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第12話 熱が出た日は寂しくなる 4/6

 アパートの階段を最上階まで登り、廊下を曲がって突き当りにあるのがマイロの部屋だった。


(ここが……マイロのお家なのね)


 庶民的な家を訪れること自体が初めてのミラは、見慣れないアパートの廊下をきょろきょろしながら歩いた。

 廊下は住民が自由勝手に使っているようだった。

 ドアにシールを貼ったり、おそらく住人の出身地である国のフラッグがぶら下がっていたり、自転車やスケートボードの板を置いているものもいた。

 階段を最上階まで登り切ったため、2人の息は若干切れていたが、マイロの家の前に、彼の自転車が置かれているのを確認した瞬間、ミラは息が止まりそうになった。


(間違いない。この前のツーリングのときに彼が跨っていた自転車だ)


 本当にマイロの家まで来んだ、ということをミラは自覚すると、緊張し始めていた。


(お友達の家自体、アレックスくらいしか行ったことないのに、お、男の人の家なんて上がるの初めてだわ)

「ミラ様、俺が先に行きますから、少し下がっていてください」


 ヒューゴは覚悟を決めたような面持ちをすると、マイロの家の数回ノックした。

 しかし、中からは何の音もしない。


「……留守かしら」

「いや、いると思いますけどね。自転車が置いてありますし」


 ヒューゴはもう一度ノックをする。呼び鈴も鳴らしてみるが、それでも反応はなかった。


 だが足元で「キィー」という軽いドアの開く音がした。

 2人が驚いて同時に足元を見ると、玄関ドアに開いている小動物用のドアから、灰色がかった毛色の猫が頭をのぞかせていた。

 猫は「にゃーん、にゃっにゃーっ」とミラたちに訴えかけるように鳴いているので、2人は一緒にしゃがむと猫に目線を合わせた。


「かわいい……」

「マイロさんの猫でしょうか?」


 ヒューゴは指を伸ばして猫の顎を撫でた。

 人馴れしているようで大人しく撫でられてはいるが、猫は2人の気を引くように「にゃーっ」と鳴くのを辞めない。


「……ねえ猫ちゃん、あなたの飼い主さんはおうちにいるかしら? 教えて」


 ミラが猫に話しかけると、猫はしばらくじっと見つめた後、「にゃーん!」とかわいらしい声で鳴く。そしてそっと玄関の内側に戻り始めた。

 そしてドアの内側から猫が爪を研ぐような、ガリガリという音が聞こえ始める。ミラは思わずヒューゴと目を合わせた。


「……マイロはきっと中にいるわ。猫ちゃんが入ってきてって言ってる気がするの」

「えぇ、でも……」


 ヒューゴはまるで信じられないという顔をしたが、ミラは何の根拠もないはずなのに、疑いのない真っ直ぐ伸びる視線でマイロの部屋のドアを見つめた。

 そして細い指でドアノブをひねると、ドアは「かちゃり」と音を立てて、開いた。


「鍵……してなかったみたいですね」


 マイロの不用心さにヒューゴは飽きれるように驚いたが、ミラはとても冷静に返した。


「できないくらい、しんどかったのかも」


 そして、ヒューゴが静止する間もなく、ミラはマイロの家に足を踏み入れた。



 部屋には灯りが付いておらず、玄関も廊下も真っ暗で何も見えない。

 それでも中で待ち受けるようにお座りをしていた猫が再び「にゃーん」と鳴いて、尻尾を立てながら短い廊下を進む。

 ミラたちはスマホの明かりを頼りに廊下を進み、メインルームであろう扉を開けた。そして手探りで部屋の明かりをつけたら、真っ先にピンクのアゼリアのような色をした壁紙が目に入った。


 天井が低く、三角屋根の影響で壁が斜めに迫る狭い部屋には、無数の写真が飾られていた。

 陽が沈みゆく水平線、ピンクフラミンゴが一斉に飛びたつ瞬間の水面、数百年前の人類の遺跡、どこまでも続く青空の写真――世界的な写真家の傑作写真が壁という壁に貼られ、風景写真集も積み重なって机に置かれていた。


(マイロの部屋、予想はしてたけど、本当に写真でいっぱい……)


 そして一番奥に置かれたベッドでは、確かに男が一人、薄い布団にくるまって眠っていた。

 猫は「とっとっとっ」と走り抜けると、ジャンプして、男の腹の上に乗った。

 そして丸くなって座るとミラたちと目を合わせて「にゃ」と短く鳴いた。


「……何、お前、ま、……げほっ! げほげほっ!……また来たの。風邪移るぞ……」


(! マイロの声だ!)


 布団にくるまっていて顔は見えないし、声もしゃがれていて聞き取り辛いが、間違いなくマイロの声だった。

 ミラたちはマイロが話しかけてきたのかと思い一瞬どきりとしたが、布団から伸びた腕は猫を撫でていた。猫も応えるようににゃーんと鳴く。

 だが猫を撫でるマイロの腕は弱々しい。猫を撫でる気力も続かないのか、すぐに腕はどすんとベッドに落ちた。


 布団越しにマイロの咳が再び聞こえた後、ミラとヒューゴはお互いに顔を見合わせた。

 彼の体調が想像以上に芳しくないことを察したミラは一層真剣な顔つきをして、声をかけた。


「あの、マイロさん……」


 彼女は静かにそっと一歩を踏み出してベッドのそばに寄った。

 マイロを少しでも驚かせないようにと、ミラはとても気を使って声をかけたが、マイロはベッドごと跳ねる勢いで驚いていた。慌てて顔を布団から出すと、ミラたちを見てより目を見開いた。

 マイロの顔は青白く、額は汗ばみ、目は虚ろだった。そして体は小刻みに震えており、ぜえぜえと息が荒い。

 風呂にも入れていないみたいで髪も少しペタンとしていた。


「……姫さん!? ヒューゴさんも……」


 マイロは驚いたように無理に体を起こしたが、体が重くてまたすぐに横になった。

 それでも布団をスカーフみたいに体に巻くと、目だけを出してミラたちをじっと見た。

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