カメラを抱えた青年は思った。
もし労働者を2つに分けるとするのなら、
「誇る仕事ができるやつ」と「誇れない仕事をするしかないやつ」。
俺は後者なんだろうなとも。
「今日もお迎えご苦労様です~♪」
新築の校舎から3人の従者を引き連れて出てきたのは、この国で王位継承権13位の資格を持つミラ・エリザベス・マーガレットだ。
ミラはA4サイズのテキストの入るカバンを肩から下げて、片手にはベーシックなチェック柄のケースに入れたラップトップを抱えていた。
(今日は講義をフルで受けたはずだからいつもより多いな)
新人パパラッチ、マイロ・ガルシアは、ミラを一眼レフで撮りながら思った。
マイロはミラの講義の予定を暗記している。そうでなければ学生であるミラのおっかけパパラッチは務まらないからだ。
(俺が大学生の時は、ぎりぎりの単位数で何とか乗り切ったのに、姫さんはたくさん受けて真面目だ)
今日もパパラッチ集団では最年長の男が「ミラ姫、どうも」と率先して挨拶をしたので、ミラもフラッシュを焚かれながら「こんにちは♪」と軽やかに返した。
パパラッチたちとミラはまるで知り合いかのように会話をする。
そもそも一国の姫なのだ。一般人とそう簡単にコミュニケーションなんて取っていいのだろうか。
マイロは警戒心のない姫のことが少し心配になる。
けれども、マイロの心配を遮るように、スーツを着た3人の男女がミラを一瞬で囲い込んだ。
「ミラ様、お疲れ様でございます!」
「姫、おつかれー!」
3人の中では一番若くてラフな言葉遣いの女が、ミラを労わりながら鞄とラップトップを受け取った。
だが、従者の中では年長者の女性マーゴットが、若い女性の言動にキッと眉根を寄せる。
「モーヴ、あなた言葉遣いがなってないわ」
まるで友人のような言葉遣いをしたせいで苦言を呈されたモーヴは、不満を表すようにぶぅーとほっぺたを膨らませた。
「マーゴット先輩きびしい〜」
「ミラ様はあなたのご友人じゃないでしょう!」
「モーヴ、マーゴットさんを困らせるな」
「え~? ヒューゴまでぇ?」
そばに立っていたヒューゴと呼ばれた男の従者もモーヴを叱りつけた。
それでもモーヴはヘラヘラしているので、マーゴットは呆れてため息をつく。
(姫さんたちって仲がいいよなぁ)
マイロはそう思いながら数枚シャッターを切った。カメラには4人が和気藹々と集う姿が記録される。
「マーゴット、モーヴ、ヒューゴ!今日も迎えに来てくれてありがとう!マーゴットはカリカリしないで!」
「甘やかさないでください、ミラ様……」
望んでミラのパパラッチをしている訳ではないマイロは、重要な仕事を任されている3人の事が羨ましかった。
ミラの持つ王位継承権13位という数字は一見するとぱっとしない順位だ。
とはいえ、一国のお姫様であることは間違いない。そんな尊い立場の人の護衛という仕事に感じるやりがいは、マイロの100倍、いや1000倍はあるんじゃないだろうか。
(きっと信念があって護衛の仕事をしてるんだろうな。いいなぁ。そういう誇れる感じ)
自身の仕事をストーカーのようだと常々感じているマイロからすると、従者たちはとてもまぶしい存在のように感じられた。
特に従者の若い2人はマイロと大して歳も違わない。
天と地のような差に仕事中だというのに鬱々としたため息が出そうだった。
(今日もいるわ……!マイロ・ガルシア!)
そんなマイロの心境は露知らず、ミラはパパラッチの集団の中からマイロを速攻で見つけ出していた。
マイロはまだ25歳の青年。年配者の多いパパラッチの中では一番若手で目立つのだ。
それに、マイロはいつも黒いジャージに黒いキャップを被っている。季節を問わず毎日同じ格好をしているものだから、赤ちゃん用の大きなパズルの1ピースを見つけるよりも容易い。
(今日も気だるげな空気でかわいい……)
ミラは姫らしく上品な素振りを心掛けてはいたけれど、本当は心臓がどっきんどっきんと跳ね上がっている。
内なる声はまるで推しのコンサートに参加したファンのような黄色い声を上げていたので、心臓に喉があったならとっくに枯れていただろう。
ミラは姫だ。本来なら公爵家の子とか、古くから伝わる由緒のある家の男子が交際相手に選ばれなければならない。
けれどもミラは、蠅のようにうっとおしい存在であるはずの、一般人であるマイロにガチ恋をしているのだ。
【ガチの恋】と書いてガチ恋。本気の恋。
一国の姫がその辺にわんさかいる一般人に、片思いをしている。
眉唾物の話だが、本当の話だ。
(えー? 姫さんのかけてるサングラス、どこのブランド?)
そんなことになっているとは露知らぬマイロは、ミラのサングラスがどこのブランドのものなのかを必死に探っている最中であった。
マイロはミラが身につけているアイテムは1つ残らず特定せねばならない。
何故ならマイロはミラのページ担当の記者であり、ミラのファッションをまとめた記事を作る義務があるからだ。
(今日曇りなのに何でサングラスをかけてるんだよー)
(何を考えてるのか分からないダウナーさがいいわ……)
ひそかに鬱憤が溜まるマイロとは対照的に、ミラはサングラス越しに何度もマイロを見ては頬を染め、幸福感に浸っていた。
ミラだって、マイロは仕事で自分を追いかけているだけ。ということは重々承知している。
けれども、ミラにとって好きな人に会える日々は密やかな幸せなのだ。
今日のコーディネートだってマイロのことを想って選んだ。
淡い色のブラウスに同素材のタイは、服飾専門のメイドにお願いして完璧なリボンの形状に結ってもらった。
お揃いのツイードのジャケットとミニスカートは女性らしさと上品な印象を演出している。
ふくらはぎまでのロングブーツで自慢の美脚を強調し、エレガントなデザインのサングラスでミステリアスさも足しておいた。
いつもと比べると少し女の子らしすぎる気もしていたが、全てはマイロにかわいいと思ってもらいたいがためのコーデなのだ。
(頼むからアイテム増やさないでくれ~!)
しかし、マイロはそのサングラスのせいで苦しんでいる。ある意味以心伝心していた。
「ミラ様、本日はお屋敷にお戻りになられました後、ジャネット様との共同バレエレッスンがございます。」
「! え、えぇ。分かっているわ。ありがとうマーゴット」
しかし幸せな時間は1日に数分しか味わえない。
20歳の女が異性に恋心を抱くことは普通だが、ミラは姫なのだ。恋にうつつを抜かす暇などない。
「お車はいつもの場所に手配してございますので、お急ぎいただけますでしょうか……」
「そんな急がなくてもいいじゃない! いい天気なんだから!」
「? 本日は朝からずっと曇っておりますが……」
ミラは焦りでつい見当違いなことを言ったので、マーゴットはとても不思議そうに首を傾げた。
(マイロと接触できるチャンスも、せいぜいあと5分だわ)
ミラはどうすればマイロともっと自然に距離を縮められるのかを常日頃から考えていた。恋愛経験がほぼないミラにとってはマイロと接近すること自体が難題なのである。
(所詮は男と女よ。マイロの気を引くことはそんなに難しいことじゃないはず。そうよお姉ちゃんが言ってたじゃない。私だってマイロと仲良くできるはずよ!)
ミラには男の気を引くためのとっておきのお手本がいる。それは、姉姫ジャネットだ。
ジャネットは恋多き女として知られている。
王位継承権12位の王女という立場でありながら、常に男性との噂が絶えない。
この前も人気俳優とのスキャンダルが紙面を飾り、その前は外交官と付き合っていたことで注目を浴びていた。
ミラとジャネットは仲が良く、他の兄姉よりも時間を共有することが多い。そんなジャネットは、時々ミラに恋愛指南をしてくれる。
『男はギャップに弱いのよ。あなたみたいな清楚な子がちょっとセクシーに振舞って見なさいよ。いちころよ』
遊び人の助言が役立つかは置いておいて、素直なミラは姉の言葉を信じることにした。
「今日はちょっと、暑いわね~……!」
ミラが不自然なまでに声を張り上げて呟いた後、指先を髪の根本に滑り込ませた。
空気をかき分けるようにゆっくりと髪を持ちあげて後ろへと流し、風になびかせるようにさらっとかき上げる。その動きは確かにセクシーで、映画のワンシーンのようだ。
そして、ミラは色っぽくため息をつき、サングラス越しにマイロの方をじっと見つめる。
(ここまでしたなら、マイロだって私に声をかけたくなるでしょ!?)
(今日の姫さん何故かテンション高いなぁ)
ミラは自分では完璧な仕上がりだと思っていたが、一方でマイロはミラの違和感に気付き始めていた。
とりあえず謎の動きをするミラの写真を数枚撮ったが、複雑な心境だった。
先日、コーヒーを手渡され、口パクで何かを伝えられた日から、マイロは嫌でもミラを意識していた。
ミラの赤い唇が、自分のためだけに動いた。
(あの口パク――思い出すだけで夜も眠れなかった)
怠惰な性格のマイロを一晩眠れなくするほど、ミラの努力は予想以上の効果を得ていた。
マイロはファインダーをのぞきこみながら唾を飲む。そして冷や汗をかきながら思った。
(姫さんは俺に『キモいから消えろ』と言ったに違いない)
効果が出すぎて、ミラが意図しないイシューが発生していた。