意識が半分戻りかけていたシンは、自分の体が浮いている気がした。
目は……開く。
「……召使さん?」
「気がつきましたか。はい、私です」
どうやら、自分はこの召使にお姫様抱っこをされているらしい――ということを理解した。
「ここは?」
「あなたがさっき戦っていた場所の近く、ですね。めでたく敵は撤退しました。私たちはこれから砦の中に戻ります」
「なんであんたがここにいるんだろ」
「たまたま、ですかね」
「へえ。たまたま、か」
ダメージが抜けておらず、まだ体に力は入らない。
ただ、仮に力を入れられる状態であったとしても、きっと入れてはいないだろう。シンはそう思った。
召使は歩いているはずなのに、不安定な揺れはない。自分の体を支えてくれている二本の腕も、無理に力を入れて震えている様子はない。そして彼の顔には、微笑とまではいかないが、穏やかな表情が浮かべられている。
夜の帳はとっくに下りてしまっており明るくはなく、さらにはやや下方向からではあるが……こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてだった。
月明かりと星明りでほのかに、しかしたしかに輝いている、銀糸のような髪。闇色でも染めきれぬ、白くきめ細かな肌。
こんな人間がこの世に存在するのか、とあらためてシンは思った。
そして、この距離だからこそ覗き込める、アイスブルーの瞳。
寒色のはずなのに、奥から温かい何かが出てきているように感じた。
――これは、なんだろう。
どこか懐かしい、忘れてしまっているような感覚に全身が包まれた。
「召使いさん、教えてほしい。僕はどうして無事なんだ。気絶していたからわからない」
「バクが助けに来てくれたから、ですかね」
「そうなんだ。バク様は?」
「もうここは安全なので、片づけをやっている皆さんのところへ、顔を出して元気づけるために行かせましたよ。この場には私とペンギンしかいません」
一つ、シンはため息をついた。
「やっぱり敷かれた道を行く人間には追いつけないのだろうか……道を切り開くところからやろうとするのは、そんなに大変なことなのだろうか?」
抽象的でだいぶ言葉足らずである自覚が、シンにはあった。
ただなんとなく、きっとそれでもこの召使には自分の聞きたいことが通じるのではないか。そう思った。
「大変難しいことであるのは間違いないでしょう。ただ――」
やはり通じそうだった。
「敷かれた道を外れずに走り続けるのも、大変難しいこと……とも思います」
ただ、その答えは少々意外なものであった。
「そういうものなのかな」
「はい」
「割ときちんと断言するんだな」
「あたなより少しだけ、長く生きてきましたから」
あくまでも、穏やかに、柔らかく話す、銀髪の召使。
「実は私も人間のことはあまりよくわからないのですが、あなたは誰かと同じ道を通る必要などないと思いますよ。あなたはあなたの道をゆけばよいかと」
「……あなたはあなたの道をゆけばよい、か」
一つ、シンはため息をついた。
「俺が家出する前にも言われたな、お袋に……。同じことを言うんだな。召使さんは」
「おや、そうでしたか」
「ああ。そのままだ。真似したんじゃないかと思うくらい」
「それは失礼しました」
「全然違う二人の意見が一致するということは、たぶんそれが合っているということなのかな。で、こうやってお姫様にお姫様抱っこされてしまっているということは、たぶん僕のほうが間違っていた、と」
銀髪の召使は、否定も肯定もしなかった。
「この前、城の図書館で読んだ本に書いてありましたよ。生まれた時点でもう何者かではある、そして人の数だけ物語がある、と。焦らなくてよいと思います」
「背伸びしなくていいってことか?」
「そうですね」
ああ、背伸びで思い出しました――と彼は続けた。
「私の故郷では、『ブルードラゴンに会って力をもらい、名声を得るんだ』と言って、南の果てを目指して旅立ち、ついに帰って来なかった者の話が伝わっています。きっとブルードラゴンに背伸びを咎められたのだろう、と言われています」
そう言って銀髪の召使はアイスブルーの瞳を、シンの青紫色の瞳に近づけ、覗き込んでくる。
そして満点の星が浮かぶ夜空を背景に、今度ははっきりと微笑だとわかる表情を取った。
さすがにこれは少し恥ずかしい、とシンは苦笑いした。
「わかったわかった。これからは焦りすぎないように頑張っていくよ」
「ありがとうございます。部下であるあなたが無理をなさらぬほうが、バクも安心すると思いますよ。本気で心配していましたから」
「それは、うれしいかな」
「そうおっしゃるということは、バクを嫌っているわけではないということですね」
「まあな。兵士でバク様を嫌いだという奴はいるのかな? 僕は見たことない。僕と同じように嫉妬をこじらせて焦っている奴はくまなく探せばいるかもしれないけどな」
「そのようなかたを見つけたときは、あなたがとめてあげてください。私は軍の者ではありませんが、あなたにお願いをしたいです」
そういう奴が自滅していくと、バク様が悲しむからか?
シンの中にはそんな意地悪な言葉も浮かんだが、すぐにそれを封印した。
「ここまで世話になってしまったら、それも断れないな。約束するよ」
「ありがとうございます」
「約束はするけど――」
「はい?」
「召使さんのほうは、背伸びしたくなることはないのか? いつも妙に大人っぽい雰囲気があるから、気になる」
銀髪の召使は少しだけ、意外な顔をした。
しかしすぐ、表情を戻した。
「子どもの頃から、身長は高かったものですから」
不思議な人だ――。
そうつぶやいて、シンは目を閉じた。
砦に戻ると、それを聞きつけたバクが、赤髪の大男・バロンを引き連れて飛んできた。
「シン!」
「バク様か。ご心配をおかけしました」
シンはケイの腕の中にいたままの状態で、頭を下げながらそう言った。
「おっ、意識戻ったんだね! めちゃくちゃ心配したよ! もう無理なことはやめてよ。一生懸命に頑張ってくれるのはうれしいけど」
「気をつけます……。まあ、僕は、バク様がうらやましかったんですよ」
「いや、どう考えてもシンのほうがうらやましいでしょ!?」
「なんでです」
「だってさ、俺だってケイに抱っこしてもらったことないよ!?」
しばし無言になるシン。
「……バク様は召使さんのことになると冗談なのか本気なのかわからないときがありますよね。こういうのはどう返したらいいんだろう」
「私からは無視を推奨します」
「ひっど! 本気なのに!」
「ではますます無視がよいですね」
ケイが表情を変えずにそう言って、シンの体を丁寧にバロンへと渡す。
赤髪の大男は、豪快に笑いながら太い両手でそれを受け取った。