彼の体は、また脱力状態に戻った。
「あなたの考え方は、よくわからないことが多いですね」
「あはは」
「さっきの『魔力の涙』にしたってそうです。本当に綺麗だと思いましたし、わざわざ見せに来てくれたというのもうれしかったですが。あなたにも立場というものがあるはずです。軍を抜けて先に帰ってきたり、あまり勝手なことはしないほうがいいのではないですか」
これは本音だ。ありがたいことと思う一方、そんなことをして大丈夫なのかと呆れたことも事実だった。
「そうだけど。一応将軍の許可はもらってるので迷惑はかけてないと思うんだけどなあ」
「許可は出ていたのですか。それは失礼しました。無断で抜けてきたのかと」
「さすがにそれはないよ! 将軍にはすごくお世話になってるからね。でも俺、どうしてもケイに見せてあげたくてさ。頑張ってオーケー出るまで将軍を説得したよ!」
「自分で何を言っているのかわかっていますかね」
「ん? うん……って、あ! そういう変なアレじゃなくて、えっと、ケイにもいつもお世話になってるし――」
またまた目が開き、彼の体は関節が消滅したようにピンと張った。
「あら、せっかく体が緩んでいたのですが。体を緊張させないほうが回復魔法の効きはよくなりますから、力は抜いていてください」
「ご、ごめん……」
「こちらこそ意地悪ですみません。少し話題を変えましょう」
とてもお湯のせいとは思えないほど顔を真っ赤にしている彼に対し、別の話をすることにした。
「せっかくですので、この浴場の話でもしましょうか」
「この浴場?」
「ええ。城のお方から聞いた話です。この浴場は城の中では割と歴史が浅く、今からちょうど二十年前に造られたものだそうです」
「それまではなかったの?」
「ええ。このお湯は近くで湧いている温泉を引いてきているらしいのですが、二十年前までは湧いていなかったそうです」
「へえ! 全然知らなかった」
おそらくそうだろうと読んでいたが、やはり彼は知らなかったようだ。
「あなた二十年前はまだ生まれていませんからね」
「ケイは生まれてたの? というかケイって何歳だっけ」
「私は二十二歳ですよ」
「そっか。やっぱり俺よりもお兄さんだったんだ」
ふたたび彼の手足が広がり、漂うようにお湯の揺れと一体となった。力が抜けたのだ。
無事にまた力が抜けたということで、そのまましばらく、右手を彼の額に当てて回復魔法をかけ続け、左手のほうで彼の頭を指の腹で撫で続けた。
お湯の流入口のピチャピチャとした音。白くのぼる湯気が壁と天井の間に空いている大きな欄間から抜けていく様。迷い込んでひらひらと舞う青い蝶。浴場を目と耳で楽しむ。
「バク、この浴場はとても穏やかでいいですね……って、寝てますね」
よく聞くと、彼の寝息も聞こえていた。どうやら今度は完全に寝たようだ。今さらながら、この眠りへの急な入り方は特技級である。
しょんぼりしたり元気になったり慌てだしたり寝落ちしたりと、見ていて飽きない人間だ。そう思いながら、浴場を見回した。
――あ。
六角形の浴場の斜め向かいの排水溝に近いところに、一枚の布が打ち上げられていた。彼の股間を隠していたものだ。流されたようだ。
「あっ、ごめんケイ。寝てた」
そしていつもの台詞である。
「毎回それを言いますね。寝ないことがないのですから、いちいち言わなくても」
「ま、まあそうなんだけど……」
彼がそう言いながら起き上がろうとしたので、頭を無理やり押さえつけた。
「え?」
「いま何も意識せずに起き上がると、あなたがショック死しそうなので。ゆっくりと、いま自分の体がどういう状態なのか、現実を認識してから起き上がってください」
「えっ、どういう……げえっ! ぬ、ぬぬぬぬ布が――」
気づいたようだ。
お湯の中で慌てて手を伸ばし探るように動かしている。当然、その手は何も掴めないわけだが。
「このお湯、かけ流しだし、少し流れがあるのでしょう。排水口のほうに流れて行ったみたいです」
「ご、ごごごごめんなさいいいいい!!」
「はいはい、落ち着いて」
「だ、だだだだだって」
「反射もありますし、お腹あたりまでしか見えていません。気にしなくて大丈夫」