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第12話 熱が出た日は寂しくなる 5/6

 布団にくるまりながら真剣な声でマイロはミラたちに尋ねた。


「……なんでいるんすか?」

(布団の幽霊みたいだわ)


 ミラはそんなことを思いつつも、「ご機嫌よう、マイロさん」とあいさつをしてから話した。


「お見舞いに来たんです。お、お友達だから」


 そして、ミラは差し入れの中からスポーツドリンクを選び、キャップを緩ませてから差し出した。

 マイロはぼーっとした頭でそれを受け取ると素直にそれを飲んだ。

 ヒューゴはミラのその光景をただじっと見守る。もしマイロがミラに対して失礼な言動を取ろうものなら、風邪で苦しんでいようが容赦なく叩きのめすところだが、彼は日常生活を送る為に何かするという体力さえも残っていないような状態だった。


(……意外と反応が薄いな。マイロさんなら、ミラ様がお越しになりようものならもっと反応すると思ったんだが)


 普段のマイロなら「どうやって住所を特定したんだろう、怖い」とか「一般人の家に来ないでください、怖いから」とか言いそうなものだった。だがマイロの目はうつろで、顔は汗ばみ髪が張り付いている。ヒューゴはミラの背後からそっと近寄り、マイロに声をかけた。


「ミラ様がどうしてもとのことでしたので……今回のことはどうぞご内密に」

「へぇ……そっかぁ……あざす……」


 マイロはやっとの声で返事をする。高熱のせいでマイロの頭は難しいことを追求する気力が無いのだ。それでもマイロはもう一度体を起こすと、かすれた声で、


「か、風邪……移っちゃうんで……ちょっと待ってください……」


 と言いながら、ベッドから抜け出て近くの机に置いておいたマスクを取りに行こうとしていた。

 だが、足元はおぼつかず、まるで老人のようにふらつきながら歩くものだから、ミラとヒューゴは慌てて彼の身体を支えるとそのままベッドに寝かせた。

 取ってもらったマスクをマイロは着けるとベッドの背もたれに半分寝ながらもたれ掛ったが、ミラたちがなぜ自分の部屋にいるのかがいまいち分かっていないようでぼーっとした頭でミラたちを見ていた。


「お薬はどこですか?」


 ミラはきょろきょろと周囲を探していたが薬らしきものが見当たらない。

 マイロは咳をしながら、力なく頭を振り、「もうないっす」と言った。


「昨日はまだ……体調ましだったんで薬局行けたんですけど……げほっ、俺、間違えて……1日分だけのやつ買っちゃってて……」

「それなら、お薬とか持ってきましたから、こっち飲んでください」


 ひとまず、1回分の薬を水と一緒にマイロに渡した。マイロも普段なら疑いそうなものだが、一切そのようなそぶりも見せずに素直に飲んだ。そしてすぐ脱力したようにベッドに倒れ込んだ。

 ミラはその様子を見てますます不安そうな顔をしたので、ヒューゴがスマホを取り出してミラに耳打ちをする。


「ミラ様、俺、知り合いの医者に電話しますね」

「えぇ、ありがとうヒューゴ」


 ミラはぱっと明るく微笑んだが、マイロは「そ、そこまでしなくても……」と困惑していた。しかし、マイロの声は届かず、ヒューゴが電話をかけ始めたので、マイロは諦めてそのままベッドで横たわっていた。


(あ、頭いってぇ……ずきずきする……)


 熱のせいで頭が回らない。

 マイロは全身に疲労感を抱きながら虚ろな目でぼんやりと天井を見つめていた。

 目を横にすると、ミラはベッドのそばに腰を下ろし、穏やかな目でマイロを見守っていたので、マイロも茹で上がった頭で、ミラの事を見た。ミラは目が合うとにこりと笑うので、マイロも愛想笑いを返す。


(なんで2人がいるんだろう。俺、ヒューゴさんに住所教えたっけ……? そもそもなんで姫さんが……)


 ミラの顔もぼんやりとしか見えないけれど、存在だけははっきりと感じ取れた。

 こんな掃き溜めのような部屋に国宝級の美女が存在しているという違和感。鼻が詰まっているせいで分からないけど、多分香水のいい匂いがするんだろう。


(いや……姫さんが俺なんか心配してわざわざ来るわけないか……夢だ、夢)


 しかし、とてもじゃないが一国の姫が庶民の家まで見舞いに来るという、にわかには信じられないシチュエーションを、マイロは現実の出来事だとは一切信じなかった。

 きっと先日、アレックスとヒューゴが変なことを言ってきたせいで、変に意識してしまったから夢でも見ているんだろう。

 まるで青少年の願望のような夢の内容にマイロは自分でも引いたが、目も覚めそうにないので諦めてため息をついた。


(だっさいなぁ俺。童貞かよ……)


 目が覚めればいつもの孤独な部屋が俺を待ってるに決まってる。


(そのとき、俺はどう思うんだろう……)


 マイロは自分の心の弱さが情けなくて嘲笑する。

 しかし、ミラはどこか不満げな表情をしながらマイロに話しかけた。


「マイロさん、体調が悪いのに一人でいたなんて……もっと人を頼るべきですよ」


 ミラは諭すように優しく言ったが、マイロはぜえぜえと息をしながら頭をフルフルと横に振った。


「……いや、頼れる人がいないんで……げほっ……」

「そんなことないでしょう! お友達とか、ご家族とか……」


 ミラはマイロの汗をハンカチで拭いてやる。

 マイロはミラの行動に一瞬懐かしむような表情を見せたが、すぐ寂しげな眼差しを宙に向けながら言った。


「俺、家族、いないんで」

「え?」

「……げほっげほげほっ! あ、気にしないで……。……でも……だから、あー……頼れる人ってのは、あんまいなくて」


 ミラはその言葉に一瞬、息をのんだ。


(……家族が、いない?)


 当たり前のように周りに家族がいるミラにとってそれは衝撃的な台詞だった。

 自分より年上とはいえマイロはまだ25歳の青年だ。

 だというのに、マイロは一人で生きてきたというのだろうか?


「……ご家族がいらっしゃらないんですか……?」


 マイロはこくんと頷いて続けた。


「俺以外みんな、……中学のときには死んじゃってて……。友達も、げほげほっ、そんないないし……」

「……そう、だったんですか」


 ミラは思わず拳を握りしめた。

 ――中学生なんてまだ子供だ。大人に守られるはずの立場で家族を失ったマイロの気持ちや当時の背景を想像すると、胸が苦しくなった。

 同時に、彼が時折見せる不器用さにも納得がいくような気がした。

 1人で生きていくことでいっぱいいっぱいだった彼は、自分以外の事を考える余裕がきっとなかったのだ。


「あぁ……でも……大丈夫です。1人は……気楽っすよ。もぅ……慣れましたし……」

「そんな……寂しいこと言わないで。私、助けにくらい来ますよ」

「はは、……姫さん……優しいっすね……」


 マイロは微かに笑ったが、その笑みはどこか力なく、寂しげに見えた。

 ミラはその表情を見て、ますます胸が締めつけられるような思いがした。


(リアルな夢だなぁ。会話ができるなんて)


 清掃が足らなくて埃っぽい部屋だ。部屋の隅に重ねられた洗濯物や漫画雑誌、出せていないごみの山。

 大国の王女が足を踏み入れるのに、ふさわしいとは決して言えない狭苦しい部屋。


 掃き溜めのようなマイロの部屋に月夜の妖精のように美しいミラがいることが彼は不思議でならなかったが、何度も瞬きをしても消えないミラの存在に少しずつ心強さが募るような気がしていた。


(……夢なら、このまま覚めなくてもいいかもしれない)


 もし体が自由に動いたのなら、カメラに手を伸ばして自分の視界に映るもの全てをカメラに収めたはずだ。

 マイロはミラがいるその場所だけは聖堂のような清らかさを感じるような気がしていたし、それを写真という媒体に残したいという願望も、夢なら叶えてもいいだろうとも思っていた。

 もちろん今はそんな体力はないし、仕事以外でそのようなことをすればミラの従者に袋叩きに合うだろうけれど。


「……優しいと言えば……姫さん……俺の好きなもん覚えてましたもんね」


 突拍子もなくマイロが急に話を変えたので、ミラは「え?」と返す。


「シェパーズパイ……俺が好きって言ったから……用意してくれたんすよね……? そういや俺、ちゃんとお礼……言えてなかったなと……思って……。ありがと……ございます」


 マイロは少し照れくさそうに微笑んだ。

 その言葉に、ミラは思わず目を見開く。彼が自分の行動に気が付いてくれていたのだと思うと胸が温かくなるのを感じた。


「でも……すんません…………俺、あれ食べた時……ちょっと違うなって思ってたんですよ。美味かったけど……」


 マイロの不躾な言葉にミラは驚いたが、マイロが何かを説明しようと懸命になっている様子を察し、ミラは耳を澄まし続けた。

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