バクの四肢から力が抜けていく。
部屋のランプの明かりに照らされた彼の体は、橙色のお湯に浮かぶかのようにゆらめく。いつもと違うのは、彼が上半身裸に包帯ぐるぐる巻きという点。かなり痛々しい。
「バク。今回みたいに大きな怪我をしてる場合とか、疲れが酷い場合は、呼んでくれればわたしのほうから医務室に行って回復魔法をかけますよ」
そう提案すると、彼のまぶたがゆっくりと、そして少しだけ動き、目が薄く開けられた。
「いや、それはちょっと……」
「?」
「医務室だと、コレやってもらっているところを他の兵士さんに見られるから嫌だよ」
恥ずかしそうに、彼は膝の上に預けていた頭を四分の一回転する。
彼の左耳の穴が見えた。耳掃除する時間がなかったのか、少し粉を吹いたように耳垢が飛び出していた。
「あなたと約束しましたから、他の人間には秘密にしていますが……。このかたちで回復魔法をかけているというのは、公にするのは本当にまずいのでしょうか? 座ったままできない以上は仕方ないと説明すれば、なんとかなるでしょう」
バクは私が回復魔法をかけると、なぜかすぐに深い眠りに落ちてしまう。そのため、座っている状態で魔法をかけると危険だ。
初回は当然そうなることを知らなかったので、見事に医務室の椅子から落ちて騒ぎとなってしまった。ただ効き目は良好で、私がバクの専属回復役となるきっかけともなったのだが。
二回目は医務室のベッドに寝てもらったが、寝ているバクの横に椅子で座るかたちにすると、彼の頭部に手を当てるためには、私は身を乗り出し、長時間腰を曲げ続けなければならず、意外ときつかった。
それでも私は毎回そのかたちでやる気でいたのだが、今度はバクの側がこちらの腰を心配した。
「何かいい方法はないのかな?」と彼に聞かれた私は、「膝の上に寝てもらえば距離も高さも丁度よいかもしれませんね」と答えた。なぜかそれが一番初めに思いついたので言ってしまったのである。
そして彼がすぐに「それが一番マシならそうしよう。でも恥ずかしいから内緒で頼むよ」と真剣に頼んできてしまい、現在の形で落ち着くことになった。
執事長や関係各所にお願いをして医務室に彼専用の施術台を作ってもらう手はあったかもしれないが、機を逃してしまった感はある。私が軍に同行せず城で回復魔法をかける状況が続くことが最初からわかっていたわけではないので、それは仕方ないだろう。
まあいずれにせよ、膝枕に関してはもともと「やむをえず」ということで始まったものである。
「な、なんとかはならないって」
彼は慌てたように仰向けに戻り、顔を赤くしながら私の案を拒否した。
まあ英雄様としては、膝枕だけでなく無防備に寝落ちした姿を他人に見られてしまうことにも問題はあるのかもしれない――ということで、魔法をかけ続ける。
この膝枕の形でも、横座りをしているので腰にまったく負担がないわけではない。しかし狼人族という種族はもともと種族皆兵であり、誰もが体を仕上げている。この程度で腰痛になることはない。
ちなみに、初めて膝枕をしたときは正座でおこなった。彼が不満を口にしたわけではないが、やっている私の目からは、正座だと太ももが硬くなってしまうことや、少し高さがありすぎるため、彼の首がつらそうに見えた。
そこで次の回に横座りにしてみたところ、彼は「柔らかくて高さもちょうどいい」と恥ずかしがりながらも喜んでいた。横座りにすると太ももの肉がより弛緩するうえ、足が重ならないため高さも抑えられることから、よりよい膝枕になるようである。
「ああ、そうだバク。耳の中が……って、もう寝ていますね」
また彼は、膝の上で眠りに落ちたようだ。
「あっ、ごめん。また寝てた」
しばらくして目を覚ましたバクは、照れ笑いをしながら頭を掻いた。
「今まで寝なかったことがないでしょう」
「あはは」
そして例によって恥ずかしそうに逃げ帰ろうとしたため、上から頭を押さえつけた。
「えっ?」
「魔法はもういいと思いますが、耳垢がたまっていたみたいですので……。少し待っていてください。取りますよ」
「い、いや、でも」
「いいから。私が気になってしまって仕方ありませんので」
頬をまた赤く染める彼の頭をそっと置き、耳かきを持ってきて、また膝枕の形にする。もちろん今度は仰向けではなく、横向きだ。
彼の左耳に、そっと耳かきを差し込んだ。
「っ……」
「痛いですか?」
「い、いや。き、気持ちいい……」
力を入れないように、そっと撫でるように耳の穴を掻いていくと、遊んでいた彼の左手がゆっくり動き、遠慮がちに私の左膝に触れた。
その感触を契機に、ふたたび彼の上半身を見た。
全体に巻かれている包帯。血が滲んでいた部分は、だいぶ黒ずむように変色していた。
「……」
少し、疑問に思う。
英雄と呼ばれるきっかけになった戦では、彼は帝国軍が総崩れとなる中、志願して単身突入し、敵将を見事討ち取り、生還したと聞いている。
しかし、そんな突き抜けた実力があるはずの彼なのに、毎回結構な程度の怪我をして帰ってくる。なぜだろうか?