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第5話 休日、最高~ 1/2

 マイロはいつもより遅い時間に目を覚ました。

 安アパートの最上階。

 天井が低く、三角屋根の影響で壁が斜めに迫る狭い部屋。

 その一角に置かれたベッドの上で、寝ぼけ眼のまま大きくあくびをした。


「あー……休日、最高~……」


 ジャーナリストという職業柄、定時も土日祝も関係がないマイロにとって今日は待ち望んだ休日だった。


(まだ寝てしまおうか。どうしよう。んー。でも起きちゃったしな……)


 休日のみ許される幸福な自問自答。

 10分ほど過ぎてから重い体をベッドから起こすと、サイドテーブルに置いていた水を飲んだ。

 冬の訪れを告げる冷たい空気が部屋を包み込んでおり、グラスの中の水さえも凍えるような冷たさだった。

 コーヒーを淹れたが、冷蔵庫を開けても何もなかったため、今日はいつ買ったか分からないチョコレートとクッキーを朝食代わりにすることとした。


「トマトくらい買っておけばよかったな~……」


 簡素なブランチを前にマイロはそんなことを思いながらも、特に気にすることなく黙々と食べ進めた。

 同時に昨日上げたばかりのミラの記事の反応をSNSで探った。今回もSNSのあちこちにマイロが撮った写真の無断転載が見られたが、マイロは特にそれを嫌だとは思わなかった。

 SNSでは名指しで【姫専門グラビアカメラマン】と揶揄されることもあるが、マイロはむしろ反響がある事に喜びを感じてたし、――ミラが褒められていたらなんとなく満足感がある。


(転載されるのも注目されてる証拠だもんな)


 熱いコーヒーが心地よく感じる季節だとマイロは思った。独り言だって熱いコーヒーに溶けてすぐ飲み込まれてしまう。

 暖房代をケチったせいで部屋は寒いままだったが、マイロは少しずつ冴えてきた頭で部屋中を見渡した。


 マイロの部屋の壁紙は趣味の悪いピンク色だった。

 おそらく先住者が無許可で塗ったのだが、塗り替える金もなかったし、借り手が付かないおかげで家賃も安かったし、人を呼ぶ予定もないのでそのままにしてある。

 さらに、外の廊下に続くドアの下の方にはさらに小さなドアがある。人間には小さすぎるドアは猫や小型犬程度の小動物が出入りできるようになっていた。

 セキュリティを考えたら小さなドアは封鎖する方が良いのだが、たまに勝手に入って来る誰かの家の猫が可愛いので、マイロはあえてそのままにしてある。


 次に、ベッドが置いてある一角に貼られた複数の写真が目に映った。

 秋が始まるころに選んで貼った数枚の写真で、マイロが尊敬する写真家の作品や、マイロ自身が撮った作品で埋め尽くされている。


(そうだ。もうすぐ冬だし、そろそろ壁の写真を冬仕様に替えるのもいいかもしれない。新しいポートフォリオも撮りたいし)


 我ながら良いアイディアを思いついたと自賛したマイロは、シャワーを浴びて出かける準備をした。

 そして「母さん、ばあちゃん、じいちゃんいってきます」と写真立ての中の家族に声をかけると、マイロは家を後にした。

 ドアを開けた時に差し込んだ日差しで、一度、何かがきらりと赤く光った。


 *


(今日も寒ぃ)


 愛用している黒のジャージにマフラーを巻いただけだから少し肌寒い。自転車にまたがるとそのまま大通りまで走った。

 マイロのアパートは中心部から自転車で1時間ほどの位置にある。

 まるでコピー&ペーストしたかのように同じ見た目のアパートが並ぶ通りを走り抜けると、自転車のまま公園に入った。イチョウの葉が鮮やかな黄色に染まり、地面も黄色い絨毯となっていた。

 すると真っ赤なコートを着た3歳くらいの子どもが、母親に手を引かれて歩いていたのが目に入った。

 知らない母子だったが、マイロは足を止めて、そのまま私物の一眼カメラを構える。

 そしてすぐ『カシャ』と数枚シャッターを切った。

 液晶モニターで確認すると、写真はイチョウの黄と子供のコートの赤のコントラストが見事に映えていた。

 我ながらよく撮れていると思える出来栄えだった。

 もしあの親子の家のアルバムにこの写真が挟まれば、いい思い出になるんじゃないかとも思った。


(……この写真データ渡したら喜ばれるのかな)


 親子はマイロに気付かず、そのまま歩いていったが、3歳の子供に合わせた歩幅はとても遅く、マイロが少しでも走ればまだ十分間に合う距離だった。

 データの受け渡しはスマホがあればすぐにできる。勝手に写真を撮ったとはいえ、マイロがカメラマンだと伝えればそこまで不審がられないだろう。


(……でも、声かけらんね)


 親子が小さな歩幅でゆっくりと進む様子を目で追いながら、マイロはまた自転車にまたがってその場を去った。


「あ~! もう! あれくらい~声をかけたらいいのにぃ~!」


 そして、そのマイロの一連の行動を最初から最後まで見届けていた3人の若者がいた。


「姫さ~ん、ほら、やっぱり声かけなかったですよ。私の勝ちっす~!」

「ぐぬぬ……」


 道の脇に止められた車内で、優越感に浸ったような顔をしている従者のモーヴと、悔しそうな顔をしているミラが、その場から逃げる様に自転車で走るマイロをじっと観察していた。

 従者でありモーヴの双子の兄であるヒューゴは運転席でハンドルを握っている。


「だから言ったじゃないですかぁ。あの人シャイすぎなんですよぉ~」

「違うわ! マイロはきっと、急に声をかけたら怖がられるからあえて声を掛けなかっただけで……!」


 必死に笑いをこらえようとしているモーヴの肩を、ミラは悔しそうにペットボトルで軽く叩いた。


「はぁ。おもしろい。知らない人の写真を勝手に撮るくせに、声はかけられないだなんて」

「そこが可愛いんでしょう!」

「ところで姫どうします? 今日マーゴットさん公休日でいないし、せっかくだからあの人に話しかけてみません?」

「えっ」

「えっ!?」


 モーヴが楽しげにミラに提案すると、ミラは一瞬、目を丸くして黙り込んだ。ヒューゴも実の妹のモーヴの大胆な提案に対して大声で驚いていた。


「えっ……?」

「だってぇ、チャンスじゃないですか? マーゴットさんがいないなんて滅多にないですし。しかも今日は姫もオフでフリーですよね?」


 モーヴは、いたずらっぽく笑みを浮かべて続けた。


「だ、だめよ! そんな突然! 迷惑だわ」


 ミラは慌てて言い返したが、その頬は赤く染まっている。


「だって今日はマイロおやすみなんだから、休ませてあげなきゃ……」

「え~でも姫、今日は門を見るなり『今日マイロがいない~! ぴえ~ん!』って泣いてたじゃないですか。なのに偶然会えるだなんて、運命ですよ! 運命!」


 モーヴの言葉にミラはさらに目を丸くしてまた黙り込んだ。ルビー色の瞳と同じくらい真っ赤になった頬を両手で抑えつつ、偶然好きな人に出会えた喜びを『運命』という枠に簡単に入れていいのかを迷っているようだった。


「う、運命……? 運命……なのかしら?」

「声くらいかけてもいいんじゃないすか?」

「いや、でも、今日は2人とショッピングするって約束してたし」

「でも俺たちは従者なんで、姫が行きたい場所に付き添うのが仕事ですよ」

「え……!?」


 ミラは車内に響き渡るほどの音量で固唾を飲んだ。


「い、いやいやいや……」

「今日は元々外出予定がなかったから、いつものパパラッチ集団もいないですし」

「いやいやいやいや……」

「さっき買ったやつに変装に使えそうな帽子がありましたよね?」

「そんなそんなそんな……」

「ミラ様、これ、俺の眼鏡です」

「まってまってまって」

「ほら、そこら中にシェアサイクルがありますよ!」


 10分後、安全な場所に車を停めたミラたちは、マイロを追うためにシェアサイクルに3人で乗り込んでいた。

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