目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第27話 楽しい種族

「撤退だ! 急いで戻れ!」


 夜鷹による撤退の合図を受け、怒号のような伝達が回った。


 人間族ヴィゼルツ帝国の砦に夜襲をかけた爬虫人やオークたちは、人間族のものに比べ豊富なたてがみを持つ馬に乗り、夜の荒野をふたたび走ることとなった。


「こんなことになろうとは。心中お察しします」


 戦士長代理・フィルーズに対し、横を走る部下が話しかけた。

 夜襲は成功しつつあり、このままいけば勝利を手にする可能性も高いのではないか? そう思われていたときに新都の裏山が噴火。急ぎで戻らなければならなくなってしまったのである。


 今までは、まだこのあたりでは火山活動の活発化は見られていなかった。

 ここ二十年ほどで、人間族を統べる国・ヴィゼルツ帝国内を中心に、この大地で火山の噴火が活発になってきている。その知識は爬虫人族も持っていた。

 噴火を始める火山はどんどん広がっているという噂も流れてきていたため、このあたりもいずれは……というのはまったく考えられないことではなかった。


 が、それでも、それが“今”なのは不運としか言いようがない。

 部下の声からも無念さがにじみ出ていた。


「おれのお気持ちはどうでもいいさ。たまたま運が悪かったくらいにしか思っていない。長老会議には『それ見たことか』と言われるだろうがな」


 バクに刺された左腕の前腕には布が巻かれている。彼はそれを反対の手で少し触った。

 彼はもともと爬虫人族が崇める竜神――ブルードラゴン――の加護などあてにしていない。信憑性のある目撃例などもなく、仮に実在していたとしても、誰も立ち入れない極寒の地に存在するものなど、我々に何をしてくれるわけでもないだろうと考えていた。


「まあ、『処分はご自由に』って啖呵を切ってきたんで、せっかく戦士長代理として現場に戻ったのにこの一戦だけで終わってしまうかもしれん。お前たちにはすまないと思っている。せっかく一生懸命おれの復帰を陳情してくれたのにな」

「いえ、おそらく処分はされないでしょう。人間族との抗争が慢性化して以来、名だたる将は次々と戦死し、もはやフィルーズ様以外に英雄バクを倒せるかたは残っておりません。長老様がたもそれはよくおわかりのはず」

「英雄バク、か」


 少し、フィルーズは考える。


「奴と初めて剣を合わせたおれの感想は……ただのガキだ」

「えっ」

「こんなのが英雄になってしまったのは人間族にとって不幸なんじゃねえかって、そう思うくらいに弱かった」

「恐るるに足りず、ということで?」

「それはわからん」

「?」

「見方の違いや見え方の違いというものがあるからな。たとえば、お前から見ておれはどう見える?」

「素晴らしいおかたであり、我々爬虫人の最後の希望です。このたび閑職から現場に戻られ、戦士たちは皆歓喜いたしましたが」

「そう思ってくれるのはありがたいことだ。だが一方、長老会議はできればおれを現場に戻したくなかったはずだ。今だって、うるさい奴を現場に戻してしまったと新都で後悔しているだろう」

「な、なるほど」

「英雄バクにしても、人間族から見れば全帝国民の希望となっているらしい。その点では恐るるに足りずというのはいい言い方じゃないのかもしれん。だが……確かなことは、奴は戦闘能力が高いわけではない。おれから見れば弱かった。それは間違いない」


 フィルーズは断言した。

 今回の戦いで確信したことだった。


「有名で弱いというのは、考えようによっては一番おいしい相手だ。もしおれがまたどこかに左遷されないのであれば、少し考えがある」


 彼は左腕の布を剥がすと、捨てた。

 すでに出血はほぼ止まっていた。




 夜襲部隊が新都に帰還したときにも、裏山の噴火は断続的に続いていた。

 ときおり山頂から火が噴き出し、轟音と、そして不気味な地面の揺れが街まで伝わってきていた。


 時間は明け方近くであり、普段であれば暁の街は静寂に包まれているはずだった。

 だが今は、避難の準備を大慌てでしている者たちや、避難すべきかどうか自体もわからないのかオロオロしている者たちなどで、非常に騒々しくなっている。右往左往という表現がよく当てはまりそうだった。


 非常時には、それなりの地位にいるものが強い指導力を発揮して指揮をとったほうがよい。だが眼前の光景を見たフィルーズには、そうなっている気配は感じられなかった。


 ――おそらくあの山の噴火はすぐに収まらない。これからはますます酷くなってくるだろう。


 そう考えるフィルーズとしては、急いで最長老に会う必要があった。戦の報告をおこなうと同時に、街の者たちに速やかな避難準備を呼びかけ、東の拠点へと誘導することを承認させなければならないと思っていたためだ。

 そして民間人の避難が終われば、長老会議以下、城の者の避難も誘導する。そこまで自分以下戦士たちでやらねばならないだろうとも思っていた。


「噴火対応でご苦労なこったな。緊急での報告や相談がある。最長老に通してもらいたい」


 城の門についたフィルーズは、門番に話しかけた。


「あの、それが……」

「ん?」

「最長老と他の長老たちはすでに避難しました。従者を連れて東の街へ向かっています」


 すまなそうに頭を下げる、門番。

 開いている扉の奥では、城の者たちはまだ大慌てで書物や備品をまとめていた。


「……」


 戦士長代理は、しばし呆然とした。


「楽しい種族だな、おれたち。お前もそうは思わんか?」


 やがてそう言って薄く笑った彼の顔を、その門番は直視できないようであった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?