目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第8話 マイロはパパラッチなんだから 1/3

「ま、まずは自習室に行きましょう。あそこなら電源があるし喋っても怒られないから」


 図書館と併設されている広々とした自習室では、学生らが点々と散らばって作業していた。

 マイロは物珍しさから自習室をぐるりと旋回してみた。

 白を基調とした室内では、学生IDとパスワードをかざせば自由に使えるデスクトップPC、読書に適した広さのデスク、ちょっとしたミーティングが行える防音室など、そこらの企業よりも恵まれた環境が整っている。自動販売機のジュースやお菓子は非常にリーズナブルで市場よりも半値以上安い値で販売されていた。ミネラルウォーターならば無料でもらえるらしい。

 マイロは思わずほぉと見直すようなため息をついた。


(さすが王立大学。設備が整ってる)


 マイロは自分が通っていた大学を思い出していたが、ここまで設備は整っていなかったように思う。

 もっともマイロは奨学金と自身の稼ぎで大学に通っていたため、バイトに追われて自習室なんて数えるほどしか訪れたことがないのだが。


(しかし、ここに並んでるPC、カスタム次第では100万を超えるやつだぞ!? 椅子だって、腰にやさしいハイエンドのオフィスチェア……。学生のくせに甘やかされてるなぁ)


 嫉妬のような感情を覚えつつミラのもとへ戻ると、ミラは防音室の一室を確保しており、自分のラップトップを立ち上げたところだった。


(か、片思いを楽しむって決めてたのに、なんでこんな急に急接近しちゃうんだろう)


 姫という立場上、一般人との恋愛は難しいということはミラ本人も重々承知している。

 だからミラはせめてマイロと自由にお話しできる日が1日でもあればいいというささやかな願いだけを胸に秘めていたのに、そのマイロが今真横にいるのだ。


(せめてもっとおしゃれしてる日だったらよかったのに! 何でちょっと適当な服を選んだ日にこんなことになるんだろう!)


 ミラは緊張でパスワードを打ち込む手が震えていたが、やっとの思いでパスワードを解くとラップトップをマイロに渡した。

 そしてルーズリーフと筆記用具を準備したら、気恥ずかしそうにこほんを咳払いをする。


「え、えっと、私は手書きでレポートを仕上げるので、それを清書していただいてもいいでしょうか……」

「あー、了解です」


 ぎこちない空気が流れる。

 一応初対面というていではあるが、毎日顔を合わせている仲なのだ。

 特にマイロはジャックという偽名を名乗っているうえに、ミラが気付いているのかの確証が取れなかった。そのためミラ以上にはらはらと気を揉んでいた。


(なるべく無言で。だけど情報を仕入れられるように少しずつ話そう)


 お互い目が合わせられないまま時間だけが過ぎていった。

 ミラは教科書や参考書を見ながらレポートを順に書いていく。マイロはそれを横目で読んでみたけれど、専門用語の羅列のせいで読めるのに内容が理解できない。


「……これは何のレポートなんですか?」

「今日やらないといけないのは、開発途上国の経済の推移についてのレポートです」


 ミラに教えてもらった情報をもとにもう一度読んでみたが、やはりよく分からなかった。出版社に勤める以上新聞に目を通す機会はあるのだが、元来の不真面目な性格が邪魔してなかなか身が入らない。


「よくこんな難しそうな文章がさらさらと書けますね」


 ミラはマイロからの称揚に少し照れながら答える。


「うふふ。経済は身近な事と地続きなことが多いですから面白いですよ」

「へえ、例えば?」

「そうですね……身近な話をすると、SNSにアップされる写真も経済と無縁じゃないんです。例えば、誰かがステラコーヒーの新作飲んでる写真をアップすると、すごい勢いでみんな飲みに行くでしょ?」

「あぁ確かに……」


 リザリーが新作が発売されるたびに買いに行っている事をマイロは思い出していた。


「それもマーケティングの一環だし、どうやって消費者心理を掴むかの勉強になるんですよ」

「あぁなるほど。分かりやすい。頭いいんですね」

「えへへ……そんなことで褒められるなんて初めてです」


 ミラはマイロの言葉を素直に受け取るとほほを赤らめながら笑った。

 ルビー色の瞳と同じようにほほが赤らむ様子に、マイロは少し面白くなる。


「いつもこんな難しいことを勉強しているんですか?」

「まぁ……そうですね」


 マイロはまるで初めて知ったかのように大げさに「へえ」と答えた。


「お姫様も大変ですね。もっと左団扇で暮らしていらっしゃるものかと」

「私には皆様のお役に立てるような人間となる義務がありますからこれくらい平気です。お母様も喜んでくれるし……」

「王妃が?」


 マイロはミラの発言が少し引っかかっていた。

 親孝行な性格だと思えばそれまでなのだが、母親について話した瞬間、少し声が沈んだからだ。

 娘が親の機嫌を伺うことはさほど珍しいことではないだろう。だが、普段の天真爛漫な彼女の性格からはそのような発言がうまく結びつかなかった。


(まずい、口が滑っちゃった)


 一方で、ミラもマイロの探るような声色にはっとした。

 マイロが悪い記事を書くなんてことはないと信じたいが、他人に王家の事情についてぺらぺらと話すのはご法度だ。

 ミラは自分の口をふさいだあと、わざとらしく「あっ」と思いついたかのような声を上げた。


「大変! 必要な資料がないわ。私、図書室の方に行ってきます。すぐ戻ります。これ入力しておいてください」


 ミラは書き込んだルーズリーフを1枚破りマイロに渡すと、そのまま逃げるように図書室の方へと向かう。

 マイロはミラの背中を見送った後、少し悩んだような顔をしてからレポートの入力を始めた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?