「別にそうじゃないですよ。編集長が書かせてくれないだけで……」
「でも、ミラちゃんの前の担当は、ミラちゃんがわざとブスに見える写真ばっか選ぶ炎上商法してたじゃない」
リザリーの言葉に、マイロは一瞬眉をひそめる。
「マイロが撮るミラちゃんって結構社内でも好評なのよ? フォトショの修正も上手だし」
「あんなん数重ねれば誰でもうまくなりますよ」
「違うわよ。センスがあるって言うのよ。人を美しく切り取るセンスっていうのかしらね」
リザリーの言葉は真っ直ぐだったが、マイロはまだ素直に受け取れなかった。
「マイロだって同じことできるのに、してないってことはそういうことでしょ?」
「それは編集長からの命令で仕方なく……っ」
「WEBの更新は編集長のチェックいらないじゃない。やっちゃえばいいのに?」
マイロは言葉を飲み込んで黙り込む。その様子を見て、リザリーは面白がるように微笑み、「マイロは優しいよねぇ」と呟いた。
「――……だからって何で俺なんすか?」
「え?」
「そりゃあ俺だって、何の実績もない新人が、希望の担当になれないのは分かりますよ。でも、それなら何で俺は王族担当に抜擢されてるんすか? そこそこの教養が求められるはずでしょ? 大学だっていいとこ出たわけじゃないし、縁故採用なわけでもないのに……」
「さぁ。顔じゃない?」
「は?」
「少なくとも女に好かれる顔してるわ」
リザリーのその言葉には悪意はなかった。だが、マイロの表情が一瞬で凍りついたのを見て、リザリーは「やばい」と直感した。
彼女が何か言い訳をしようとするより早く、マイロのいつも虚ろな目にさらに深い影が落ちた。
「いや! そういうことじゃなくて、印象が大事ってこと。ほら、柔らかい雰囲気っていうか……」
「……俺、人を誑かすようなこと、したくないんで。」
マイロは椅子を引いて立ち上がった。
「休憩、行ってくるっす。」
「ねぇ~、このタイミングで離脱しないでよ~。私がセクハラしたみたいじゃん!」
リザリーの言葉を背中で振り切るように、マイロはその場を離れた。
ランチスペースの片隅にあるコーヒーマシンの前に立つと、鏡面に映った自分の顔が目に入った。
「……チッ」
思わず舌打ちをする。長い前髪を掻き乱して顔を隠そうとするが、その行為がむしろ自分の苛立ちを露わにしているようで、さらに気が滅入る。
注がれるコーヒーをぼんやりと眺めながら、先ほどの会話が頭の中で繰り返された。
触れられたくない話題だったとはいえ、事情も知らない相手にあんな態度を取るのは大人気なかった。
マイロはため息をつき、コーヒーを一口飲んでから、気分転換してリザリーに謝ろうと心に決めた。
ポケットからスマホを取り出し、近くの適当な席に腰を下ろす。動画アプリを立ち上げ、お気に入りの配信者の新着通知を確認すると、再生ボタンをタップした。
画面が切り替わり、3Dアニメーションのタイトル画面とともに、刑事の渋い声が流れ始める。
『潜入捜査!?』
『あぁ。例の組織のな。これは極秘任務だ。やれるな?』
再生されたのは、マイロがよく見るゲーム実況者の最新動画だった。どうやら刑事もののゲームらしい。
実況者は冒頭の早口でお決まりの挨拶を終えると、テンポよくゲームのあらすじや魅力を語り、慣れた手つきでスタート画面を進めていく。その語り口は軽妙で、どこか癖になる響きがあった。
「潜入捜査の話か……」
コーヒーを啜りながら、マイロは30分弱の動画を1.3倍速で再生した。
舞台は警察署。
軟派なベテラン警部と硬派な新人刑事による凸凹コンビが、度々衝突していた。
マイロはイヤホン越しに声優の演技と、画面下部に表示される台詞を交互に見つつ、動画に没頭した。
コーハ:警部、私は捜査に必要なこととはいえ、潜入捜査のように人を騙すことはしたくありません。
ナンパ:こーゆーのは型破りって言うんだ。お前のコンクリみたいな硬い頭じゃ救える命も救えなくなるぜ。分かったら全身ピンクの燕尾服買ってこい! 領収書も貰え!
コーハ:どこに売ってるんだ! 大体、上から潜入捜査の許可だって下りてないですよね!?
ナンパ:後で認めさせるさ~!
無茶苦茶な上司だな、とマイロがぼそっと突っ込むと、ゲーム実況者も同時に「めちゃくちゃだなwww」と笑いながらゲームを進めていく。
硬派なコーハは、生真面目すぎるが故に捜査中に苦悩することが多く、マイロは度々感情移入してしまった。
堅物ゆえに仕事でも壁にぶつかり、裏で落ちこぼれだと馬鹿にされていた自分と重ね合わせていたのだ。
コーハは最初、ナンパに反発していたが、渋々潜入捜査を受け入れた。
潜入先の構成員は悪事ばかり働いていたが、コーハを温かく、快く迎えてくれた。
構成員が悪人には見えない顔を見せるたびに、コーハは正義と悪の板挟みになり苦しんだ。
しかし、コーハが迷うたびに、軟派なベテラン警部ナンパが手を差し伸べ、コーハを導いた。
ナンパ:正しい、正しくないにこだわってたら、見えない景色があるんだよ。時には柔軟に動け。嫌われることを恐れるな。批判されることを厭うな。けれども、プライドは決して忘れるな。
「柔軟に動け、か」
ぽつりと呟いたマイロに、声が降ってくる。
「何の動画? それ」
振り返ると、そこにはリザリーが立っていた。マイロを心配して追いかけてきたのだ。
「……好きなゲーム実況者の動画っす」
「ふーん。こういうの好きなんだ。」
「まぁ」
「へー」
いつも通り愛想のない返事に、リザリーは少し苦笑いを浮かべた。
しばらく考え込んだ後、にこっと微笑みながら言った。
「デスクから伝言」
「なんすか」
「仕事しろってさ」
「……へーい」
マイロは気だるそうに返事するとコーヒーを一気に飲み干し、つぶれた紙コップをゴミ箱へ投げ込んだ。
紙コップが一発で入ったのでマイロは小さくガッツポーズを決める。
(デスクが言ってたけど、ミラちゃんが笑うのはマイロのカメラにだけなんだって)
リザリーはマイロの後ろ姿を見ながら、デスクがフロアで言ったことを思い出していた。
女がカメラに向かって笑う理由。
女であるリザリーにはどういう意味なのか分かるような気がした。
けれど、それを洞察して無責任に騒ぎ立てることは野暮であり、同じ女としてしていけない様な気もする。
「先輩、さっきすんませんでした」
「ううん。こっちこそ」
リザリーは目の前のあほ面には何も言わず、ただ静かに黙っていた。
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今日のマイロ
出社直後 メールチェック 先輩からまた仕事を押し付けられていることに気付き舌打ちする。
午前 雑誌での全体会議に参加。発言権はないに等しいが下っ端のマイロは議事録係のため終始タイピング
ランチ 普段はミラの取材で外にいるため、デスクで昼食を取りながらここぞと昼休み返上で溜まった雑務の処理。
午後 デスク(上司)との1on1 。暗すぎるのでもっとしゃきしゃきしろと指摘を受ける。
夕方 YouTubeを見ながら30分ほどサボる
残業 先輩から押し付けられている仕事の残りを片付ける 20時退社