あと30分しかないわね。今日は階下の食堂には誰もいないよう手配したわ。私がいる間は誰も近づかないよう、部下に命じてある。そこにライラを呼びつけましょう。今日の命令は……そうね、『ワン』と鳴いてもらいましょうか」
口元がほころぶ。
「どんな反応をするのか、今から楽しみね」
上手に鳴けるまで解放するつもりはない。
胸の高鳴りを感じながら、ミルネシアは自室を出た。幼い頃、よく二人でランチを食べた場所にライラを呼びつける準備を進めるため――ライラとの新たな絆を求めて。