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第11話(守るために怪我するのは、全然平気)

 戦闘終了後。


「ケイ! 怪我はなかった!?」


 私の前に飛んできてからの彼の第一声が、それである。


「あのですね……。まずあなた自身の心配をしていただきたいのですが」

「俺はケイが無事ならいいんだって」

「私なら無傷ですよ。戦っていないのですから」

「そっか! よかった」


 ずいぶんとうれしそうな表情とは裏腹に、バクの胸当てからは赤い血がポタポタと垂れ続けている。

 周囲を再確認して他に敵はいないと判断すると、バクの防具や服を脱がし、怪我の応急処置をおこなった。彼はこの期に及んでも「あ、ちょっと待って。汗かいてるから」などと自分でやろうとする素振りを見せていたが、そんな場合ではないように思ったので無視した。


 幸いなことに、戦闘中にこちらが受けていた印象ほど彼の傷は深くなかった。縫合などは必要なさそうだ。傷口を拭き、包帯を巻く。


「では、ここで回復魔法をかけますよ」


 回復魔法の効果はあくまでも自己治癒能力の促進であるため、即効性はない。だが、かけるなら早いほうが有利なことには変わりない。

 バクは少し考える素振りを見せる。


「あー……、今じゃなくて後でお願いしても、いいかな?」


 そしてまさかのこの返事である。


「はい?」

「いや、野盗の仲間が来ちゃうかもしれないし……それに、せっかく海が近いし」

「海が近いから? 意味がわかりませんが」

「いや、どうせなら海辺でしてほしいなーって」

「……」


 海とのつながりはともかく、野盗の仲間が来てしまう可能性については彼の指摘どおりだ。野盗はグループを形成していることも多いと聞く。あまりここに留まっているのがよろしくないというのは一応間違っていないだろう。


 ということで、また馬に乗った。




 * * *




 帝都から一番近い海岸は、低地が多いこの国らしい眺めとも言えた。

 広く開けている。

 左右少し遠くを見ると、海辺まで森になっているところもあるが、今二人がいる場所は大きく砂浜が広がっていた。


「これが、海岸の景色、ですか……」


 澄んだ空の下に広がる、濃紺の水平線。そこから絶え間なく押し寄せる、荒々しい波。砂浜は陽の光を反射して、無数のきらめきを発している。

 海を見たことがなかった私は、その力強さと美しさに圧倒された。


 はるか南に位置する山地に住まう狼人族には、海を見た者はいないだろう。

 できれば、他の者たちにも見せてあげたい――。

 独特の匂いがする風を吸いながら、そう思った。


「あれ? なんか砂浜が前に見たときより狭くなったかな……気のせいかな? まあいっか。もうちょっと海に近づいても大丈夫だと思うから、行こう」


 バクがそう言って、私の服を控えめに引っ張ってくる。


 ここまでくる間、彼は初めて海を見る私のために、説明をしてくれていた。

 このきれいな海も、人間族にとってはとても恐ろしいものであるらしい。

 波の力は想像以上に強く、ある程度大きな船でないと簡単に転覆してしまうそうだ。そして少し沖に行けば、西から東へ向かう激しい海流があり、とても舵が取れるものではないという。また、運よくそれを抜けられたとしても、沖から陸地方向への強い流れが待ち構えており、押し戻されてしまう。さらに沖には船を転覆させる謎の巨大生物などの出現も噂されているなど、海は到底この世の地上生物の力が及ぶ世界ではないようだ。

 昔から人間族の中に存在してきたという、「海の果てに何があるのか」という疑問。きっとこの先も疑問のままであり続けるのだろう。


「一度波にさらわれちゃうと、陸に戻ってこられないから。波打ち際までは行かないようにね。砂が乾いているところまでにしよう」


 そんなバクの助言に従い、乾いた砂の上で、海のほうを向いて、足を左側にはみ出すように横座りした。

 日に焼かれたのであろう砂は熱かったが、服越しだとむしろ心地よくも感じた。


「はい、どうぞ」


 手で膝を示し、バクを促す。

 彼はいつものように少しその黒髪を掻き、遠慮がちに「よろしく」と言うと、海岸線に平行になるように寝転んで、頭を乗せてきた。


 右横向きに寝てくれれば、彼も海が見えるのだが……彼は仰向けになっている。

 その割には目をばっちりと合わせることはなく。こちらから合わせにいくと少し逸らしてくる。いつもと同じである。海辺でやってほしいと言い出したのは彼なのに、これでは意味がないのではないか。


「海を向かなくていいのですか。景色がとてもきれいですし、気持ちいいですよ」


 とりあえず、そう提案する。


「うーん……。もっときれいで、気持ちいいのが目の前にあるしなあ」

「はい? 聞こえなかったフリでもすればよいのですか?」

「あっ、変な意味じゃないよ!?」

「変な意味?」

「あっ、あっ、えっと」

「……バクはもうちょっと考えてからしゃべったほうがよさそうですね」

「そ、そうだね」


 そういうところは嫌いじゃないし、面白いからよいですが――。

 というのは口には出さず、額に右手を乗せ、回復魔法をかけ始める。

 そして美しい前方の景色を見ながら、族長に言われたことを確認しようとした。


 ――何か不思議に思うことがあれば教えて欲しい。


 それが族長からの命令だが。

 自分は海を初めて見る。なので「不思議なこと」と言われてもね、である。さっぱりわからない。


 しっかり見て、考えれば、何かわかるかもしれない――そうも思うわけだが、道中の野盗による襲撃で見たバクの戦いぶりの違和感が頭から離れず、ついそちらのほうを考えてしまう。集中できない。

 すぐに諦め、彼に直接聞くことにした。


「少し聞きにくいことですが、質問してもよいですか」

「ん? いいよ?」

「バクは……もしかして、剣の達人というわけでもない感じですか」

「前に言わなかったっけ? 俺、達人なんかじゃないよ?」

「あれは謙遜しているだけだと思っていました」

「あはは。謙遜なんかじゃないよ。帝都の剣術大会にも『参加するな』って宰相様から言われてるんだ。本当にすごい人と試合するとやっぱり負けちゃうんで、カッコがつかないからね」

「初陣のときの武勇伝は? 敗色濃厚の中、一人で敵将を倒したと聞きましたが」

「それは一応本当だけど、まぐれだと思うんだよなあ。というかあのとき本当にピンチだったし、隊で俺の教育担当だった人が目の前でやられちゃうしで、もうわけがわからなかったんだよね。運がよかったんだと思うよ。もう一度同じことやれって言われたらできなそう」

「……」


 若すぎるとはいえ、英雄様である。てっきり人間の中ではずば抜けているものと思っていた。どうやら違うようだ。


「バレないものなのでしょうか?」

「うん! 気合でなんとかしてるからね。国のみんなからは応援してもらってるし、陛下や大臣には拾ってもらった恩があるし、俺はそういうのに応えたいんだ。気持ちが入っていれば厳しい戦いもなんとかなるよ!」

「……」


 バクの黒い瞳からは、偽りの光は感じない。本当にその気持ちが彼の戦いぶりを支えているということだろうか。

 狼人族も義理は重視する種族。もしそうなのであれば、素直に立派だと私も思わざるをえない。


「あれ? ちょっとおおげさだった? まー集団戦だしさ、なんとかごまかせるんだ。それに一応、達人とまではいかないけど、普通の人よりは剣が得意だから」

「いえ、素晴らしいと思いました。感心しすぎてしまってすぐに言葉が出てこなかっただけです」

「お! うれしいなあ。でももっともっと剣の才能がほしかったー。今ほどそう思ったことはないよ」

「今?」

「うん。せめてケイの前ではずっと、すごく腕の立つカッコいい英雄様でいたかった」

「大丈夫ですよ。私の中では最初からあまりカッコよくはなかったですから」


 彼の首は私の膝の上にある。よってそんなに動かないはずなのだが、がくっと角度が下がったように見えた。


「今のは冗談ですから気にしないでください」


 冗談――。

 自分で言ったことではあるが、なんとも不思議な感覚に襲われる。

 もちろん狼人族にも冗談という概念はある。ただ、人間族のように冗談を当たり前のように飛ばしあうことはない。城の召使や執事の中にすらも日常的に冗談や軽口を好む者がいるというのは、密偵としてこの国に紛れ込んで驚いたことの一つだった。


 私自身も、故郷にいたころには意図して冗談を言った記憶がほとんどない。

 今のは自然に出た。なぜだろう。


「その冗談は笑えないよ。まあ、見られちゃったものは仕方ないよね」

「ここへ一緒に来なければ、私に見られることはなかったはずですが?」

「そうだけどさ。ケイの身に何か起きるくらいだったら、バレたほうがマシだって」

「前から少し思っていましたが、あなたはいい人なのですね」

「あはは」


 照れ笑いをしながら、鼻の下を右手の人差し指で触るバク。

 私は眼前に広がる海の景色にも劣らないような、純粋な彼の様を鑑賞した。

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