「やめて……お願い……助けて……」
か細い声が室内に響き渡る。ここは玉座の間。その中央には一人の少女が項垂れて座り込んでいた。
玉座の間は、真っ直ぐに敷かれた赤いカーペットが鮮やかな対比を成し、部屋の隅には等間隔で飾られた美しい花々が入った大きな花瓶が並んでいる。
しかし今やその壁や花瓶、カーペットは鮮血の花が咲き乱れているかのようだった。
「安心しろ。すぐにお前も死んだ家族の元へ逝かせてやる」
少女の周りに広がる血溜まりには、彼女の家族である国王と王子が、無残にも倒れ伏していた。少女の美しいブロンド髪も血に染まり無残な姿をさらしていた。
「……お父様……お兄様……」
震える声で呟いた瞬間、再びその鋭い声が響いた。
「家族を嘆く暇はない。お前も同じ運命を辿るだけだ」
剣を携えた黒髪長身の女は、服や顔にべっとりとついた血を忌々しそうに拭いながら、長い髪を掻き分け、冷酷な光を宿す獰猛な眼光を覗かせた。
その剣先が向けられているのは、この国の第一王女、ミルネシアだ。彼女には確かに戦う力があったものの、目の前の敵の圧倒的な力に屈し、抵抗を捨てて静かに最期を待っているかのようだった。
頼りにしていた近衛兵達は、すでにいない。威風堂々と黒髪を靡かせる赤目の女によって、彼らは瞬く間に屠られ、血と肉の塊となって散ってしまった。
「……っ」
少女の拳は、怒りでわずかに震えていた。
(まったく……これが我が国の姫とは、見ていられませんわ)
彼女の眼前に立つ人物は一人ではない。剣を持った黒髪の女性とは別に、もう一人美しい銀髪の髪をした少女が口元を扇で隠しながら不快そうに王女の事を見下ろしていた。
返り血に染まっている黒髪の女性とは対照的に、銀髪の少女は何一つ汚れていない。
「どうしたのだミルネシア王女よ? 最後に言いたい事はないのか? ないのならこのまま斬るぞ?」
黒髪の女性が剣の腹をひたひたと彼女の首筋に這わせる。
それを受けて、ミルネシア王女はひとつ深く息を吸い、喉を震わせながらも恐怖を押し殺し、先程までの怯えた様子とは一変、毅然とした表情で静かに口を開いた。
「――アルタニア帝国の
その問いにユリアナはわずかな沈黙も許さず、鋭い視線と共に静かに答えた。
「――私の遠征の進路にこの国があった。ただそれだけの事だ」
それはあまりにも冷淡で、理不尽な一言だった。もし政治的な野心があれば、まだ交渉の余地もあったかもしれない。だが、ユリアナにはそんなものは存在しない。彼女はただ、暴力と力で全てを蹂躙し、従えてきただけなのだ。
「そんな……そんな身勝手な理由で国民を……お父様とお兄様を……帝国の悪鬼、魔女と呼ばれるユリアナと手を組んで貴方は本当にそれでいいと思っているの? ライラ! 答えなさい!!」
王女が叫ぶ。自分を見下ろす少女に向かって。
名前を呼ばれた銀髪の少女がくすりと笑い、彼女の前に歩み出る。それに合わせてユリアナは一歩身を引き、剣を下げた。
「ミルネシア王女。いつまでも幼馴染気分で話しかけてこないでくれるかしら? 私の名前はライラ・ルンド・クヴィスト。ラフストン王国四大公爵家の一人娘にして、次期国王ユリアナお姉様の妃でもあるのよ」
ライラの視線が向く先には、ミルネシア以外の王族を皆殺しにした黒髪の魔女、暴姫ユリアナが立っていた。
彼女は既に帝国を含む五大国の内、三つを滅ぼし、周辺の州も取り込み自身の支配下に置き、その頂点に立っていた。
ユリアナが目指しているのは世界全土を支配する事。その為の一番の障害であった五大国の一つ、ラフストン王国が滅べば、暴姫を止められる国は連合国を除いてもはや存在しない。
「――っ! 本当は信じたかった……でも今はっきりと分かったわ。裏切ったのね。祖国を、国を! 暴姫に売った裏切り者!!」
「なんとでも言ってくださいな。あなたがここでなんと言おうと死ぬ事には変わりないんですから」
その言葉に反応したユリアナの瞳が、ほんの一瞬鋭く光った。しかし、その微かな変化に二人は気付かなかった。
元々二人は「ライラ」と「ミル」と呼び合う仲の良い幼馴染だったが、ある時期から二人の仲は険悪なものとなり、成人してからは完全に疎遠になっていた。
「もう話すことはありませんわ――お姉様」
会話が終わるのを黙って聞いていたユリアナだったが、ライラに呼ばれて再び剣をミルネシアに向けた。
「ライラ、こっちにおいで。いくら君の心が強いといっても流石に幼馴染が目の前で死ぬのは堪えるだろう」
自分の腰あたりにくるように手招きするが、ライラはふるふると首を横に振った。
「いいえ。このままで大丈夫ですわお姉様」
その言葉にユリアナは目を細めたものの、ライラの決意を認めた。そしてライラの隣に立ち、彼女に後ろへ下がるように促したが、ライラは最後まで見届ける覚悟を見せ、動こうとはしなかった。
「くっ……」
ミルは必死に立ち上がろうとするが、足がすくんで動けなかった。手をかざして防御魔法を張る――それすらもできそうになかった。
(ああ、私ここで死ぬんだ。幼馴染に裏切られて、守るべき人たちもみんな殺されて、残ったのは私一人)
王女付きのメイド、リルも先程ミルを庇って死んでしまった。
十年間こんな不甲斐ない自分についてきてくれた彼女に、ミルは心の中で最大限の感謝を述べた。
――私も、今からそっちにいくわ。
ミルの頭上にユリアナの漆黒の剣が掲げられる。最期の時が迫っていた。