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第21話「どうか、彼にブルードラゴンのご加護がありますように」

 出撃前夜の宴が終わった。


 帝都からきた兵士たちや、砦の者たちは、だいたいが寝たようであった。この大きな砦の中は、少し前までの喧騒が嘘のように静まっている。

 聞こえてくるのは、見回りの兵士の足音や、夜鷹と思われる鳥のかすかな鳴き声くらいなものである。


 帝都からやってきた兵士たちは宿舎をひしめき合うようなかたちで使い、それでも入れない者については砦内の倉庫やテントなどを使用している。

 なんとなく嫌な予感はしていたが、私については特別に個室が用意されていた。


 ペンギンはバクと一緒にいるため、今は部屋で私一人。

 ベッドに座り、左手の指輪に力を込める。

 指輪の宝玉が、青い光を放った。


「――報告すべきことは以上です」


 族長への交信がやりやすくなるので、密偵という任務だけを考えれば個室が与えられているというのは非常にやりやすい。

 ただしこれが著しくバランス感覚を欠いた措置であろうことは、人間族でない私にも明白だった。当然、この部屋をわざわざ手配した犯人はバクだろう。


『辞退されますと私が叱られるかもしれませんので』


 案内者にこう言われてしまうと、断り切ることもできなかった。

 今回だけは甘えます。次回からこのような配慮はお気持ちだけで結構です――そう伝え、やむなく使わせてもらっていた。


「ふむ。襲撃に誰も気づかない、とな」

「そのとおりです。私が気配に気づきやすいのか、バク含め人間の兵士が鈍いのか、今回の事件だけではよくわかりません」

「どちらもあるのだろうが、まだ他の理由があるかもしれんぞ」

「他の理由? それはどういった?」

「爬虫人族も人間族と同じだ。ときに種族の枠を超えるような能力を持った者が現れることもあるに違いない。人間族にバクという英雄がいるのであれば、爬虫人族も卓越した戦士が登場していてもおかしくはない。人間族の大軍に対し、見張りに気づかれぬよう少人数で接近し、英雄バクに対し正確な狙いで矢を放てる。そのような能力を持つ者が襲撃をおこなっていたのかもしれぬ」

「なるほど。それはごもっともです」


 ただ、バクについては卓越した能力があるようには見えず、実は単なる子供であるという疑惑が徐々に高まってきているように感じるが……

 ……とは思うものの、まだそれについては結論が出たわけではない。言わないでおいた。


「軍は明日この砦を発ちます。私はここには残り、戦が終わってからバクに回復魔法を施す予定にはなっておりますが、機会に恵まれましたら狼の姿になって戦場も見てこようかと思っています」

「不審に思われぬようにな。何か砦で仕事を与えられているならば無理せずともよい」

「それが妙に過保護で何も与えられておりませんので、まったく問題なさそうです」

「過保護?」


 俺らがこの砦に帰ってきたら急に忙しくなると思うから、ケイはそれまでここでゆっくり休んでて――。

 それがバクからの指示であった。

 これも今回はそのとおりにするつもりだが、次回からは私も何かしら仕事をすべきだと思っている。バクに言っても確実に却下されるだろうから、軍の将軍に近しい者に直訴するか、執事長経由で言うしかないだろう。


「はい。詳しく申し上げますと……、!?」


 そのとき、何やら外から音が聞こえた。

 大きな音ではないが、気のせいなどでもない。


「どうした?」

「はい。何やら音がします。宴は終わったはずなのですが」

「ふむ。なんだろうな」

「交信は少々危険かもしれません」


 念のため族長との交信を打ち切り、しばらく部屋に居続けた。

 外から聞こえる喧騒は、収まるどころか次第に大きくなっていく。


 やはり様子を見てくるか?

 そう思ってベッドから立ち上がったとき、今度はドアをたたく音が聞こえた。あまり穏やかな叩き方ではなかった。

 そして私が返事する前に、扉が開く。


「あなたは……」


 現れたのは、青髪の少年。行軍での休憩中、よくバクが引き連れてきていた部下・シンであった。

 彼は装備を着けた格好であった。そして片腕で、バクと一緒にいたはずのペンギンを抱えていた。


「夜襲だ。寝静まったところを狙われた。砦の柵がもう一部破られてしまっている」

「……!」

「バク様から召使さんへの伝言を預かっている。ここが砦の中では一番安全だから、絶対に部屋から出ないでくれ、だそうだ」

「そうでしたか。ありがとうございます」


 無意識に「承知しました」という一言を避けてしまった。場合によっては出る気満々であったためだった。

 バクなら「出ないって約束して!」などと言ってきそうではあるが、この青髪の少年はきっとそんなことはないのだろう。そう思った。


 しかしながら。

 夜襲で簡単に柵が破られるという事実。まあまあな違和感がある。


「何か言いたそうに見えるけど? 召使さん」


 気づくと、バクに比べれば細い彼の目が、さらに細められていた。

 焦点は合わせていなかったものの、なんとなくシンの顔の方向を見ながら考えてしまった。それについては咎められてしまったようだ。


「すみません。軍のほうで夜襲の備えなどはなさっていなかったのでしょうか?」

「していた。ただ見張りに油断があったみたいだ。今まで夜襲を受けることなんて全然なかったからじゃないかな」

「……。そうですか。それは残念なことです」

「残念でもないさ」


 私の言葉は食い気味に打ち消された。


「絶好の機会が来た。ここで僕がバク様のように敵の指揮官を仕留められれば――」

「おいコラ、痛いぞ」

「ああ、悪い」


 彼の言葉も、腕の中にいたペンギンによって中断させられた。どうやら抱えていた腕に力が入ったようである。

 あまり仲のよい印象のない両者ではあるが、一応シンは謝罪をし、床にペンギンを降ろした。


「じゃあ、行ってくる」


 彼の端正な顔に浮かんでいた表情は、バクや帝都の城の者以外の人間をさほど見慣れていない私の目にも、やや異様に思えた。

 いや、表情というよりも、目だろうか。

 青紫の瞳がカッと開いていたように見えたのである。


「お気をつけて」


 そう言って私は送り出した。

 扉が勢いよく閉められたあと、ペンギンが口を開いた。


「ケイよ。奴はだいぶ功を焦っておるな」


 きっと、そういうことなのだろう。




 気にはなる。

 気にはなるのだが、私としてはどうすべきか。

 それを考えていたら、また扉が叩かれた。


 やはり穏やかならぬ叩き方ではあったが、今度は誰なのかすぐにわかった。


「さっきシンが来て言われてると思うけど、よろしく頼むよ!」


 やはりバクである。

 彼もシンと同じく、普段のしっかりした装備品を身に着けていた。

 今繰り広げられている戦いは夜襲を受けての応戦とのことであったが、彼も夜の当番には参加をしているそうなので、ちょうど二人とも番のときに襲来があったか。


「あの。あなたもここに来てしまったら、せっかくあの方に伝言を頼んだ意味がないと思うのですが」

「あ、そう言われればそうか」


 足元のペンギンも「またバクがバカなことをしておる」と呆れている。


「心配してくださるお気持ちだけはありがたく受け取っておきます。私たちのことは大丈夫ですから、気になさらず行ってください」

「うん! わかった! 頑張ってくるよ!」


 満面の笑みと言ってもよい顔で、扉を閉めようとする彼。


「あっ、バク」


 私は彼に声をかけてしまった。迷ったのだが、言葉が出てしまった。


「ん? どうしたの?」

「すみません、私のほうから呼び止めてしまって。少し、聞きたいことがあります」

「な、なんだろう……」

「あなたは私が何か問いかけると、ときどきそんな顔をすることがありますね」

「だってさ、前も言ったけど、たまにケイの質問って怖いときあるもん。抜き打ちで試験されてるみたいで。答えを間違えると見限られそうというか」

「そんなことは今までもこれからもありません。ご安心ください。正直に答えていただければそれでよいです」

「わかった。どんな質問?」


 顔から不安そうな色を少し消すバクに向かって、聞く。


「今聞くべきことではないとは思うのですが、彼は……シンは、あなたにとってどんな存在ですか」

「シン? うーん。まだ付き合いはそんなに長くないんだけど、剣の腕が抜群にあって、頼りになる、大事な部下、かな! 歳も他の人に比べれば近いから、何か頼むときも頼みやすいし、これからもっと仲良くなりたい」


 うーん、とは前置きしつつも、バクはほとんど考えていたように見えなかった。

 私はその思考時間のなさ自体が、なんとも安心できるものだった。

 続けて聞く。


「では、たとえば、彼に万一のことがあったら?」

「ええ!? ケイは占術もできるんだっけ?」

「できません。単なる仮定の話です」

「いやいやいや、そんなの考えたくもないというか。たぶん当分落ちこむ! 寝込んじゃうかも!」


 これはさらに即答だった。

 それならばもう、青髪の少年のことについて聞くべきことはない。


「ありがとうございます。貴重な時間なのにごめんなさい。厳しい戦いになると思いますが、あなたにブルードラゴンのご加護がありますよう、お祈りします」

「ありがと! めちゃくちゃ元気出た! 爬虫人族もオーク族も同じ神を信仰してるらしいけど、ケイも祈ってくれるなら、きっと俺たちのほうに味方してくれる!」


 急に明るい顔になったバクは、「じゃあまた後で」と元気に扉を閉め、戦いの場へと向かう。

 私とペンギンは、それを部屋の中から見送った。


「ケイ……ニヤついておるな」


 私の顔を見たペンギンが、そんな指摘をしてくる。


「そう見えましたか?」

「まあな」

「では、そうなのでしょうね」


 私が無意識に欲しがっていた答えを、彼がくれたからだろう。

 そう思った。

 そして同時に、やはり彼のためにも、無謀なことをしようとしている青髪の少年の様子を見に行ったほうがよいかもしれないと思った。

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