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第5話 裁かれる覚悟

「なぁ、お前聞いたか? クヴィスト家のお嬢様の話。昔、うちの店によく来てくれてた子だろ?」


「聞いたわよ。でも信じられない。あの子が国を裏切って帝国の暴姫に協力していたなんて!」


 仕事を引退した一組の夫婦が、とある食堂で最近流れてきた噂話をしていると酒を片手に顔を赤くした髭面の男が乱暴に近づいてきた。


「ジジイとババアがなに夢見てんだよ。優しくしてたら後で施しでも貰えると思ってたか? はっ、ありえねぇ。貴族なんて所詮そんなもんだろうが。自分の利益のためならなんでもやるうす汚い連中さ」


 そう吐き捨てると、男はグビッと酒を飲み干し、汚いゲップを吐き出した。


「私たちはそんなつもりであの子に接してないわ!!」


「妻の言う通りだ。この若造が! あの子はそんな子じゃない! 何かの間違いに決まっておるだろうが!」


 老人が拳を握りしめ、声を荒げると男はニヤリと笑って挑発する。


「あぁ? やる気かよ、ジジイ?」


「ちょっとやめてください、あなた。もういい歳なんだから!」


 妻が必死になだめようとするが、夫も聞く耳を持たない。


「それに、あんたもいい歳してそんなことばっかり言ってたら、周りから人が逃げてくよ!」


 老婆の注意も耳をすり抜け、酒に酔った男はわざと大声を出して周囲を煽るような態度を取った。


「あーうるせぇ、うるせぇ! 噂じゃもうすぐ査問会だろうがよ。そこで全部ハッキリすんだよ。お前らが間違ってたってな! へへっ」


 そう言いながら、男は近くのカウンターへグラスを叩きつけるように置き、壮年の従業員に声をかけた。


「おい、マスター。もう一杯持ってこい!」


 従業員は軽くため息をつきながら答える。


「飲み過ぎですよ、お客様。ここは酒場じゃありませんし、私はマスターじゃなくてただのバイトです」


「あぁ? そうだったか。ヒック……店を間違えたみてぇだな!」


 ふらふらと店を出た男は、隣の店に入るとまた同じ調子で周囲に絡み始めた。そして、ついには店の客と乱闘を起こし、騒ぎをさらに大きくしていき衛兵が駆けつける事態となった。


◇◆◇◆◇


――二週間後。王宮内中央 玉座の間


 査問会の知らせが公表されると、ラフストン王国全土が騒然となった。四大公爵家の当主代理であるライラ・ルンド・クヴィストが、王族を危険に晒した罪で裁かれるという噂が広まり、民衆は驚きと不安、興味が入り混じった表情でその行方を見守っていた。


 これまで、当主代理であるライラが国を裏切った事実は伏せられ、民衆には一切知らされていなかった。前国王であり、ミルネシアの父が娘の心情を慮りつつ、さらなる国の混乱を招くことを懸念し、箝口令を敷いていたからだ。しかし、現在はその箝口令も解かれ、ライラの罪が公然と語られるようになっていた。


 一方、渦中のライラは、部屋の隅に用意された二人掛けの椅子に腰掛け、隣に座るミルネシアと共に黙考していた。彼女はユリアナに協力していた過去を思い返しながら、胸に重い石を押し付けられるような罪悪感を抱いていた。


 さらに、ユリアナとの関係を思い出すたびに嫌悪感がこみ上げ、ここ数日、まともに食事を摂ることも、眠ることすらままならない日々を送っていた。


 彼女が投獄されていないのはそんな彼女の精神状態とミルネシア王女の威光によるものが大きい。本来であれば彼女は大罪人。自由に行動する事など許されない立場だ。しかしミルネシアがそばに居るという条件付きで反対する者達をレオンが無理矢理納得させていた。


 王国最強の騎士と魔法使いが揃って彼女を擁護する事で、反対派の声もある程度抑え込まれていた。しかし、それが一時的なものであることは明白だった。査問会の結果次第では、ライラは死刑を含む厳しい処罰を受ける可能性が高い。


 現在の王国は未曾有の危機に瀕している。国の中核を担う者が多く殺され、国政が麻痺していた。そんな時に王族を危険に晒し、国家反逆の疑惑まで掛けられているライラの存在は危険だ。


 レオンやミルネシアも彼女の罪状を擁護する姿勢を見せてはいるが、それはあくまで国難という特殊な状況下だからである。


 最悪の場合、ライラを切り捨てざるを得ない状況になれば、彼女は処刑されるだろう。その可能性を承知の上で、ミルネシアは彼女に寄り添い続けていた。


――そして、何よりその事実を一番理解しているのは、他でもないライラ自身だった。


(私は、ミル。ミルネシア様のために命を捧げなければならない)


 そう覚悟を決めた彼女の胸中には、重く沈む決意と共に、どこか清々しい諦念が漂っていた。


 彼女と共に生きたい――その想いは確かにあった。しかし、現実は決して甘くはなかった。


 未だ帝国との戦争は終息を迎えず、王国の指導体制は大きく揺らいでいる。ミルネシア王女が実質的な王国の統治者となったものの、その若さゆえに一部の貴族や軍部から強い反発を受けていた。また、混乱に乗じて権力を奪おうと目論む貴族たちもおり、その筆頭となる人物が宰相になった事もあり、対応に追われる日々が続いている。


 その多くはレオンやミルネシアの配下たちに任されていたが、王国全体が安定するには程遠い状況だった。


 ミルネシアを除けば、王族で生き残った者はただ一人。それは彼女の母であり、王妃であるアリシアだった。アリシア妃は約一ヶ月前から他国へ長期視察に出向いており、レオンの調査により無事であることが確認されていた。


 現在、護衛とともに王国への帰路をたどっており、査問会の日までには到着する予定である。


 こうした背景もあり、ライラの査問会は、王家の判断力や権威を国民や諸侯に示すための重要な試金石と見なされていた。


 もしライラの罪状が認められた場合、過度に彼女を擁護すれば王家への不信感を招き、民衆の不安をさらに煽る可能性があった。その結果、ミルネシア王女を傀儡として国政を掌握しようとする貴族勢力との対立が一層激化する恐れもあった。


(ライラが大切な幼馴染であることを除いても、彼女を排斥することは国にとって大きな損失。それでも、余計な争いを避けるためには決断が必要だわ……)


 かつてのライラは、高貴な身分でありながら身分の隔たりなく人々と接する姿勢で、民衆から絶大な人気を得ていた。その可憐な美貌、優れた知恵、巧みな話術と交渉術は、多くの者を魅了し、あのレオンですら一目置く存在だった。


 順調にいけば、ミルネシア王女の側近として手腕を振るう未来は確実だったはずだ。


 しかし今、ライラはその未来を全て失った。王国を立て直す上で必要不可欠な存在でありながら、同時に余計な争いを生む火種にもなりかねない。その為、彼女をどう処遇するかは、国全体にとって非常に大きな問題だった。


 もしライラが処刑されれば、彼女を恨む者にとっては溜飲を下げる結果となるだろうが、彼女を守りたいミルネシアにとって、それは決して望む結果ではなかった。だからこそ、彼女は反対派の声に抗いながらもライラを擁護し続け、開催日程も引っ張れるだけ、引っ張っていた。


――しかし査問会の開催が決まった今、ライラはもはや逃げ隠れすることはできない。それは覚悟していたことだったが、迫り来る現実を前に、彼女の心は揺れていた。


「うっ……ぐすっ……」


 嗚咽を漏らすライラに、ミルネシアがそっと問いかける。


「ライラ、本当に大丈夫なの?」


 心配そうな声色には、微かな涙の影が混じっていた。ミルネシアの優しい声に、ライラは救われる思いを抱きながらも、自嘲気味に微笑む。


「ごめん、ミル。心配かけて……でも、大丈夫。私は、ミルがそばにいてくれる限り、どんな罰だって受けられる。でも……正直怖い。自分が犯した罪の重さが、ここ数日で痛いほど分かったから」


 ライラの白く細い腕が温もりを求めて宙を彷徨う。


 その手をミルネシアはしっかりと握り返した。


「何があっても私は貴女の味方よ。だって、今の貴女は本気で罪を償おうとしている。それに、私たち、二人で生き延びるって誓ったでしょう?」


 ミルネシアの言葉に、ライラは微笑んだ。彼女の胸の中に残っていたわずかな希望がその言葉に励まされて少しずつ大きくなっていく。


「うん。何があろうと、私は生き延びる。その覚悟は……もう、できた!!」


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