それからもバクは、幾度も戦に出かけた。連戦連勝であったものの、やはり彼は毎度のように負傷して帰還した。そのたびに、私は膝の上で彼に回復魔法をかけ続けた。
そして今日また、戦の勝利を知らせる早馬が、帝都の城まで到着したようである。
今回帝国軍が攻めた先は、爬虫人族ではなくオーク族の拠点らしい。
オーク族はこれまで爬虫人族との戦いで頻繁に援軍を派遣してきており、その派遣元になっていた拠点を攻め潰すための戦いを起こしたと聞いている。
軍には徒歩の騎士や自力で歩けない負傷者などもいるため、通常は戦勝の知らせよりも遅い到着となる。
今回の戦場までの距離を考えれば、軍が帝都に凱旋するのは数日かかるだろう。
そう思っていたのだが――。
城の兵士たちへの給仕を終え、自身の食事も済ませ。自室へ戻って少し休憩を取っていたときのこと。
ゴンゴンという少し乱暴なノックの音がした。
覚えのないノックの仕方だった。誰だろう? と思いながら部屋の入口に向かった。
「はぁ……はぁ……た、ただいま……ケイ」
「――!?」
扉を開けるとそこには、鎧を着けたままのバクがいた。
肩で息をしており、髪の毛も乱れている。鎧に覆われていない部分の服はボロボロで、血が付着していた。
だが苦しそうではありながらも、顔には笑みが浮かんでいる。
「あれ? さっき早馬が来たばかりと聞きましたが。どうしてバクがここに? しかもその恰好――」
「話は後!!」
「はい? どういうことでしょう」
「いいからいいから!」
バクが部屋に入り込み、扉を片手で閉めた。それと同時に私の服を掴み、部屋の窓際に置かれていた机まで、強引に引っ張っていく。
わけがわからず戸惑っていると、彼は手にぶら下げていた大きな袋を開けた。
そして何やら青く輝く物を取り出し、机の上に乗せる。
「これは……」
それは人の頭ほどの大きさだった。
全体的には丸いが、よく見るとゴツゴツしている、水晶のようなものだ。
多面体ゆえ、さまざまな種類の光を発していた。そのどれもが透き通っていて、不思議な柔らかさもあり、スッと体の奥に入り込んでくる。
しかも……何やら奥行きのある光にも感じられた。窓から差し込む光を反射した輝きだけではない。それ自体が内部に力を秘めているようにも見える。
吸い込まれるように、中腰の態勢のまま見入ってしまった。
「キレイでしょ?」
「はい。こんなきれいなものは初めて見るかもしれません」
「だよね!? ちょっとカーテン閉めるよ!」
私の返事を聞く前に、彼は素早くカーテンを閉め始めた。
厚く遮光性のあるカーテンが部屋の照度を奪っていく。すぐに部屋が暗くなった。
暗い中、反射する光がないはずのその多面体は、なぜか青く発光したままだった。
やはり柔らかかった。寒色でありながら、決して怜悧さのない穏やかな光。どんな激情も包み込んでしまうのではないかと思うような、そんな光だった。
「どう? こうするとまた違ったキレイさがない?」
「はい。しかも心が落ちつきますね」
「でしょ!? ケイはこれ、初めて見るってことでいい?」
「生まれて初めて見ました」
「ぃよーし!」
渾身のガッツポーズを作っている。そのバクの顔は、薄青い色に照らされていても子供っぽく無邪気で、心の底から嬉しそうだった。
「驚きました。この世にこのような石があるとは」
「石じゃないよ、これ」
「え?」
私の疑問の声で、バクはいっそう喜んだように見えた。
「これは『魔力の涙』って言ってね。この地の神――ブルードラゴンが流した涙の結晶って言われてる。魔力を秘めていて、光を反射しなくても自分で光るんだ」
「ブルードラゴンの涙、ですか。こんなに美しいものなのですね」
「ブルードラゴンが涙を流すところなんて見た人いないから、本当かどうかはわからないけどね。ははは」
バクは人差し指で鼻の下を触りながら笑って、そう言う。
「しかし、どうやってこれを手に入れたのですか? ブルードラゴンの棲み処は、生き物が入り込めない地と言われているはずですが」
ブルードラゴン――。
全ての種族にとって、この世の神とされている。
言い伝えでは、この帝国のずっと南にある山岳地帯をさらに越えた高地に住み、この大地を見守っているという。
そこは他の生物を寄せ付けない極寒の地。地は一年中氷に覆われ、時期によっては朝すらも訪れない闇の世界になるらしい。
もちろん信憑性のある目撃例などはない。人間族の中には見たことがあると主張する者がわずかにいるようだが、より南に棲む他種族で目撃例がないのに、人間族が目撃できる可能性などあるのだろうか? と私は思っている。何かを見間違えたか、ホラ吹きが嘘をついているか、どちらかだろう。
「今回の戦いの帰りに、たまたま見つけたんだ。崖の途中で、ちょっと取りづらいところだったけど……。俺はまだ見たことないけど、言い伝えがあるってことは、ブルードラゴンは人が入れるところまで飛んできてたりすることも――あっ」
彼が説明している途中に、青色の光を放つ多面体の水晶――魔力の涙は、音もなく消滅した。
外側から空気に溶け出すような、不思議な消え方だった。机の上に液体が残るわけでもなく、破片が残るわけでもなかった。
「消えましたね、バク」
「はー、よかった」
真っ暗になってしまったので、私はカーテンを開けていく。
彼はお尻をドテンと床に落とし、両手を後ろについていた。
「あぶなかった。もうちょっと遅れてたら見せられないところだった」
あらためて、気を使い果たしたというような彼の姿を見た。
少し伸び気味になった黒髪の上に、木の葉の欠片のようなものが付着していた。肩にも何か小さなゴミのようなものが載っている。服の肩のあたりが破れていることや、血が付着した黒っぽいシミなどがあることなどもあわせ、いかにも戦場からそのまま帰ってきましたという身なりだ。
「もしかして、これを見せようと軍を抜け出して、急いで帰ってきてくれたのですか」
「あ、うん。魔力の涙ってあまり日持ちしないって聞いてたから。もしかしたら間に合わないかもしれないと思って、お願いして先に行かせてもらった」
彼は座り込んだままそう答えた。
「なるほど……それでそんな恰好のまま来たのですね」
特に咎める意図などなく、何気なく言っただけだった。彼はいつもこの部屋に来るとき、傷の応急処置を済ませ、着替えた状態で来ていたからだ。
だが、彼は私の一言で床から飛び上がった。
「あっ、ごめん! 汚いよね。すぐに脱ぐからっ。あ、ここじゃだめか。こっちの部屋で着替えて出直し――」
「ちょっと、落ち着いてください」
全身をもって慌てぶりを表現しだした彼を見て、慌てて鎮めに入った。
「私は別にかまいません。せっかく来てくれたのですし、このまま回復魔法をかけさせてください。今は特に用事はないのでしょう?」
軍が凱旋してきたら、彼はまた帝都民の前に立たなければならない。だが、それは明日以降の話だろう。今日は回復魔法を受けて、あとは休んでいてよいはず。
「このまま!? ダメだよ! 汚しちゃうから!」
「気にしなくていいのに」
部屋は掃除すればよいだけだし、私の服も、ベッドのシーツも、術後に替えればよいだけの話だ。だが彼は首を大げさに横に振っている。
「こっちが気にするって! すぐに着替えて体を拭いて……あ、今回はそこまで大きな怪我はしてないから、このお城のお湯に浸からせてもらってこようかな」
「ああ、それなら私も浴場に行きます」
「えぇっ?」
「私はあなた専属というわけではないですが、城の召使ですよ。あなたも城に部屋を持つ身分ですから、世話のために浴場に同行するのはごく普通の話で、別におかしくはないはずです」
「で、でも」
「わたしはお湯には入りませんから。着衣のままで世話するだけですので安心してください」
「へえええっ!? い、いやそういう意味で言ったわけじゃ――」
「はいはい。では私はあなたの着替えをもらってから行きますから。先に行っていてください」
お湯に入る前から茹で蛸のようになっている彼を送り出し、こちらも準備をして浴場に行くことにした。