この展開は、きわめてまずいのでは?
私が最初に思ったことは、それだった。
バクは戦い慣れているであろうことは間違いないが、先日の海への旅で見た限りでは、実力がこの爬虫人に遠く及んでいない可能性が高い。
英雄呼ばわりされるきっかけになった初陣の功についても、本人いわく「多分まぐれ」だという。それが謙遜である可能性も本人がのちに否定している。
純粋な剣の腕以外での“英雄たる何か”が彼にあり、それがここで出るのであればよいのだが。それを確認することも、今回の軍への同行の目的の一つでもある。
ただ、個人的にはだいぶ怪しいと思……
「……っ!」
やはり何もなさそうな雰囲気だ。
いきなり曲刀の一撃をもらっている。
防具があるので深傷ではなさそうだが、また傷が増えたのは間違いない。
その後も防戦一方となっている。
「なんだ? この手応えのなさは。手抜きでもしてんのか? それとも元々たいしたことないのか」
バクはついていくのに必死であり、煽りにも言い返せないくらい余裕がない。
対して、爬虫人戦士長代理・フィルーズは息も上がっていない。筋肉質な体から柔らかさもある斬撃を放ち続ける。
やはり技術的には両者の間に歴然とした開きがあるように見えた。
「同胞はこんなのに……苦しめられていたのか?」
「……っ」
「ふざけるなァッ」
膂力には剣の技術以上の差があったようで、バクの位置はどんどん押し込まれていく。
やがて、踏ん張るのに精一杯だったバクの足が、突然出された蹴りで払われた。フィルーズは体術もかなり得意としていそうな雰囲気だ。
「うぁっ」
バクの体が見事に浮く。
そして彼は転倒することすらも許されず、今度はフィルーズの尻尾が飛んできた。爬虫人ならではの攻撃であり、体の回転も加わった強烈なものであった。
私の目にはバクの敗北が明らかだったため、すでに命令を破って助けに入ろうと動き出していたものの、間に合わなかった。
「うあああっ」
「バク!」
こんなに人は飛ぶものなのか、と思うくらいにバクの体が吹き飛び、生えていた太い樹木の幹に激突した。
幹にめりこむのではないかと思うくらいの危険な勢いだった。
受け身が取れているかどうかも怪しい。頭部と背部を強打しているかもしれない。
ぶつかった幹の場所からバクはそのまま滑るように落下し、起き上がってこない。
ピクリとも動かない。
「あっけないな。くだらん」
フィルーズは曲刀の先で一回トンと地面を叩く。
「とどめを刺して、首を持って帰って長老会議に見せなきゃならんが……その前に召使を先に――ん!?」
彼はこちらのほうを見た。その目が見開かれる。
「なんだ? お前。少し雰囲気が変わったな」
私は剣を構え、人間のものとはやや異なる光を放っているフィルーズの瞳を見据えた。
彼は動かない。
だがやがて、意を決したように彼の片足が動こうとしたときだった。
「ま、待った……」
バクが起き上がってきたのである。
「へえ」
フィルーズは驚きと感心の声を出す。
一方、私は。
まずは一瞬、安心した。自力で立てるということは、命にかかわるものではなさそうということだから。
そしてすぐに、また不安になった。
無事なのであれば、そのまま倒れていてくれたほうが安全だったのではないか、とも思った。
「根性はまあまああるというわけか? 倒されても何度でも起き上がる……ガキに聞かせる英雄譚としてはいいかもしれないな」
嫌な予感は当たる。
「けどな、ここは現実世界だッ」
またフィルーズの標的がバクに戻ってしまったようだ。
だが、今度は私もきちんと加勢をする――。
しかしその思いは、意外なところから阻まれた。
「……!」
「邪魔はさせない」
槍で通せんぼをしてきたのは、最初にフィルーズの隣にいたオークだった。
ダメだ。これではどんなに早くこの相手を退けても間に合わない。
見ると、圧倒的な力でバクが樹木の幹に押し付けられている。
ついには、金属音とともにバクの剣が弾かれ、どこかに飛んでいった。
フィルーズが曲刀を大きく振りかぶった。かがり火を反射して不気味に光る。
丸腰となったバクの顔に、焦りの色がはっきり浮かんだ。
「これで何もかもが終わる――」
振り下ろされた。
「バク!」
私が思わず声を出してしまったと同時に、下からドンという音がしたような気がした。
と同時に、足元が突き上げられ、体が浮くような感覚に襲われた。
「なんだ! 地震か!? あっ、剣がっ。くそっ」
見ると、バクの脳天を割るはずだったであろう曲刀は、揺れの影響で逸れ、バクの頭の斜め上で幹に嵌まり込んでいた。
意外と深いようで、すぐに抜けない。
「アウ!」
そんな不明瞭な言葉が飛んできた。声の主はもちろん私ではない。
次の瞬間には、遠くに飛んでいたはずの剣がバクの手に舞い戻っていた。剣を投げて彼に渡したようだが、もちろんそれをやったのも私ではない。
バクは敵がもたついている隙に、素早く刺突を入れた。
「……っ……おのれっ」
喉元を狙ったと思われるその一撃を、フィルーズは腕で受けた。
前腕部に刺さるも、不十分な体勢からの手の力に頼った刺突だったので、浅い。
バクはもう一撃入れようとしたが、それは許されなかった。
曲刀をあきらめたフィルーズが後方に飛び、距離ができる。
そこでふたたび地面が大きく揺れた。
さらに、腹に響くような、とんでもない轟音がした。
「なんだっ。こんなときにっ」
「フィルーズ殿! あれを!」
私を牽制していたオークが、指と声で示す。
足が揺れに取られておぼつかないまま、彼らが見たその方向を、私も見た。
まさに今、遠くにうっすら影のように見える独立峰から火が噴き出ていた。噴火だ。
「新都の裏にある山か!? 地震はあのせいか。まずいぞ」
「この地でもついに噴火が起こるとは。ブルードラゴン様のお怒りが増しているのでは」
「そういう根拠のないことは長老会議だけでお腹いっぱいだ!」
ひとまず地面の揺れが収まっていく。
二人が動揺する隙を突くように、バクが斬りかかっていく。
「おっと」
それを避けると、フィルーズはまた足技を繰り出した。
「ぐふっ」
力強い中段蹴りがバクの腹部に入り、バクが転がる。
「どう見ても新都が緊急事態だ。早くこいつを片付けて戻……おっ!?」
彼はすぐに曲刀を回収しようとしたが、幹に刺さったままのはずなのに、ない。
いつのまにか消えていた。
先ほどのバクの剣が戻ったときと同じ怪奇現象に、私も驚いた。
彼はここでようやくあきらめたようだ。
「今回はツキがねえな。行くぞ」
そうオーク族の者に言い、一緒に走って去っていく。
直後、夜鷹の大きな鳴き声が聞こえた。
バクは追わず、すぐにあたりを見回して他の敵がいないかを確認した。
「シン!!」
そこで倒れているシンに気付き、駆け寄る。
「大丈夫ですよ。気を失っているだけで大事には至っていません。先ほど確認しました」
「よ、よかった……って、もしかしてケイは、シンが一人で突っ込んでいったって聞いて、ここに来たの?」
「まああいあいそれれあっへいるうじゃあいは?」
大木の陰からヒョコっと出てきて、私の代わりに答えたのは、ペンギンだった。
言語が極めて不明瞭だったのは、口に曲刀を咥えていたためだった。
曲刀が突然消えたのは彼女の仕業だったようである。飛ばされたバクの剣を回収して足元に投げたのも彼女だろう。先ほどから暗躍していたようだ。
「あっ、やっぱりペンギンだったのか。なんで君もここにいるのさ」
「ひほひひはははひほうはあふへふはははあ」
「何言ってるのか全然わからないよ」
「さっきのは『だいたいそれで合っているんじゃないか?』で、今のは『一人にならないほうが安全だからな』ですね」
「そっかあ。んー、本当は言うこと聞いてくれなかった二人に注意したいんだけど……」
バクがうなり、そして頭がガクッと落ちる。
「でも二人がここに来なかったら、シンも、俺も、助かってなかったよね。ありがとう」
「おうあ、あんあいろ」
「だからなんて言ってるのかわからないよ」
「今のは『そうだ感謝しろ』と言っていますね」
「なんでケイはわかるの!?」