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第3話 美野里さゆ

「さゆ!」


 大学から出て帰ろうとして男の低い声でいきなり呼び止められて、びくりと体をすくめる。


 誰? と一瞬眉をひそめそうになったが、大学にいる男であたしの名前を下の名前で呼ぶのは良介しかいない。


 だけど、良介はもう松葉さん付き合っているのだから、あたしの名前を呼ぶ必要なんてないでしょう。


 それなのに、どうしてあたしの名前を呼ぶの? あたしたちはもう関係のない他人なのだから呼ばないで欲しい。


 良介のことを無視して帰ろうとすれば、あたしを追い抜き、目の前に良介が立った。


 数ヶ月前、あたしがひっぱたいたとは違ってあたしを見つめる瞳は力強い。何の用かは知らないけど、あたしはもう良介とは話すことはない。


 良介も松葉さんと付き合ってしばらく経つのだからあたしのことなんて放っておけばいいのに、何でわざわざやって来たのか分からないんだけど、まだ何かあるの?


 もう関わりたくない。良介とは話すつもりはないと無視して歩き出す。


「!」


 良介を避けて帰ろうとしたら腕を掴まれて、驚いて良介の顔を見た。何で無視しているのに、自分の意見が優先されると思っている訳?!


 あり得ない。


「話がある。お前は俺と話すのは嫌だろうけど、俺はちゃんと話したいんだ」

「……分かったから放して」


 叫んで辺りの人に助けを求めようとするよりも早く、良介が口を開いた。 


 意味が分からなくてギッと睨むが、良介は無視して言いたいことだけ言う。


 勝手なこと言わないでと話すことはないけど、何度も同じようなことをされるかもと考えたら、この一回で話を終えて、二度と関わらないでとお願いすればいい。


 それに、ここで言い争って誰かに見られて、また噂になるだなんてそんなの堪えられない。


 良介と一緒にいるせいか、人の視線があたしたちに集まって来ているような気がする。二人っきりで話すのは嫌だけど、もう良介とのことで噂になるのは嫌だ。渋々とだけど、頷いた。


「……それで何?」

「移動しよう」

「ここで話して。じゃないと聞かない」

「……分かった。とりあえず、これ借りっぱなしだったノート」

「……どうも」


 今さら返されても仕方ないけど、返してくれるのなら受けとっておこう。ノートは後で捨てるかなんかすればいいんだもん。


「これで終わり?」

「いや、違う。さゆも知っていると思うけど、俺は少し前からリサと付き合い出した。お前とのこと曖昧にしたままリサと付き合うのもどうかと思ったけど、でも、さゆにいくら連絡しても捕まんないし、リサはお前を怒らせたってずっと泣いてるし大変だったんだよ」

「……それってあたしが悪いの?」


 あたしと良介が付き合っていたのに、松葉さんがあんなこと言わなきゃここまで拗れなかったと思う。


 確かに盗み聞きしたのはあたしに非があると言われたらそうなんだろう。だけど、松葉さんが泣いたのは松葉さんの勝手だよね。


 そのことはあたしに文句言われる筋合いなんてないし、松葉さんのことが気になるならあたしのところにいるんじゃなくて、松葉さんのところに行けばいいじゃない。


 頭の中でぶつぶつ文句を垂れ流し、良介の後について歩いて行けば、こじんまりとした公園。公園には砂場とベンチしかない。こんなところがあったなんて知らなかった。


 小さな公園だからか、まだ夕方だというのに人気はなくて閑散としているが、もし、何かあったとしても目の前は大通りだからすぐに逃げられそう。


 付き合っていた時、良介が手を上げるなんてことはしなかった。


 だけど、あそこであたしが出て行かず、別の時に良介に別れを告げられたらば、柚木君のことが気になっていたあたしはあっさり頷いていただろう。


 だけど、多分過去に戻れたとしても、あたしは何度だって松葉さんのことをひっぱたいてやったことだろうし、もしかしたら良介のことは髪の毛ぐらいはむしっていたかもしれないけどね。


「あ、いや、そういうつもりじゃ……」

「そうだよね。あの時良介がはっきりしなかったせいじゃん」


 松葉さんに期待持たせるような言い方でさ。


 しかも、あの時あたしのこと見てバツが悪そうにしてたのは何だったの?

あの時のことを思い出せば、今は悲しみよりも怒りの感情の方が強い。


 あの時、良介はあたしじゃなくて松葉さんにグラッとしていたってことじゃないの? 実際わりとすぐに松葉さんと付き合い出したんだし。


 半眼でねめつければ、良介はバツが悪そうに一瞬目を反らそうとしたが、すぐに視線を戻してきた。これで話が終わりになるかって一瞬期待したのに、何でまだ話を続けようとするのよ。いい加減にしてよ。


 何度あたしを傷つければ気が済むのよ。


「……そうだな。それは俺が悪かった。俺があの時リサのことをはっきり断るか、さゆと別れるって言っていたら変わっていたかもな……でも、それはもう出来ない。俺が出来るのは今日ちゃんとけじめをつけることだけだ。ごめんさゆ別れてください」

「……分かった」


 何を言っていいのか分からなくなりそうだったし、何故か分からないけど、泣きそうで、良介の前なんかで泣きたくなかったから頷く。


 あたしになんかわざわざ言いに来なくたってとっくに縁なんて切れているのに、良介は馬鹿なんじゃないのかって思う。


「ありがとう。さゆとあんな終わり方のままなのは気になっていたからさ」

「……これからは松葉さんを幸せにしてあげてね」

「そうするよ。じゃあな」


 さっきまでの重苦しい雰囲気は霧散し、良介はからっとした笑みを浮かべると立ち去った。付き合い始めた時も、別れも良介からだった。どこまでも自分勝手な良介と呆れるべきなんだろう。


 だけど、ようやくわだかまりもなくなったことにホッとする自分もいる。


 この何とも言えない感情を誰かに聞いてもらいたい。


「……ついでに髪でも切っちゃおうかな」


 失恋したら髪を切るのって定番っちゃ定番だけど気分転換にはなるでしょ。ばっさりと切ればみんな驚くかな。


 柚木君の驚いた顔もちょっと見てみたいな。


 柚木君は今どこにいるんだろう。あたしからメッセージを送ったらびっくりするかな。


 ちょっとだけワクワクしながら美容院の予約をして、ばっさりと髪を切った。今まではかなりの長さがあったけど、今は肩甲骨の辺り。


 ショートにしようかと迷わなくもなかったけど、あんまりばっさり行き過ぎても違和感があるかなって思ってこのぐらいにしたけど、今でも結構な違和感があるからショートにしなくてよかったかも。 


 良介のこともあっさりと終わったし、これからあたしも変わろう。


 髪の長さが変わって、思っていた通りみんなの反応は少々大げさともとれるもので、中でも柚木君は笑ってしまいそうなぐらい取り乱していた。


 あたしの髪をチラチラと見ては何か言いたげにしていたと思えば、当たり障りのない聞き方で吹き出してしまわないようにするのは大変だった。


 柚木君なりの優しさなんだろうけど、いっそのことちゃんと聞いてくれた方がすっきりすると思うんだけど、何で聞いて来ないのかな? 聞いてくれた方が楽なんだけど。


 自分から良介と話したことを柚木君に言ってみる? 柚木君なら良介とのことを話しても、良介から何か聞いているかもしれない。


 それなのに、何も言わないってことはやっぱり気を使ってるってことよね。友達も理由を聞いて来ようかどうか、何度も口ごもっているので、そっちには気分転換と言って誤魔化した。


 柚木君のことだから良介と話したことを言ったら多分また良介に怒ってくれるだろうけど、あたしの中で良介のことは終わったことだから気にしていない。あたしはもう良介のこと吹っ切れたというのに。


 柚木君って優し過ぎなんじゃないの?


 想像の中だけど、本当に怒ってくれそうな柚木君がリアルに想像出来てふふっと笑ってしまった。


「あれ?」


 今までそんなことなかったのに、あたしはどうしてこんなに柚木君のことを気にしているんだろ?


 いつから柚木君のこと気にしてるんだっけ?


 良介と別れた時に柚木君の話聞いて、その時に頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃって、それから全部どうでもよくなっちゃったのは覚えている。


 柚木君への恋心は綺麗さっぱり断ち切ったと思っていたのに、まだ未練があったとか?


 そう思うものの、柚木君を見てもときめくとかは全然してないので、多分それはないと思う。


 じゃあ、なんであたしは柚木君のこと気になっちゃったんだろう? と思うものの、答えが出ない。


 何でだろう? 夏休み庇ってもらったから? それとも、会えばあれこれと気を使ってくれているから?


 遊びに行こうって言われているのを何度も断っているから心苦しくなったとか? 何が正解なのか分からない。


 本人に聞く訳にもいかないし、友達に聞いたら何か変な勘違いされそうで聞けないし、こんなこと誰に相談するのが正解なんだろ。


 むしろハタから聞いたら変なのろけになってしまいそうで、相談しにくい。


 いっそあたしのことを全く知らないネットの人に相談してみる?


 いや、それはちょっと怖いかも。ネットに嘘を混ぜて話をするもの嫌ならもう誰にも相談なんて出来やしないじゃない。


 意気地なしの自分にうんうん唸るしか出来なくて歯がゆい。こんな時みんなどうやって答えを得ているんだろう。


 何かヒントがあるかもと少女漫画を読み漁ってみたけど、よく分からなかった。あたしの感情を上手く表して欲しいだけなのに、誰かに余計な茶々を入れられそうで嫌になっちゃう。


 誰にも相談出来そうにないやとため息を吐きたくなった。


 これはもう自分で考えろってことなんだろうな。でも、考えたって答えが出そうになくて、お腹の中でモヤモヤした気持ちが渦巻いている。


 どうしたらいいんだろ。


 自分の心境の変化に戸惑っていると、柚木君の姿を見かけた。


 友達と一緒に楽しそうに笑いながら歩いてる。あたしには気付いてないみたいで、冗談でも言っているのか時たま笑い声が聞こえてくる。


 明るい茶色の髪は太陽の光の下でキラキラと輝き、柚木君自体が発光しているようにも見えなくない。


 スラッとしたガタイなのに筋肉がほどよく付いていて、細マッチョなんじゃないかって想像してしまう。


 そこまで考えて、いつの間にこんな風に柚木君のことを見ているのかとまた頭を悩ませそうになっていたら柚木があたしが見ていることに気付いて、走って来た。


 見てたの気付かれた。恥ずかしい。


「どうかしたの?」

「何が?」

「俺のこと見てたから」


 にこりと笑う柚木君の姿にやっぱりドキドキしないと考えながら自意識過剰と答える。


 でも、見ていたと言われて恥ずかしくなってたのが、余計恥ずかしくなって柚木君からそっと目を反らす。


 自分でもよく分からない行動だったのに、指摘しないでよ。


「そうかな?」

「そうよ。あたし用事あるから」

「ああ、うん。またね」


 あれ?


 いつもだったら途中まで一緒に行くって言うのに、今日はもう行っちゃうの? 珍しい。今までこんなことなかったのに。


 一瞬引き留めそうになったけど、柚木君にも用事があるのだから引き留めるのもどうかと思って見送ったが、何となく気になって柚木君の背中を姿が見えなくなるまで見送ってしまった。


 やっぱりあたし何か変わってきたりするのかな?


 考えてみてもよく分からないし、答えが出なくてモヤモヤする。


 どうしたら答えが出るんだろ?


 どうしていいのか分からなくてその日はそれ以上考えることはしなかった。だって、考えたって分からないもの考えてたって仕方ない。


 いつかは答えが出るかもしれないんだし、その時はその時また考えればいい。そのいつかは早く出てくるといいな。




◇◇◇◇◇◇




 自分の気持ちが分からなくなってしまったけど、それでも時間は進んで行く。あたしたちは二年になった。


 二年になって柚木君はサークルが忙しいのか、あんまり顔を見なくなってしまった。


 そのことに柚木君は今日はいないなと思うことはあっても、会いに行こうとかは考えたことはなかった。


 だって、遠くから見る柚木君はいつも誰かと一緒で、そこに入って行って変な顔されるのも嫌だし、また今度でいいかと思ってる間にも時間は進んでく。


 それにあたしはあのサークルを辞めたからね。辞めた人間が柚木君に会いたいからってうろうろしていたら、あそこの人たちも辞めた人間が顔を出すのは気まずいかも。というか、あたしは気まずい。


「あ、ねえ、さゆは聞いた?」

「何が?」


 柚木君のブロックは解除したけど、自分からメッセージは送りにくいなと考えていたら幸恵が話し掛けてきて、一回頭の中から柚木君を追い出す。


「あのさ、柚木君最近さゆのところに来ないじゃん……」

「うん。そうだね」


 言いにくそうに言う友人に相づちを打ちながら、せっかく頭の中から柚木君を追い出したのに、わざわざ何で柚木君の話題をするんだろう?


 ちょっと顔がひきつりそうになったけど、それは幸恵にはバレなかったみたいで友達はそのまま会話を続けるので、ホッとする。


 いや、話の内容的にはホッとするものでは全くなかったんだけどね、なんとなくホッとしてしまっただけで。


「さゆに話すのもどうかと思ったけど、いつかどっかで聞くかもしれないと思ったから、それなら先に言っておいた方がいいかなって」

「そこまで改まらなくてもいいよ」

「そう?」


 苦笑しながら答えれば、友達は信じてなさそうな顔だったけど、何も言わなければあたしのことを気にして話をやめそうだったので、大丈夫だからと付け加えれば、ようやく口を開いてくれた。


「あの、最近、柚木君のところに新入生が付きまとってるらしくてさ、苦労してるっぽいって噂だったんだよ。それぐらいならあたしも柚木君のことは気にしてなかったんだけど、その一年の悪い噂聞いたから」

「どんな噂なの?」


 あたしより別の子が興味を持ったみたいで、身を乗り出して聞き出している。


 あたしはその一年のことは知らないので、何とも言えないから下手なことを言わないように黙って聞いておくつもりだけど、悪い噂ってあんまり聞きたくないような。


 別にそういう話をするのは、彼女の自由だからあたしがとやかく言うのは違うってのは分かってるけど、眉をひそめそうになるのは許して欲しい。


「なんか、柚木君に断られているのに、しつこくアタックしているんだって」

「そうなんだ」

「それだけなら、いいけど他の先輩にも言い寄っているとかいないとか」

「それって柚木君キープってこと?」

「分かんない。何で男子はそういうの疎いのかな?」

「知らないよ。あたしは男子じゃないし」


 みんなの騒ぎを聞きながら柚木君と噂の一年を想像する。


 柚木君は確かに誰が見てもイケメンだと思う。だから、柚木君と付き合いたいというのは分からなくもない。


 だけど、他の人にもアタックしているのは理解出来ない。好きならその人だけじゃないの?


「さゆは柚木君にアタックされている側だから知っておいた方がいいと思ったよのよ」

「あたしは別に……」


 その場の視線があたしに集まって居心地が悪い。


 柚木君のことは何とも思ってないと言っているのに、どうしてこんなことを言ってくるの? それとも自分でもよく分かってない柚木君への気持ちをこの子たちは分かっているとか?


 いっそのことあたしの中にあるこのモヤモヤした気持ちを聞いてもらう?


 何て答えるのがら正解なのかと悩んでいたら、階下の方から柚木君を呼ぶ声が聞こえた。


 あたしたちがいるのは、三階の教室。次の講義が始まるまでお喋りしていたところだった。近くに柚木君がいるんだろうか。


 あたしたちは一旦会話を中断して、声の主を探すように階下を見るために、窓際に集まった。


「あ、あれ! あそこじゃない?」

「柚木君だ」

「でも、女の子の声だったよ」

「あ!」


 どこにいるんだろと視線をさ迷わせていたら、柚木君に一直線に向かって行く可愛い女の子が向かって行くのが見えた。


 女の子の背はすらりと高く、流行の服に身を包んだ体はほっそりとしていて、痩せていて羨ましい。髪も明るく染め上げて、ちらりと見えた顔も読モ並みに可愛い。


「さっき言ってた子ってあの子?」

「……そう」


 幸恵に聞けば渋い顔をしながら教えてくれた。あの子が柚木君のことを狙っているのか。


 あたしみたいな地味な感じではなく、イケメンの柚木君の隣にいても見劣りしないどころか、多分お似合いなのかもしれない。


 松葉さんとはまた違った美少女が柚木君に声を掛け、楽しそうにしている姿はハタから見たらお似合いなんだろう。だけど、その姿にあたしはどんな顔をしていいのか分からずに、視線を反らす。


「このままでいいの? 柚木君あの子に取られちゃうよ」

「……」


 幸恵の言葉に何て言っていいのか分からずに、あたしはただ黙って階下の様子を見ているしかなかった。


 ただあの二人の姿を見る度に春だというのに、まるで心の中に秋風が吹くような何とも心もとない気分になってしまって、彼女の言葉に何も言えなくなってしまう。


 あたしは何て答えるのが正解だったのか分からないまま、二人の姿があそこから消えるまで見送ってしまった。


 それからも、噂の一年が柚木君の隣にいるのを見かけたり、柚木君と話をしている時に割って入られて、あたしには分からない話をされたりと、あからさまな牽制をされたりする。


 その度に、あたしは柚木君なんて興味ないと自分で自分を慰めるかのような変な気分になって更に落ち込んだりしてしまう。


 どうして自分がこんなに落ち込んでいたりするのか分からなくて、余計にモヤモヤする。


 体を思いっきり動かせばこのモヤモヤも晴れるだろうと、体を動かす系のバイトを始めてみたが、疲れただけで気持ちは一向に晴れる気配はない。


 というか、あの一年が視界に入る度、このモヤモヤが大きくなって行っているような気がして、余計に嫌な気分になってきた。


 友達に相談したいところだけど、何度も柚木君のことは興味がないと言った手前、相談しにくい。相談したらしたでからかわれそうな予感しかなくて、あたしはモヤモヤした気持ちを抱えたまま過ごすことに決めた。


 柚木君にあの子と付き合うの? と一言聞いてしまえば、このモヤモヤも晴れるんだろうが、とてもそんな気にはなれない。


「ああ、もうどうしよう……」


 部屋でうだうだしながらあれこれ考えたところで、いい案が出る訳でもない。だけど、行動する気にもなれなくて、モヤモヤしたまま過ごさなきゃいけなくて、段々と気が重くなってきた。


 いつまでモヤモヤしなきゃいけないのか分からなくて、余計気が重い。


「大学行きたくないな……」


 大学に行けば、今日は柚木君と一緒の講義がある。


 もしかしたら、あの一年が柚木君に引っ付いているところを見るんじゃないかって思ったら気が重い。こんなこと思ったのは、良介とリサさんの時以来だ。


 柚木君のことは好きじゃないと思っていたのに、思っていた以上に好きだったのだろうか? でも、本当にときめくとかもないし、何なんだろ。


「おっはよー」

「え? あ、おはよう」


 歩いている内に気付かなかったけど、もう大学の入り口だったんだ。


 幸恵に声を掛けられてびっくりしたのを誤魔化しながら返事をして、そのまま教室に向かう。


「はぁ~」

「最近元気ないみたいだけど、どうかしたの?」

「えっ、そうかな?」


 やだ。無意識にため息吐いちゃっていた。誰にも相談するつもりもなかったから、人前では普通に振る舞っていたつもりだったのに、油断していた。


「うん。最近窓の外をぼんやりと眺めていたかとおもえば、首をいきなり振ってたりしてちょっと怖かったんだけど、突っ込んでいいものなのか迷ってたのよね」

「……言って、それは」


 いつそんなことをしてたんだろ。恥ずかしい。


 幸恵が見ているってことは大学でもそんなことをしていたってことじゃない。だったら見知らぬ人にも、そんな場面を見られているってことでしょ?

 恥ずかしいってもんじゃない。


「ああ、うん。でも、悩んでることが多分柚木君のことでしょ?」

「え」

「違うの?」

「違うっていうか……」


 図星なんだけど、それを素直に頷くのもなんとなくしづらくて曖昧な返事になってしまった。


「あたしってそんなに分かりやすい?」

「あー、うん。柚木君に一年がへばりついているの見てからそわそわしたり、ため息吐いたりしてるんだもん。気付かない方が変だよ」

「そっか」


 あれから柚木君のこと避け続けていたから本人にはあたしが変なことはバレてないと思うけど、友達にはバレていたということが分かって何か逆に落ち着いてしまった。


「話す?」

「うん」


 適当はベンチに座って今感じている気持ちを話す。その間、幸恵は黙って聞いていてくれた。


「あのね、柚木君のことが好きって訳じゃないの。でも、柚木君があの一年と一緒にいるところを見ると何て言っていいのか分からないんだけど、自分でも分からないない感情が沸き上がってきてさ、どうしていいのか分からなくなっちゃって……」


 まだ自分でも分からない感情のことをどうやって説明すればいいのか分からない。


 話している内に考えが纏まるかなって思っていたけど、そんなことはなく、頭の中はこんがらがったまま。


 幸恵もこんな話聞かされたところで困るよねと落ち込みそうになっていたら、おっきなため息を吐かれてしまった。


「さゆ、それって一年に嫉妬してるんじゃないの?」

「嫉妬?」

「だってあの子と柚木君と一緒にいるの嫌なんでしょ? 今まで自分のところだけにしか来なかったのに、急に素っ気なくされて、一年の子と仲良くしているのが見てて嫌だったんでしょ? それってあの一年に嫉妬してるってことでしょ」

「嫉妬……」


 あたしがあの一年に? そんなことないと言い返したいのに、どこかで納得している自分もいる。


「あたしって柚木君のこと好きなの?」

「いや、知らないよ。あたしはさゆじゃないんだし、……でも、ハタから見てたら柚木君のこと目で追っかけたりしてるし、多分そうなんじゃないの?」

「そうなんだ」


 あたし、自分では柚木君のことなんともないと思っていたけど、周りから見たら柚木君のこと好きな風に見えていたんだ。


 というか、大事なことなのに、自分で自分の気持ちに気付かなかったなんてあり得る?


「さゆがどうしたいか決めるのはあたしじゃなくてさゆが決めることだよ」


 幸恵はそう言うと立ち上がった。話はこれで終わりらしい。あたしもお礼を言って立ち上がる。


 どうするかはまだ決めれないけど、この感情に名前を付けてくれただけでもよかったとしよう。


「とりあえず当たって砕けろって言うでしょ。当たるだけ、当たって来なさいよ。玉砕したら胸ぐらいは貸してあげるから」

「うん。そうならないように頑張る」


 幸恵に話を聞いてもらってすっきりして、その足で柚木君のところに向かう。柚木君への気持ち自体はまだ分かっていない。


 だけど、この気持ちがある限りどんな答えを出すにしろ、一回柚木君とちゃんと話をした方がいい。


 柚木君がもう登校してきているのか分からないので、とりあえずメッセージを送り、今どこにいるのか確認したいのに、柚木君は中々既読にならない。


 いつもしつこいぐらいに連絡を寄越せって言うくせに、肝心な時に出ないなんて何をしているのよ!


 既読にならないメッセージにいい加減うんざりして電話に切り替える。


『もしも……うわっ!』

『もう! せんぱいってば、いい加減あたしの話を聞いてくださいよ!』

『だから聞く気はないって何度もって電話の邪魔すんなよ! ……もしもし? ごめんね。ちょっと騒がしくて』


 柚木君の電話越しに騒がしい女の子の声が聞こえてくる。


「……柚木君、今どこ?」


 そのことに今まで出したことのない低い声が出る。


『え? あーと──』

「そこに行くから動かないで」


 柚木君の答えた場所はあたしのいる場所からそんなに遠くない場所だった。

柚木君には一方的に電話を切って駆け出す。


 声はいつぞや聞いたあの一年の女の子のものだった。


 あたしは最近柚木君と会えてなかったのに、あの一年は今日も柚木君と一緒だなんて。


 付き合っているんだろうか?


 それは本人から聞いてないから分からない。


 でも、今は自分の気持ちをはっきりさせることを優先させるって決めたから。柚木君が誰と一緒にいるとか関係ない。


 朝っぱらから走るあたしに何だ? と不思議そうな顔を何人かに向けられたけど、そんなのいちいち相手になんかしてられない。


 ダダダと音を立てながら走っていたら、そろそろ柚木君が見えて来てもおかしくない頃なんだけど、柚木君はどこにいるの?


 あっちこっち視線をさ迷わせるけど、中々見つからない。


 電話を掛けようとしるのに、上手くスマホを出すことが出来ない。なんでこんな時に限ってポケットに引っかかるのよ!


「美野里さん?」


 イライラしながらスマホを取り出していたら、柚木君の声がした。


 声のした方を慌てて見れば、柚木君に今にも抱きつこうとするあの一年と、それを片手で頭を掴んで押し留めている柚木君の攻防が視界に入った。


「柚木君、今いい? 話があるんだけど」


 その姿を見たくなくて、柚木君の腕をぐいっと引っ張って一年の女の子から柚木君を引き剥がす。 


「あ、うん。もちろん……じゃあ、そういうことで」

「あー! せんぱーいあたしの方が先だったのにぃ!」

「ごめんね。あたしのこと優先してくれるって言っているからあなたは帰ったら?」

「はぁ?」


 めちゃくちゃ不服そうな顔をされたけど、柚木君もあたしの肩を持ってくれたので、彼女は文句を言っていたが、無視して別の場所に向かう。


 もう邪魔されたくないんだもの。


「……あの、邪魔してごめんね」

「いや、俺も困ってたから助かったよ」


 柚木君の話では何度断ってもああして付きまとってきていたので、そろそろ殴ってしまいそうなぐらい困っていたらしい。


「さすがに女の子を殴るのはよくないと思っているんだけど、何度断っても気付けば、こっちの行動まで把握してて、暴力よりも警察に相談するか迷ってたんだ」

「……柚木君はあの子のこと好きとかはないの?」


 柚木君の返事にホッとしながら、気になっていたことを尋ねる。


「ないよ。俺が好きなのは美野里さんだけ」

「そ、そう」


 まっすぐ見つめながら言われた言葉にどきりとする。


 今までも柚木君に好きだのなんだの言われても何とも思わなかったのに、いきなり急に動揺するだなんて、さっきの話の影響かな?


「あ、あの、あたし柚木君に話があったんだ」

「話?」

「うん」


 あの一年のことをどう思っているのか聞こうとしたのに、それは柚木君がもう答えてくれてしまったので、何を話せばいいのか。


「あたし柚木君があの一年と一緒にいるところを見るの何でか分からないけど、嫌だった」

「え」

「黙って聞いて」


 嬉しそうな柚木君の声に一気に言わないと意気地がなくなって、いつまでも話せなくなっちゃいそうだから黙って聞いてと睨む。


 そうなったらあの時言っておけばよかったって後悔しちゃう。そんなの嫌。


「柚木君には今まで冷たい態度取っていたから、今さらこんなこと言われたって柚木君からしたら迷惑でしかないのだろうけど、さっき一年の子が柚木君に引っ付いているのすごく嫌だった。ちょっと前にそのことを友達に相談したらそれは嫉妬だって言われたの。あたし正直、柚木君のことを今でも好きなのか分からない。だけど、あの子といるのを見てたらそれが嫉妬だって分かってからいてもたってもいられなくなってここまで来ちゃったの」


 自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。


 でも、今言わなければいつまでも言えない。だから、嫌われてもいいやと言いたいことをまくし立てる。


「だから、何が言いたかったのかって言うと、あたしは柚木君のこと自分でも分からないけど、何でか気になっているの……あ、あの、あたしは柚木君のこと多分だけど、好きなんじゃないかって思う。でも、まだ自分でもこの気持ちが分かってる訳じゃないから、もし、柚木君が迷惑じゃなければ聞かなかったことにして」


 自分の気持ちがちゃんと分かってからもう一度言いたい。今の気持ちをまくし立てたら急に恥ずかしくなってきた。


 柚木君の顔がまともに見られない。もう戻ろう。そろそろ戻らないと遅刻しちゃうかもだし。


「じ、じゃあね。本当にあたしの言ったこと気にしなくていいから」

「待って!」


 柚木君に背中を向けて走り出そうとしたら、柚木君に手首を掴まれてしまって硬直する。


 な、何で? あたしさっき気にしなくていいって言ったよね? 何であたしは引き留められてんの?


 意味が分からなくてパニックになりそうだったけど、柚木君にぎゅっと抱きしめられて今度は固まってしまった。


「あのさ……」

「な、何……」


 柚木君の行動に今まで柚木君と一緒にいても何も感じなかったのが嘘のように胸の鼓動がうるさく感じられる。しかも、顔が近い。


 耳元で話されると柚木君の吐息が耳に当たってくすぐったい。


 以前のあたしだったらこんなことされたら、柚木君のこと殴っていたかもだけど今はそれどころじゃない。何でこんなに心臓うるさいのよ!


 柚木君が何か言おうとしているのに、聞こえなかったらどうすんのよ。


 落ち着きたいのに、柚木君が離してくれないからいつまで経っても落ち着かない。


 何であたしは抱きしめられてんの? というか、恥ずかしいから離して欲しいんだけど。なんて言えばいいのか分からない。


「美野里さん、美野里さゆさん。俺も美野里さんのことがずっと好きだった。だから、俺への気持ちが分からなくてもいい。ちょっとでも俺に関心があるんだったら、というか、俺のこと好きなんでしょ。あの子に嫉妬するんだったら他の子とは話さないし、嫌だったら俺のスマホから女の子の連絡先全部消してくれたっていい。だから、ちょっとでも俺のことが気になっているのなら俺と付き合って。そんで、俺のこともっと好きになって」

「……うん」


 今まで散々あれこれ悩んでいたけど、柚木君とこれからどうなりたいのか分からないけど、でも、柚木君を好きなことは確かだ。


 それだったら断る理由なんてない。


 素直に頷けば、柚木君の力が少し増した気がしたけど、そんなこと気になんてならない。あたしもぎゅっと抱きしめ返せば、自分の胸がドキドキと脈打つ音が聞こえてくる。


 柚木君を最初に好きになった時から結構時間が経ったし、色々と遠回りした。昔初恋は叶わないってどかで聞いたことがあったけど、あんなの嘘だった。 


 遠回りしたけど、あたしの中学からの初恋は今叶った。


 これから楽しいことだけじゃないだろうけど、柚木君とはこれからもずっと一緒にいたい。




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