ミラの1日は王宮の一番端の窓から外の景色を見ることから始まる。
「今日も、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10………とにかくたくさん王族専門報道記者の皆様がいるわね」
倍率30の双眼鏡を覗き込みながら、パジャマ姿の彼女は王宮の門付近にあふれるカメラを構えたパパラッチたちを数えた。
「あの人たちはジャネットの追っかけでしょ。ジャネットはまた撮られてたから今日もきっとしつこいわよ」
ミラは廊下の突き当りにある窓のそばにわざわざ運ばせたテーブルの席について、豪華な朝食をとっていた。
今日のメニューは、高級バターを使用したクロワッサンに、平飼い卵の半熟ゆで卵。ちょうどいい焼き加減の無添加ソーセージも同じ皿に乗っていた。
青い模様の入った磁器のサラダボウルには朝摘みの新鮮なロメインレタスを使ったシーザーサラダが、クリスタルのグラスにはビタミンたっぷりのオレンジジュースが注がれている。デザートのヨーグルトには蜂蜜とプロテインパウダーが添えられていた。
もちろん、全て王家専属の畑からとれた、王家専属のシェフたちによる手料理である。
ミラは銀のフォークを細い指でつまむと、双眼鏡で外を見たままソーセージを食べた。
「あっちの車とバイクはイヴァン兄さん専門の人たちね。相変わらず望遠レンズがポテチの筒みたいに長いわ。あっちのおばさんはオデット姉さんね、今日も服が上品ぶってる。優秀な姉さんと話を合わせるのはさぞ大変でしょうね。あの人、たまに外国語で話し始めるもの」
双眼鏡を覗き込みながらぶつぶつと喋り続けるミラ・エリザベス・マーガレットは、王家の正当な血を引いたれっきとした13番目の王女である。
彼女には12人の兄姉たちがいる。
皇太子のイヴァン、次男のエリオット、長女のジュリアン、三男のガブリエル、次女のオデット、三女のイザベラ、双子で四男五男のイーサン、ディラン、四女のアメリア、六男のジェームズ、五女のロレッタ、六女のジャネット、そして七女で末っ子のミラで13人兄妹だ。
王家の血を受け継ぐ彼らは常にパパラッチの厳しい目に晒されていた。
パパラッチたちは、ほんの少しの隙間や綻びを見つけると、それを大袈裟に騒ぎ立て、下劣な人々が好むような言葉を使って記事にし、売りさばくのだ。今日も王宮の外では群れになってパパラッチたちが集結している。
「本当にこの国ってゴシップが好きよね。まだ6時なのに、朝からご苦労様だわ」
「お嬢様。朝食を食べながら双眼鏡を覗き込まないでくださいと何度も……」
ミラの行儀の悪さに、同席していた女性がため息をついた。
彼女はミラ専任の従者の一人、マーゴット。
20代のころからミラの世話をしており、ミラの従者の中でもベテランだ。
10年以上の付き合いがあり、彼女にとってはまさに姉のような存在だ。
「いいじゃないマーゴット。外ではちゃんとしているんだし、ここにはお姉ちゃんやあなた、双子、メイドたちしかいないじゃない。お母様とお父様だって、滅多にここには来ないんだから。それにここは私専用のプライベートゾーンなのよぉ。自宅くらいのんびりさせてよ〜」
「毎朝毎朝、テーブルや料理を運んでくるメイドたちの苦労も考えていただきたいのですが」
「あら! この前お礼をあげたわよ? 3時間並ばないと買えない超レアなやつ。特別にお取り寄せさせてもらったの♪」
「そういうことじゃなくって……」
マイペースな王女の言動にマーゴットは深いため息を吐いた。その様子を見ていたメイドたちは、くすくすと笑いながら視線を交わした。
マーゴットは視線を同じテーブルで座っているヒューゴに向けた。アイコンタクトを交わしたヒューゴは、軽く頷いてから、低い声で今日の予定を読み上げた。
「ミラ様。本日のご予定をお伝えいたします。まず、大学にて授業を3コマ受講され、その後、パーソナルトレーナーによるトレーニングが1時間予定されています。今晩は王妃との会食がございますので、トレーニングはほどほどにお願いいたします」
「はぁ~い」
ロレインレタスの入ったシーザーサラダをフォークで刺しながらミラは返事をした。
「姫のおっかけ、今日もいます~?」
ヒューゴの隣に座っていたモーヴが、双眼鏡を手放さないミラを見ながら楽しそうに言った。
ミラは「えーっと、ひい、ふう、みい……」と、自分を追いかけているパパラッチの数を数えようとしたが、マーゴットが大きく咳払いをしたので素早く双眼鏡を下げた。
「はぁ。早く仕度なさってくださいね……」
朝からすでに疲れた様子を見せながら、マーゴットはため息をつき、後輩のひょうひょうとした態度に心の中で舌打ちした。
マーゴットは紅茶を一息に飲み干すと、自分のポケットから小さな手帳とペンを取り出し、ぱらぱらとページをめくった。それをまたポケットにしまい込み、静かに立ち上がった。
「モーヴたち、私は朝のミーティングに行くからあとはよろしくね」
「了解っす~」
マーゴットは静かに席を離れ、長い廊下の途中にある階段を下りてその場を後にした。
国王、王妃、13人の兄姉。
ミラの家族には全員に従者がついている。
朝はそれぞれの従者が各々の予定を発表し、もし問題があればその場で修正が行われる。
このミーティングには従者のリーダーたちが参加することが決まっており、責任重大で非常に気を使う大変な時間だ。
リーダーであるマーゴットはこのミーティングがいかに重要かを理解しているが、少しだけ面倒だとも感じながら参加していた。
しかし、そんな事情を知る由もないモーヴは、「邪魔者が消えた!」と嬉しそうに、まるで悪戯っ子のようにニヤリと笑った。そして、ミラに向かって尋ねた。
「姫~! 最近あの人とはどうなんですかぁ?」
廊下の一角が急に煌めくように賑やかになった。「あの人」とはもちろん、ミラが密かに恋をしているマイロ・ガルシアのことだ。ミラがマイロに対して恋心を抱いていることは、双子とだけの秘密なのである。
ミラは思わず顔を赤らめて、「もう! やだー! マーゴットに聞こえたらどうするのよ!」と慌てたが、その顔には満更でもないという気持ちが現れていた。
マーゴットが階段を降りたことを確認すると、ミラはちょっと落ち着かない様子を見せつつ、再びほほを赤く染めた。
「あのねあのね、この前、髪の毛ちょっと失敗したじゃない?」
「はいはい」
「でもね、あの日上がった記事には、『イメチェン大☆大☆大☆大成功』って書いてあったの……!」
そこまではマイロも書いていない。
「え〜脈ありなんじゃないっすか〜?」
「脈アリですよ! それは」
一緒に話を聞いていたヒューゴが思わず声を荒げる。
双子の従者で、体格が良くて強面のヒューゴは普段は口数が少ないが、恋バナになるとよく話すのだ。
ミラはその言葉に更に顔をぱっと明るくして、きゃー! と声にならない声を上げた。
「ヒューゴもそう思う!? 男から見てもそう思う!?」
ミラが興奮気味に尋ねると、ヒューゴは淡々と答えた。
「はい。そもそも俺、姫様の髪の毛がどう変わったのかよくわかりませんでしたから、気づいた時点で脈ありです」
「え?」
ミラは腑に落ちないという顔をしながらヒューゴを軽く睨んだ。
「でも、どうしてそんなにあのパパラッチのことが好きなんですか? あんまり冴えた人だとは思わないんですけど」
モーヴが素朴な疑問を投げかけると、ミラは即座に反応した。
「聞いてくれるの!?」
「あ、やば」
まるで獲物を見つけた獣のように、ミラは目を輝かせ、口を開こうとした。彼女のルビー色の瞳が血走っているのが見て取れた。
「前にも言ったと思ってたけど説明不足だったみたいね。いい機会だから聞かせてあげる」
「あー。いや~」
「まずこれを見て! マイロの前任者が取った私の写真! この写真、半目なのよ!? こっちなんて二重顎になってるの! 信じられる? 私一応姫なのよ! 13番目だけど!」
ミラはインク・メディアのバックナンバーを取り出すと、あるページを叩きつけるように見せた。そこに載っているミラの写真は、あたかもわざと不細工な瞬間を切り取ったかのようなものばかりだった。
「対してこっちはマイロに変わってからの写真よ! 見てよほら、ピントは合ってるし、私は遠すぎないし、目はちゃんと開いてるし顎だってスリムよ!」
対して半年ほど前に出版された雑誌のミラの写真はまるで違っていた。
ミラは写真の中央にきちんと収まっており、ピントもぶれていない。
何よりも、彼女は美しく、魅力的に映し出されていた。まるで本物のミラがそこにいるかのように見える写真は、マイロの撮影が精密な計算で成り立っていることが一目でわかる。
モーヴとヒューゴはカメラには詳しくないが、ミラが伝えたいことはすぐに理解できた。
「なるほど、カメラマンとして優秀なんすね」
「そうなのよ!」
ミラは勢いよく身を乗り出して情熱的に話し続けた。
「マイロはただ写真を撮るだけじゃないの。前任者は私の事をただのオブジェ扱いしてたけど、マイロは私の事を想って写真を撮ってくれている気がするのよ」
「へえ~」
「記事の内容も見て! 前任者なんてあることないことばっかり書いてたのに、マイロに変わってからは全然違うの! 文章に温かみがあるのよ、私の大学生活やファッションのことまで、私の事をちゃんと見てくれているのが分かるの!」
ミラの熱弁を聞きながら、モーヴは淡々と動いていた。クローゼットから今日の服を取り出し、ミラが脱ぎ捨てたパジャマを手際よく畳んでいく。
「マイロの写真を見たとき、こんなふうに私を見てくれる人がいるんだって思うと、嬉しかったの」
「そうですか。それは確かに嬉しいっすね」
ミラは頬をバラ色に染めながらマイロへの思いを語った。
しかし、モーヴは彼女の話に適度に相槌を打った後、素朴な疑問を口にした。
「でもあのパパラッチって、ちょっと雰囲気暗くないすか? 顔にある傷もヤンキーっぽくて怖いし」
「何言ってるのよそこがいいんじゃない!!」
興奮してミラの声が大きくなり、モーヴは驚いて思わず「うわっ!」と叫んだ。
「まずね、マイロは怖くないわ。それに笑うとすごくかわいいのよ。くしゃって、目が消えちゃうのよ! えくぼだって出来るんだから!」
「私あの男の笑ったところ見たことないんすけど……」
「そうね、普段は彼はキャップを深く被ってるから見え辛いわよね。でも、普段の雰囲気とのギャップがあって最高なのよ。あっ、もちろん普段の無表情も大好きよ、あのやる気のないダウナーな感じがセクシーよね。――それに、目の下の傷だって、あれは……」
「えーでも、いっつも同じ格好だし……」
「あ! そうだ! 見せようと思ってたんだった!」
化粧が途中だというのにミラは慌ただしく段ボールを取り出すと、その中から「ジャーン!」と言いながらあるものを広げて見せた。