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第8話 マイロはパパラッチなんだから 2/3

(危ない危ない。マイロはパパラッチなんだから、あんまり気を許しすぎたらだめよミラ)


 図書館に移動したミラは自分の饒舌多弁を叱咤しながら、経済学の本棚で目的の本を探した。

 ミラ以外の学生はおらず、貸し切り状態でとても静かだ。

 だが、おそらくミラと同じように直前にレポートを仕上げた学生がいたのだろう。

 社会学に関する本棚はぐちゃぐちゃで、子供が積み上げた積み木のように整然としていなかった。


(まぁ。急いでいたのね。私もよく本を積み重ねてマーゴットに怒られるのよね)


 この本棚を荒らしたのはおそらく背の高い学生だったのだろう。その証拠に目的の本は本棚の一番上に重なって戻されていた。


(背伸びをすればぎりぎり届く高さね。マイロも待ってるし急がなきゃ)


 普段なら高い場所にある荷物は背の高いヒューゴや他の従者に取ってもらうのだが、今日はあいにく一人だ。

 仕方がないのでミラは「よいしょ」と背伸びをして、指を精いっぱい伸ばしてみる。


(ちょ、ちょっとだけ届かない。あと数センチなのに)


 けれど、本当にあと少しの距離でミラの指は届かなかった。

 必死で指を伸ばしてみるが、届くのは用事のない本ばかりで目的の書物には届かない。


「そ、そうだ。下の本をつかんで一緒に取り出せばいいんだわ!」


 解決策を閃いたミラは本の塊に手をかけて少しずつ引きずり出すと、目的の本も一緒に手前の方へと移動する。


(んんっ、もうちょっと……!)


 だが、正しい位置に置かれなかった本たちは、まるで人間に仕返しするかのようにミラの顔面に目掛けて、バタバタと雪崩落ちてきた。

 ――ぶつかっちゃう!

 そう思ったミラは「きゃっ」と恐怖で叫びながら、とっさに自分の頭を手で覆い守ろうとした。

 しかし、いつまでたっても本は落ちてこず、床に落下するような音も聞こえない。


「あっぶなー。大丈夫ですか?」


 うっすら瞼を開けた先に見えたのは、死んだ目のまま心配そうにミラを見ているマイロであった。

 片方の手は落ちかけた本を掴み、もう片方の手は傘のように広げられ、ミラの頭上を守ってやっていた。


「顔に当たってないですか? 大丈夫?」


 ふう、と安心したようにマイロは息をつくと、落ちかけた本をもとに位置へと戻す。


「……ジャ、ジャックさん。何でここに」

「入力終わったから見に来たんです。危機一髪でしたね。手が届かないなら呼んでくれれば取ったのに」


 そしてマイロは背伸びをすることもなく、一番上の棚に難なく本を戻していく。ぐちゃぐちゃだった本が少しずつ整理された。


「女の子なんだから顔に傷つけちゃだめっすよ」


 そしてミラが取ろうとしていた本を「はい」と手渡そうとする。えくぼのある不器用な笑顔がまるでミラを見守るようだった。

 そのとき、ミラの脳裏には幼いころの記憶がまるで洪水かのようによみがえっていた。

 埃っぽい空間で、そう言いながらえくぼを作って微笑んだ少年の顔を、ミラははっきりと思い出していた。


 ――女の子なんだから顔に傷つけたらだめだろ。


(あぁそうだ。この人はあの時も、同じことを言ったっけ)


 そうだ。こんな風に不器用な笑顔だった。今日みたいにえくぼが可愛くて、見惚れたんだ。

 ミラはそう思うと胸の奥底がきゅっとする。苦しいほどの愛の炎がミラの体を熱くするのを感じた。


 ――もし私がもっと子供だったのなら勢いに任せて抱きついてしまうのに。


 立場上マイロに想いを伝えることなんてできないことは、ミラは痛いほど理解している。

 マイロへの気持ちは片思いで終わらせるつもりだ。だというのに、こんな調子じゃマイロにバレてしまいそうだ。

 それでもあの瞬間の気持ちを思い出すと、ミラはマイロに対する想いに身を焦がしてしまった。

 ミラは本で赤くなった顔を覆い隠した。

 そして勢いで行動しないように一呼吸したあとに、少しうるんだ目でマイロを見つめる。


(マイロ、あなたは何も変わってないのね)


 ぎこちなくミラは微笑む。


「ありがとう、マイロ……」


 そして自然と口から感謝の言葉が出た。純粋無垢な感謝の言葉だった。

 だが同時に、今は決して呼んではいけない名前を口走っていた。

 なぜなら今目の前にいるマイロはジャックであり、ミラフレンズの誰かの彼氏という設定なのだから。


「え」


 マイロは普段生気のない目をまん丸に見開いて驚愕していた。

 ミラは無意識に吐いたセリフだったため、自分が何を言ってしまったのかすぐに理解できていない。


「……ん?」


 ミラはマイロの困った顔を見て目を細めると、自分が何を言ったのかを振り返ってみた。


「……あーっと」

「…………あっ」


 しまった。とミラは思うと、全身に鳥肌が立っていた。顔は青ざめて、滝のような冷や汗が止めどなく前進に流れ落ちる。

 苦笑いを浮かべるマイロを見て自分の失言を察した。

 目の前にいるのはジャック(偽名)であるという設定がすっぽりと頭から抜けていたのだ。


「あー、あっー、えーっと、ジャックよね! ね! あなたはジャック……!」


 ミラは慌ただしく誤魔化そうとしているが、マイロはマイロで名前が知られていたことに心底驚いていた。


「――やっぱり、バレてましたよね……?」

「………………はい」


 台無しにしてしまった。と、ミラは心底後悔していた。

 今日はせめて知らないふりをして楽しもうと割り切っていたのに、すべてが台無しになってしまった。


「……姫~」


 そして予想だにしない方向から、ミラが普段から耳にする声が聞こえた。

 2人が一斉に振り返った先で見たものは、ミラを心配して様子を見に来た従者のモーヴが、手に持っていた缶ジュースを滑り落している様子だった。


「……なんであのパパラッチと一緒にいるんですか~?」

「や、やば」


 マイロは思わずその場から逃げ出そうとしたが、モーヴは次の瞬間にはマイロの行く先を塞ぐように目の前に立っており、そのままマイロの首根っこを掴み、彼を拘束した。

 それは自分よりも小柄な女性が繰り出す力とは思えぬほどの怪力だった。

 マイロは首を掴まれると同時に膝裏を蹴られて、体のバランスを崩したと思った瞬間には膝をついてその場に座らされていた。

 ミラの護衛を務めているというからには多少武道の心得はあるだろうとは分かっていたが、一流の護衛から直接攻撃を受けるとここまで痛みを伴うとは予想外だった。

 悲鳴を上げてしまいそうな痛みがマイロの両腕を襲う。


「……途中から見てたんですよ~。まずは姫を助けてくれてありがとうございますね~。だけど……マイロ・ガルシア。良いって言うまで逃げないでね?」

「は、はい」


 マイロもその様子に悲痛な声をあげる。

 ミラはモーヴがカラテの有段者かつ大会優勝経験のある達人であることは知っていたが、このように技をかけるシーンを見るのは初めてで、底知れぬ恐怖に襲われていた。


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