気づけば、夜襲による戦いの喧騒はどんどん大きくなってきていた。
「この部屋から出て、様子を見に行くのだな? わたしも行くぞ」
「……まだ私はあなたに何も言っていませんが」
「言わんでもわかるわ。伊達に皇帝をやっていたわけではないからな」
ペンギンの言葉に、小さく息をのんでしまった。とても鋭い。
「バクについてはどうか知らんが、わたしもあの青髪少年は少々危ない気がしておる」
ペンギンは、彼女にしては低い声で続けた。
「バクと同じ道を自分も歩みたい、バクと同じく自分も英雄となりたい、そんな気持ちが滲み出すぎている。腕に自信はありそうだったが、あの手の輩は……功を焦る輩は、無理をして死ぬ」
私はペンギンの言葉に内心で全面同意すると、問いかけた。
「そう言い切るということは、失っていた記憶が戻ったのでしょうか?」
「戻ってはいない」
ペンギンは二回首を振ると、続けた。
「だが、ああいう雰囲気の若者をどこかで見た気がするのだ」
「なるほど」
ペンギンは記憶をなくしているというが、どうも人の心理には敏感そうな雰囲気がある。やはりただの『言葉をしゃべる動物』ではないのだろう。
元皇帝というの本当なのかどうかはさておき、元人間または何らかの知的種族だったという可能性はどんどん増してきているように思う。
「お前はわたしのことを気にしているのか? 連れていくか、置いていくか」
ペンギンがじっとこちらを見つめた。
これも鋭い。
「まあ、そうですね。ここにいていただくほうが安全そうには思うのですが」
「そうとも言えないぞ」
小さくずんぐりむっくりな体型。その厚い胸を、ピンと張ったように見えた。
「わたしのこの体の大きさと色ならば、闇に紛れやすい。外に出ても簡単に狙われることはないだろう。それに……お前、実は強いのだろう?」
「どうでしょう。実戦経験は不足していますので不安はあります。自信満々なわけではありません」
「ということは、やっぱり強いな」
ペンギンは言い切ると、くちばしをわずかに開いて笑ったように見えた。
「期待しておるぞ。万一わたしが危なくなったら守れ」
建物の外へ出ると、激しい戦いの音が直接耳に入ってきた。
すぐ近くに敵はいない。
だが、どの方向の景色を見ても、奥には松明と思われる数々の灯りがうごめいている。
シンの言っていたとおり、夜襲をかけてきた爬虫人族が柵を破り、砦の中へとなだれ込んでいるようだ。
寝静まっていた人間族の兵士たちは、急ぎ武器を手にして応戦しているはず。
きっと装備が不十分な者も多いだろう。夜なのではっきり見えているわけではないものの、灯りの動きや耳に入ってくる音だけでも、人間族の兵たちが混乱しているのは間違いないように感じた。
「これでは組織的な戦いはできないでしょうね。厳しい状況であるようです」
初めて見る夜戦の光景ではあるが、有利でない雰囲気なのはなんとなくわかる。
「ただ、わざわざ夜襲をかけてくるわけですから、数自体はこちらのほうが圧倒的に多いはずです」
ペンギンが横目でこちらを見る。
「お前は冷静だな。まるで他人事のようだ」
狼人族の私にとって、この戦い自体は他人事ですから。
もちろんそれは口に出さない。
「局面が落ち着けば有利に転じるでしょう。それまでにこちらの要人が殺害されることがなければよいですが」
具体的には、将軍とバクの二人。特に、帝都民や軍の精神的支柱となっているバクが殺されるような事態になるときわめてまずい。
本当はバクこそ隠れているほうがよいのではないか、という気もするが、もちろん英雄の称号を下賜された身ではありえない選択肢だ。
さて、空堀が完成していなかった方角は――。
そちらに聴覚を集中させる。
聞こえてくる剣戟の音に、特に厚みがあることがわかる。
「あちらに行きましょう」
私は剣を鞘から抜き、ペンギンとともに走り出した。
* * *
青髪の少年・シンは、柵を破壊して侵入してきた爬虫人やオークたちを薙ぎ倒していた。
他の隊員たちについては、おそらく皆そう遠くない距離にはいるのだろうが、誰がどう戦っているかの把握は到底不可能だった。
夜襲、かつ乱戦ということで、普段の集団戦の訓練があまり意味をなさないような戦いを強いられていた。
きっと被害はこちらのほうが出ているだろう。苦戦という言葉がこんなにも合う状況は早々ないのではないか。
だからこそ、絶好の機会。
シンはますますそう思った。
夜襲をかけてきた敵のリーダーは、どのあたりにいそうか。
シンは戦いながらも、その目星をつけることに集中していた。
最初に破られた柵がどこかは、想像が容易だった。
空堀が完成していなかった箇所だ。
そしてその外側、さらに奥、やや遠くに、わずかな光が見える。
あそこか?
目の前の敵を一人片付けると、走り出す。
――シン、無理するな!
自分に気づいた味方――ということは、おそらく同じ隊の者――から声が飛んでくる。
いや、無理をしなければならない。
彼は心の中でそう反論した。
走る。
名をあげ、世界一の剣士になる。
ヴィゼルツ帝国に併合された旧トルマス帝国。その外れにある田舎に生まれたシンが、幼少のころに抱いた夢。
自分は、剣の才能に恵まれた。
順調に階段を上がろうとしていた。いや、上がっていた。
上がっていたのに。
バクという名の、自分よりも年下の子供が、兵士としての初陣で敵将を討ち取り、皇帝から『救国の英雄』という称号を下賜された。
シンは両親の引き留めを振り払い、すぐにヴィゼルツ帝国の帝都に出て、兵士となった。
一歩一歩階段をのぼっていては間に合わない。英雄譚を紡ぐことはできない。
それを思い知らされたからだった。
今が飛び級するとき。
そう考えた。
その爬虫人を見つけるのに、さほどの労力は必要なかった。
だいたい目星をつけていたところに、いた。
そこに敵は二人しかいない。爬虫人と、オーク。
小さく灯されていたかがり火。その控えめな光に照らされたその姿を見て、はっきりわかった。
他の爬虫人とは明らかに雰囲気が違う。
おそらく白銀色であろう胸当ては立派で、種族特有の曲刀も夜とは思えない輝きを放っている。肩には夜鷹が止まっていた。
「お、そろそろここに来ると思って……ん? 知らん奴だな。あんたは知ってるか?」
「英雄バクでないことは確かですな。フィルーズ殿」
その爬虫人は、現れたシンに気づいてもすぐ曲刀を構えることなく、隣でやはり槍を構えずに立てて持っているオークに話しかけている。
「お前が襲撃隊のリーダーだな!?」
シンが剣を構えたところで、その爬虫人・フィルーズもようやく曲刀を上げた。
「僕の名はシン。勝負を――」
「お前に用はねえよ」
「……っ!」
シンの言葉は最後まで聞いてもらえなかった。
肩にいた夜鷹が離れると同時に、力強く斬り込んでくるフィルーズ。
それを剣で受けるも、想像以上の重さに驚いた。彼は技術だけでなく力にも自信を持っていたが、同じ隊の先輩で力自慢のバロンでもここまでではないだろうと感じた。
負けじとシンのほうからも斬撃を繰り出していくが、こちらは軽々と受けられてしまう。
差は明らかだった。
「なるほど。普通の人間よりはだいぶできるんだろうな。けど、な」
つばぜり合いから、かける体重の大きさや方向にフェイントをまじえてくる。
「上には上がいるというのを覚えとけっ」
「あっ」
意識が分散させられたのか、シンの剣は弾かれ、回転しながらどこか遠くに飛ぶ。
そして――。
「ぐっ……」
フィルーズは体術の心得もあるのか、曲刀をさらに振るうことなく、左の拳でシンの顎を打ち抜いた。
次に、追撃と言わんばかりの蹴り。
今度は剣ではなくシンの体が、回転しながら飛んでいった。
「ぅ……ぁ……」
「すぐには殺さんぞ。捕虜として持ち帰ることにする」
あまり性には合わんが、我々の状況を考えるとなりふりかまっていられんのでな――と、フィルーズが紐を取り出す。
急速に現実が遠のいていく中、シンは観念した。
拷問されるか、人質として盾にされるか、どうなるのかわからないが、いずれにせよまともな死に方はできないだろう。そう思った。
「ん? ついに来たかと思ったら…………ぁ?」
そして完全に意識が途切れる前に、そこまでは聞こえた。