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第20話 狙うは英雄の首

 新しく都となったばかりのその集落では、爬虫人族の街としては珍しく、外周を大きく囲う城壁が存在していた。


 これは、人間族との戦争が激化する前に旧都で戦士長を解任され、この集落の長に左遷されていた人物が造った、いや、造らされていたものである。元々は、オーク族から献上された木材を使った柵が植えられていただけであった。


 人間族のものと比較すれば、城壁は低めである。粗く切った小さな石をモルタルで積み上げた、爬虫人族独特の石造りの建造物となっている。まだ一部で工事が途中なのか、足場が組まれたままの箇所がある。


 街の奥には、小高くなっている場所の上に、やはり独特な石造りの城が存在した。

 下手をすれば人間族のヴィゼルツ帝国の有力者の私邸のほうが大きいのではないかというような規模にすぎなかったが、あまり大きな建築物を造らない爬虫人族としては、それでも十分に立派なものであった。


 そして今――。


 城の中にある大部屋に、 爬虫人族の長老会議を構成する七名、および呼び出された一名の、計八名がいる。


 テーブルはない。呼び出された一名を迎えた七名の側は、半円形を描くような位置で、石を削って作られた背もたれのない椅子に座っていた。部屋の隅には、数名の従者が大きな扇でそよ風を作り、彼らに送っている。


「英雄バクを見事に討ち損じたそうだな」

「出発前はあんなに自信満々だったではないか」

「さすがは、降伏論を唱え旧都を追放された臆病者だけのことはある」

「単なる武芸自慢で実戦は下手……という噂も聞くが、やはりそれが真実であるか」


 嫌味の集中砲火を浴びているのは、呼び出された一人。やや大柄で筋肉質な、爬虫人の壮年男性だった。

 椅子は用意されておらず、胸当てを着けた格好で立っている。爬虫人にしてはかなり薄めな茶褐色の肌をしていた。


「いやいや、もうちょっとまともなこと言いません? 今おれのやる気を削いで長老さんたちにとって何かいいことあるんです? 一つもないでしょうに」


 名をフィルーズというその男は、精悍な顔を呆れ気味に崩しながら、そう返した。

 この者こそが、かつて旧都で戦士長を解任され、戦士の身分すらも剥奪され、この集落の長として飛ばされていた人物であった。


「言われるだけの理由がある。我々がここに逃れてきたときにお前が何を言っていたか……。忘れたわけではあるまい」


 半円の一番奥に座る最長老が、苦々しさを隠し切れぬ顔としわがれた声でそう言うと、フィルーズは首を傾げ、視線を上へと向かわせた。

 そしてやや遅れて「ああ、なるほど」とうなずいた。


「思い出しましたぜ。『おれを都から田舎に追放した長老会議が、人間族に都から追放されて、おれのところに逃げ込んで来ることになるとは。傑作ですな』っていうようなことを言いましたか。はいはい納得です」

「この街は我々爬虫人族の新たな都となった。この城もすでにお前のものではない」

「わかってますって」

「このたびお前の戦士の身分を復活させ、戦士長代理に任じてやっただけでもありがたく思うがよい」


 最長老の言葉を受け、今度は呆れた表情だけでなく、少し肩もすくめる。


「元々集落の長は柄じゃなかったですから、まあそれはたしかにありがたいです。ですけど、これからまた戦うことになる奴にそういう言い方します? もうちょっとやる気の出ることを言いましょうって」

「それこそ結果を出してから言ってもらいたいものだな」

「まあ、失敗は事実ですけど。放った矢が荷物に遮られちまいましてな。よっぽど運が悪かったんでしょうなあ」

「もう同じ手は通用するまい。人間族の次の目標は当然この新都となる。お前にはすぐに防衛戦の準備を――」

「まさか、長老会議は篭城しろとか言い出すんじゃないでしょうね」

「当たり前だ。なんのために立派な城壁を造らせたと思っている」

「あのねえ。無能は罪ですぜ。今まで人間族相手に立てこもって戦って勝った城、砦、集落がありました? おれは一つも知りませんなあ。例外なく負け。しかも惨敗」


 手を広げ、全員を見回しながらフィルーズは続ける。


「一応今までの戦いについては全部調べてますよ。とにかく連戦連敗。一番善戦したのは、野戦でオーク族との挟撃に成功したときでしたよね。油断したそのときの戦士長が、本陣に忍び込んできた英雄バクの攻撃で戦死していなかったら、勝っていたかもしれない……と。

 前にも言いましたぜ。どうせまともにやっても勝てる望みはないんですから、攻めないとダメなんですよ。攻めたら百回に一回は勝てるかもしれないです。でも守っているだけだと百回戦って百回負ける。いい頭持ってるんなら理解できますよね?」

「ならば、我々は籠城したうえで、人間族の軍の背後をオーク族に突かせればよいのではないか」


 煽りに対し最長老の隣の長老が言い返すも、フィルーズは一笑に付した。


「その作戦、旧都での防衛戦で既にやってますよね。結果はどうなりました? オーク族の増援部隊はほぼ全滅しましたよね?

 オーク族はまだ本格的に人間族に侵攻されていない立場ですし、増援部隊はあくまでも我々に貸し出されている身にすぎなかったわけですから、士気も危機感も我々ほど高いとは言えなかったはずです。さらにはそもそも数が少ないんですから、まあそうなりますよね。

 しかも彼らがやられている間に、あなたがた長老会議は旧都を脱出。どう考えてもヤバいことしてますって。戦後にオーク族から苦情も来てたって聞きましたよ?

 そんなことがあったうえで、また今回も俺たちだけ城壁の中で安全に戦って、新しく借りてきたオーク族の連中に『もう一回頑張ってあんたらだけ外で死んでくれ』って言うんですか? それを言える勇気は俺にはありませんなあ。今日このあとオーク族の増援隊の代表さんと打ち合わせやりますけど、あなたがた誰か代わりに言ってくれます?

 まあ、街のみんなが少しでも安心するのと、ここが落ちそうになったときに民間人が逃げる時間を作れますから、城壁自体はあってもいいと思いますがね。でも我々だけ立てこもるというのはありえませんな」


 彼はそこまで言うと、黙ってしまった長老一同のうち、端に座っていた一人のほうを向いた。


「あなた、たしか前回の戦で落とされた砦で、息子さんたちの一人が捕虜になってますよね? いいんですよ? おれの考えに一人だけ賛成してくれても。まだあの砦にいるかもしれませんから、『攻めて取り返してほしい』くらいは言うべきじゃないですか?」

「私は公私混同はせぬ。最長老が新都での籠城策を支持するなら、私も支持しよう」

「駄目だこりゃ。それはただの言いなりって言うんですよ。あなたにはわからないでしょうけど」


 ここで最長老が入ってきた。


「フィルーズよ。言い過ぎだぞ。口には気をつけることだ。お前の代わりはいくらでもいることを忘れてはならぬ」

「ならさっさとその代わりとやらに頼んだらどうですかい」


 でもこんな損な役回り、今さら受ける奴なんていますかね? と、一転おどけた表情を見せた。


「ま、時間の無駄みたいなんでもう失礼しますよ。とりあえず籠城の命令には背きます。処分は後でご自由に」

「待て、どうするつもりだ」


 去ろうとした彼へ、また別の長老から声がかかる。


「だから、攻めるんですよ。人間が苦手で爬虫人が割と得意なこと。そのへんを生かしてね」

「そのようなことを申しておいて、ここで逃亡して我々を置き去りにし、旧都での恨みを晴らそうというつもりではなかろうな」


 その疑惑のあまりのくだらなさに、フィルーズは苦笑いを浮かべた。


「まさか。一応言っときますが、おれは長老さんたちのために戦う気はないですけど、同胞のために戦う気はあります。それに、別に旧都を追放されたことは恨んでませんし、わざわざあなたがたに復讐しようとかそんな暇なことも考えてませんよ。安心してくださいや」


 また長老全員がしばし沈黙した。

 やがて、納得した……というよりも諦めたという表情で、最長老がゆっくりとうなずいた。


「あいわかった。そこまで言うならば結果を出してもらおうか。蒼き竜神様のご加護があらんことを――」

「いや、そういうのもやめてくださいや」


 フィルーズは心底うんざりしたように言った。


「祈っても加護をくれないから、おれらここまで追い込まれているんでしょうが。存在するのかどうかすらも怪しいものを崇めてる暇があったら戦局を打開する外交策の一つや二つ考えといてくださいって。

 だいたい、人間族だって同じ神を崇めているんでしょ? じゃあ竜神は中立でしょう。敵でも味方でもない。言ってみれば狼人族と一緒で空気みたいなものですぜ。ああ、でも、もっと負けが込んで、やっとあなたがたが降伏する決意をしたときの仲介役くらいになら役に立つかもしれませんな。ま、そのときにはおれは戦死してこの世にいないと思いますから、うまく竜神と交渉してくださいよ」

「敬称も付けぬとは。なんと不遜な」

「はいはい、不遜ですみませんね」


 ではさようなら、と、彼は退出した。




 部屋を出ると、若い爬虫人が器に入った水をフィルーズに差し出す。彼の部下である。

 礼を言いながらそれを受け取ると、彼は歩きながら、長老たちを相手に話し続けてすっかりカラカラになってしまっていた喉を潤した。


「フィルーズ様。盗み聞きしてしまいましたが、以前、長老会議に降伏を勧めていたというのは本当なので?」

「ああ、本当だぞ。まともに戦っても分が悪いなら、まず考えないといけないのは戦いを回避することさ。長老たち全員の身柄を人間族の帝国に差し出す代わりに、長老たち以外の爬虫人族すべての生活を保障してもらうって条件で降伏したらどうだ? って提案したんだよな」

「それはまた……」

「なかなか痛快ですっきりしたがな。速攻で却下された上に報復人事でこの街に飛ばされたわ」

「……。失礼ながらとても信じられません。今回のように人間族の大軍に数名で奇襲をかけてくるような武勇をお持ちのフィルーズ様が、過去に戦わずしての降伏を勧めていたなど」

「長老たちと違って多少は詳しいからな、おれは。戦のことや、人間族のことに」

「?」


 ピンと来ていない若い爬虫人の雰囲気を感じ取ると、さらに説明をした。


「多少でも対象を知っていれば、対象の怖さはわかる。それだけのことだ。何も知らなければ怖さも感じようがない。なぜなら知らないんだからな」

「なるほど。そういうことですか」

「長老たちのように、何も知らない、何も知ろうとしないというのは、ある意味最強の生き方かもしれんぞ? この世に怖いものはないということだからな」


 そして若い部下が理解をしたものの言葉に困るなか、こうも付け加えた。


「しかしその結果、一度だけ、とんでもなく怖い思いをすることになるわけだ。死ぬ間際にな。ただ、死は誰でも怖い。生涯で怖い思いがその一度だけ。なるほどそれはそれで、幸せなのかもしれん」


 その部下がさらに返答に困ったのは言うまでもない。

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