激しかった噴火は三日続き、いったんは落ち着きを取り戻した。
それを確認してから砦を出発したヴィゼルツ帝国の遠征軍は、攻略予定だった爬虫人の新都に到着した。
そこで私たちが見たのは、予想を上回る光景であった。
一面の、灰白色。
この爬虫人の新都は、旧都に比べれば田舎という位置づけらしかった。
ただそれでも、遷都先に選ばれたくらいである。普段は賑わっていた街だったはずだ。
しかし今は――。
「……」
噴火の被害を受けた街を、私は初めてまともに見る。
思わず息をのんでしまった。
ところどころ崩壊している、街を囲む城壁も。
どこかに飛んだか埋もれているのか、扉がなくなってしまっている街入り口の門も。
そこから奥に広がっている街並みも。
すべてが、灰白色で塗られた世界となっていた。
かつて街の中心を貫く大通りだったであろうところを、歩いていく。
「街の近くで噴火が起きると、こうなるのかあ」
私の隣を歩くバクが、景色を眺めながらそう言う。
バクのやや前を歩く赤髪の大男・バロンと青髪の少年・シンも、後ろからでは表情がうかがい知れないものの、しばし言葉を発しなかったところを見ると、やはりこの光景に圧倒されていたようだ。
私がこの街まで同行する希望を軍に対して出したのは、族長からの指示があったためだった。爬虫人の新都の近くで噴火があった旨を族長に報告したところ、「可能であれば現場を確認するように」と言われたのである。
ただ、例によってバクは難色を示していた。ちょうどよく偵察の者から「爬虫人はおろか、生き物の姿が何も確認できない」との情報が入らなければ、実現したかどうかはきわめて怪しかったと考えている。今回は幸運だったようだ。
しばらく、様子を見ながら慎重に歩く。
バクはしばらくしてから、街の様子ではなく私のほうを凝視してきた。
「どうかしましたか、バク」
「んー、なんかこの景色とケイの姿が妙に合ってるというか」
「は?」
私が返答に困っていると、前を歩くバロンが振り向く。
「おー、たしかに。銀髪だし肌も白いもんな」
「……そうですか。あなたがたがそう思うのはあなたがたの自由だと思います」
彼のからかいについては受け流した。
今度は、彼の横に位置していたシンもこちらを振り向いた。
「バク様。こんな不吉な街の景色に似合うと言ってしまって大丈夫なんですか」
「あああダメだね! よく言ってくれたよ。ありがと! 気をつけないとうっかり口滑らせちゃう」
シンの突っ込みに、自分の頭を叩くバク。
「こんな感じの景色で不吉じゃないのって、雪景色くらいしか思いつかないよ。でも帝都って雪は降らないからなあ」
私にとってきわめてどうでもよい話題はさておき、とりあえずこの青髪の少年に夜襲での一件から立ち直っている雰囲気があるのは、きっとバクにとってはよいことなのだろうと思う。
実力的には、彼は赤髪のバロンとともに、部隊内でバクの右腕と左腕になる存在だろうから。
話が続いているので、私のほうも思考を巡らせてしまう。
雪。
たしかに、温暖な気候のヴィゼルツ帝国では、一部の山以外ではなかなかお目にかかることがないようである。
もちろん狼人族の地では、雪景色など日常的すぎる風景。
私に合っているかどうかはさておき、見たいのであればいずれ、故郷の雪景色でも――。
と思った自分に、驚いた。
狼人族という種族の性質を考えれば、実現の可能性がほぼない話だからである。
『外より来たる者には、施したうえでこれを拒む。内より去る者には、死をもって制裁したうえでこれを諾する』
それが、大昔から受け継がれてきた種族としての方針。
そのはず。
乾いた風が吹く。
灰が巻き上げられ、独特な匂いがした。
「この匂い、火山の匂いってやつか。調子が悪いときのおれの屁みたいだな」
「バク様。バロンが変なこと言ってますけど。こういうのも大丈夫なんですかね」
「あー、ダメだってば。ケイに聞こえちゃうから」
「……あの、私、お邪魔なようでしたら少し離れていますけれども?」
「それもダメ! 離れると危ないから!」
ペンギンも私の横にいるのだが、不思議なほど可動域の広い首を動かして景色を見ているだけだ。いつもに比べて口数がやや少なくなっているのは気になるが、単に呆れているだけなのかもしれない。
またしばらく歩いていくが、そのうち、一面灰白色という点にだけでなく、壊れている家や施設が多いということについても気になってきた。
「……」
建物を構成していた石とは到底思えないような巨石も、ところどころに転がっている。
「ずいぶん壊れている建物が多いですね。溶岩は街まで来ていないようですので……噴火で降ってくるのは灰だけではない、ということでしょうか」
私が抱いたその疑問に答えてくれたのは、下品な会話に焦っていたバクでも、ガハハハと笑っているバロンでも、冷静に突っ込んでいたシンでもなかった。
「そのとおりです。火山は石も噴出します。中には人より大きなものも降ってくることがありますよ」
私はその背後から聞こえた若く爽やかな声に、覚えがあった。名前もわかる。ただ、この人物が今回の遠征で軍に同行していたという事実は今初めて知ったため、驚きはした。
私も含め、バクたち一行が全員足を止める。
後ろからやってきていたのは、フードをすっぽりかぶった人間だった。
「あ、その声は宮廷賢者のハンサだね」
わかるよ、とバクがうれしそうに笑う。特に驚いてはいない。バクは毎回の軍議に必ず参加しているため、すでに彼の同行を知っていたのだろう。
「バク様、お疲れ様でございます」
その人物は外套のフードを取ると、バクに一礼した。
バクも「お疲れ様!」と返す。
フードの下の顔も、私は城で何度も見たことがあるので特段の驚きはない。サラサラとした金髪と碧い瞳を輝かせる、爽やかな容姿の青年だ。
以前、海からの帰りに筆頭宮廷賢者からペンギンを引き渡すよう要求されたとき、宮廷賢者たちの中で唯一バクの味方となって反対してくれた人物でもある。
城の召使は宮廷賢者から指示を受けることも多いため、各人がどんな人物なのかは執事長からだいたい教えてもらえる。さらに私の場合、密偵の仕事として宮廷賢者全員についてかなり深いところまで調査を入れたこともあり、彼についても一通りの知識はある。
ハンサの年齢は、私の記憶が間違っていなければ二十五歳。現役の宮廷賢者の中では最年少である。三歳で魔法を使用したという天才児で、「ブルードラゴンに愛された子」と地元では言われ、歴代最年少の十八歳で宮廷賢者に名を連ねることになった。
しかしそこからは特に華々しい実績があったわけではなく、今は他の宮廷賢者の補佐や事務作業が主たる業務になっているようである。一部では「早熟すぎて燃え尽きたのではないか」ともささやかれている。
「一召使の疑問にわざわざ答えてくださり、大変恐縮です」
「俺にも会うたびに声かけてくれるし、いつも優しいんだよなあ。ペンギンも助けてくれたしさ」
「うむ。唯一たいして無礼でなかった宮廷賢者として覚えているぞ」
バクも、そして砦を出発してから言葉少なだったペンギンも、彼を褒めている。
いえいえ――ハンサはそう言って爽やかに笑い、「では歩きながらで」とバクたちに進むよう促し、さらに説明を加えてくれた。
「二十年前からこの大地で本格的な火山の噴火が始まっていることはご存じだと思いますが、徐々にその活動は激しさを増し、範囲もどんどん南に広がっています。そのおかげで研究のほうも進んでまして、だいぶ火山というものが何かがわかってきているのですよ。
火山は噴火でたくさんのものを出しています。この街を白く染めた灰だけでなく、こうやって建物を破壊する石も出ますし、ここまでは来ていないようですがドロドロの溶岩なども出ます。さらには……」
そこで、やや間があった。
「……空気も出ますね」
顔がわずかに曇り、言うのをやや躊躇したように感じた。
「空気、ですか」
だが私が復唱するようにそう言うと、彼はまた爽やかな顔に戻った。
「はい。ただ、皆さんが吸っている空気とは違い、有害なものと考えていただければと。火口の近くで、噴火後も特に景色に変化がないにもかかわらず動物が全滅しているところがあるのは、そのせいだと考えられています。空気と同じく基本的には目に見えないものですが、どの噴火のケースでも死滅範囲が思っていた以上に広いようですので、とてつもなく多くの量が放出されているのかもしれません」
「煙とはまた違うんだ?」
「少し違います。ただ、煙が出ているところはその有害な空気も噴き出しているところ、ということでよいと思いますよ」
バクは「んん?」と混乱している。
私も理解し切れているとは言い難いが、おそらく狼人族の族長に報告すべき知識であるため、聞き逃すまいと真剣に聞かなければならないと思っている。
「噴き出すということは、火山の中にその空気が存在するということですか?」
ならば山の大きさが有限である以上、そこまで問題になる量ではないのでは?
そう思ってしまったのだが、その疑問にもこの宮廷賢者は答えてくれた。
「いえ、これは山のなかだけでなく、さらにその下……この広大な大地全体の下に眠っている可能性が高いとされています」
「何を余計な話題で話し込んでいる」
話を遮ってきたのは、また別の宮廷賢者だった。
かなり深々とフードをかぶっておりわかりづらいが、はみ出している髪は真っ白で、かなり年配の者だ。
またバク一行は足を止める。
「用件は伝えたのか」
「すみません、これからです」
ならばもうよい。私から伝える。お前は戻れ――。
やや枯れ気味の声でハンサを追い払うように言うと、バクに向かって話しかけてきた。
「バク殿。将軍のご判断をお伝えします。やはりここはもうあきらめ放置せざるをえません。城内の探索が終わり次第、速やかに軍を撤退させます」
「はい、わかりました」
バクは去っていくハンサを少し名残惜しそうに目で追いかけるも、真面目な顔に戻り、新たに登場した宮廷賢者に返答した。
街の放棄は当然だろう。この有様であり、しかもまたいつ山が噴火するかわからない。入植を目指すには無理がある。
城内の探索を済ませるというのもまた、人間族の軍としては当然のこと。
ただこちらの件については、爬虫人族の重要書類などの類は何も発見されないと私はみている。
この灰白色の街、先ほどから歩いているが、逃げ遅れた爬虫人の遺体がありそうな雰囲気はない。かなり手際よく避難の指揮がとられていたような印象を受ける。回収されるとまずいものをそのまま残しているとは到底思えない。
夜襲で見たときの雰囲気および私の勘にすぎないが、あのフィルーズと名乗っていた爬虫人が避難の指揮を執ったのではないか。
もしそうならば、時間がほとんどなかったであろう中で見事なものだ。
やがてただの遺跡と化す運命となるであろう灰白色の街を見ながら、私はそう思った。
「あ、またちょっと揺れてる? 気のせい?」
白髪の宮廷賢者が去り、大通りの城に向かって一同がふたたび歩き出すと、わずかに感じる程度ではあるが、足元が揺れた。
噴火はいったん落ち着いたという分析がなされていたはずだが、やはりあくまでも小康状態であるだけ。そういうことか。近いうちにまた噴火するのだろう。
「いえ気のせいではな……!?」
バクが私の顔を見ながら言ったので、私から返事をしようと思ったのだが。
「あっ、ペンギン! どうしたの!?」
そのとき私の隣のペンギンが、突然に嘔吐を始めたのである。