カメラを抱えた青年は思った。
もし労働者を2つに分けるとするのなら、
「誇る仕事ができるやつ」と「誇れない仕事をするしかないやつ」だ。
そして間違いなく俺は後者だ!とも。
「わぁ、今日も寒いのに皆様ご苦労様ねぇ」
青年の一眼レフのファインダー越しに、美麗な女が楽しげな口調で言った。
「ミラ姫、おはよう」
カメラを構えた老人が帽子を取って挨拶する。
ミラ姫と呼ばれた女は上品に手を振ると、連鎖するように多数のフラッシュが彼女を白く輝かせた。
「ごきげんようパパラッチの皆様♪今日はいいお天気ね」
この国で13番目に王位継承権を持つミラ・エリザベス・マーガレットは、王族のスキャンダルを専門とする記者らにも満面の笑みで挨拶をした。
「ミラ姫、パパラッチと呼ぶんじゃありませんと何度も……」
「王族専門のジャーナリストの皆様、ごきげんよう♪」
従者から注意を受けてもミラは笑顔を絶やさない。
そのまま大通りに向かって歩き始めたので、パパラッチも魚の群れのようになって後を追いかけた。
「パパラッチって、もっとこそこそターゲットを撮るんじゃないのか?」
パパラッチの中では一番若い男が、誰にも聞こえない声でぼそっと呟いた。
(『今日のミラ姫は、赤いカーディガンをお召しに、』……無駄に肩が出てるなぁ。『ラフに着こなしていらっしゃる』でいいか。寒いのに元気だな。ネックレスはどこのブランドだろ。調べないとまた先輩から殴られる)
死んだ魚のような目を持つマイロ・ガルシアという青年は、頭の中で記事を考えながら写真を撮った。
マイロはパパラッチ、いや王族専門ジャーナリストの新人だ。
本来はやる気に満ち溢れる新人のはずなのに、あまりにも覇気がないものだから、実際の年齢よりももっと老けて見えた。
(今日も大した収穫はなさそうだ。帰りてー。でも編集長に怒られたくねー)
彼は渋々シャッターを切り続ける。
悪態をつくことは止められないが、彼は食うためには仕事をせねばならない。
ミラが大きく笑うたびに、何かを話すたびに、マイロは彼女を撮った。
(13番目の王女なんて他国の王子に輿入れする以外、誰からも注目されねーっつの。せめて姉のお騒がせ姫ならもっと面白い記事が書けるはずなのに)
マイロがそう思うのも仕方がない。
マイロが書くミラ関連の記事は彼女のファッションをまとめたものばかりで、内容に厚みが出ないのだ。
別にマイロが好んでファッションの記事だけを取り上げているわけではない。そうなってしまうのも、全部編集長の業務命令のためである。
ミラは若い女性から絶大な支持を得ている。
モデル顔負けのスタイルでハイブラのワンピースを着こなした翌日には、プチプラのセットアップでヘルシーに決める。
質と価格に囚われない幅広いセンスと表現力に世の若い女性は次々と魅せられている。そのためミラが登場する雑誌とWEB記事は安定した人気が出るのだ。
となると、マイロはミラの記事を書かざるを得ない。だって所詮雇われ記者でしかないのだから。
(こんな誇れない仕事やりたくないなぁ)
子どもの頃から憧れていたカメラマンという仕事。
ところが、大人になったマイロが実際にやっていることといえば、ストーカーの真似事だ。
(本当は世界中の美しい風景を撮る写真家になりたかった。日が沈む深紅の水平線や、一面に広がる花畑……。そんな写真を撮りたかったのに)
だが現実は甘くない。
マイロが配属されたのは、希望していた美術書担当ではなく下品なゴシップ誌だった。
(仕事辞めたい。とはいえ、他に仕事なんてねーもんなぁ)
しかしいくら綺麗事を言おうが食うために仕事をしなければならない。
それなら今は、目の前の仕事を適当にやるしかないだろうと諦めると、マイロはまたミラを撮り始めた。
「ミラ姫、今日はどちらへ?」
「今日はね~家族のためにコーヒーを買いに行くのよ♪」
しかし覚悟を決めて仕事と立ち向かおうにも、マイロには解せないことがある。
13番目のプリンセスという煌びやかな立場でありながら、ミラの生活にはトキメキやハラハラが一切ないのだ。
王立大学に通うミラは勤勉で優秀な学生だ。
プライベートで出かける先もデパートやカフェのようにオープンな場所だけで、クラブのような不良のたまり場には行かない。
国民に声を掛けられても笑顔で対応する。
それどころか一緒に写真を撮ってやるので好感度も高い。
姉姫のように男をとっかえ引っかけすることもしない。そもそも、男の影が一切見えないと来た。
(こんなに美人なら彼氏の1人や2人くらい普通いるだろうに)
つまりミラ姫は、品行方正で完璧なお姫様なのである。
マイロは日に日に焦りを感じ始めていた。
清廉潔白のクリーンな記事ばかり書いていたんじゃ記者として地味すぎる。
経験は積めないしキャリアも築けない。
世間があっと驚くような記事を書かないと、マイロの記者としての価値は下がっていく一方だ。
(ひょっとして自分は一生うだつの上がらない記者のままなのか?)
マイロは嫌な想像をするだけでもぞっとする。
(あぁ! せめて国中を巻き込むようなスキャンダルを起こしてくれれば、俺だって一気に昇級できるかもしれないのに!)
しかしマイロのそんな心境を露知らぬミラは「じゃあね♪」と可憐に挨拶をしてから、従者を引き連れコーヒーショップへと入っていった。
数人のパパラッチたちは姫の入店と同時にほっと一息ついた。
パパラッチまで入店するとコーヒーショップから営業妨害だとクレームが入る為、こういう場合は一旦待機となるからだ。
この隙を狙ってみんなトイレに行ったり煙草を吸ったり好きに休憩をする。
マイロもポケットに手を突っ込んで、個包装のチョコレートを取り出して食べた。
「お前、いっつもチョコ食ってんな」
話しかけてきたのは顔見知りの40代のパパラッチだった。マイロは名前を知らないのでパパラッチAとする。
「これが一番安いんす」
マイロは他人とコミュニケーションを取ろうとしない悪癖がある。だからぶっきらぼうな言い方で返事した。
「ふうん。お前、今この仕事始めて何年目だっけ」
「……2年目っす」
「まだそんなもんか。前の仕事は傭兵だっけ?」
「っすね……」
ここで「あなたはどういう仕事をしてきたんですか?」と逆に質問すればいいのに、マイロはすぐに黙り込んでしまった。
パパラッチAはやる気のないマイロとの交流を諦めて、すぐ他のパパラッチに声を掛け直す。マイロも少しほっとした。
15分ほど待っていると、テイクアウト用の大量の紙袋をぶら下げたミラがコーヒーショップから出てきた。
ずいぶん大量に買ったんだなとマイロは他人事のように思ったが、すぐ、ミラがマイロたちの方へと駆け寄ってきている事に気付いた。
「皆さん寒いでしょ? よかったらどうぞ♪」
驚くことに、ミラはパパラッチたちへコーヒーを直接渡そうとしてきた。
この国の姫が、本来敵であるパパラッチたちへ直々にコーヒーを奢ろうとしている。
パパラッチたちはにわかに信じられないと言いたげに顔を合わせあったが、ミラはにこにこ笑顔で「はいどうぞ♪」と次々とコーヒー入りの紙袋を渡していった。
「あなたもどうぞ♪」
マイロにも紙袋が与えられる。取っ手を掴む手は細くてしなやかで美しかった。
その指にはめられた指輪もきらりと光っていた。
何の苦労もしてなさそうな指がマイロは何だか気に入らなかったが、渋々受け取った。
「きゃっ!」
しかしマイロの指がミラにちょんと触れた瞬間、ミラは小さく叫んだ。マイロもびっくりして思わず手を引っ込めそうになる。
「――ち、ちちち違うの! ちょっと驚いちゃっただけ! はいどうぞ!」
しかし、ミラは取り繕いつつマイロに無理やり紙袋を渡すと、慌てて従者たちの元へと戻る。そしてそのままぞろぞろと横並びになって来た道を戻っていった。
パパラッチたちもまた魚のようになってあとをついていく。もちろんマイロも後に続いた。
(指が当たっただけなのに、俺、そんなにキモかったのかな……)
ミラの態度にマイロは少しショックを受けた。彼も男なので女性に拒否られるとちょっとは傷付くのだ。
(それにしても何でコーヒー奢ってくれたんだ? 好感度のためか?)
疑問を抱きつつもカメラを向けた。
ファインダー越しに見えるミラの肌は真珠のようで、唇はうるうると潤っている。
カメラ越しに伝わる色気にマイロは少しだけどきりとした。
(……まぁ、その辺の女優よりよっぽど美人だよな)
そう思いながらシャッターを切った。
ミラの写真がまた1枚、また1枚と増えていく。
(グラビアの撮影をしてる気分。俺は風景写真家になりたかったのに)
これは本当にやりたい仕事ではない。
それでもマイロはファインダーを覗き込む。
(でも、この姫をとびきり美人に撮ってやれば、俺だって他の仕事をやらせてもらえるかもしれない)
そんな下心を原動力にシャッターを切ろうとした瞬間、マイロはルビー色の美しい瞳と目が合った。
――生きたピジョン・ブラッドと称えられるほど、美しい深紅の瞳を持つミラが、確かにマイロの事を見ていた。
ミラはまっすぐマイロを見つめる。
そして、口をぱくぱくと数度動かした。
マイロが間抜けな顔をした数秒後、ミラはにこっと微笑みかける。
そして何事も無かったかのように背を向けて、門をくぐり、自宅である王宮へと帰っていった。
(……口パク?)
マイロは突然の出来事をうまく受け止めることができなかった。
ついその場で固まっていると、突然何者かがマイロの脇をドンっと強く突いた。
「ひゃあっ!」
「変な声出すなよ気持ち悪いな」
先ほどのパパラッチAだった。
「コーヒー飲んだか? 熱くて美味いぞ」
「いや……まだっす」
「そう。あのさ、ジョーンズのじいさんがランチに誘ってきてるけどマイロは行く?」
マイロは「パパラッチAが俺の名前を知っている」という事に驚いた後、次に浮かんだ疑問を投げかけた。
「ジョーンズって誰ですか?」
「はぁ? お前、冗談だろ⁉パパラッチ年長者のじいさんの名前だよ!」
「はぁ……」
「ど~せ俺の名前も覚えてないんだろぉ? 毎日一緒にいるやつくらい覚えろよ」
パパラッチAはマイロにぶつぶつ文句を言っていたが、マイロは先ほどの違和感のせいで話なんてほとんど聞いていなかった。
「で、どうなんだ。ランチ行くのか」
「今日はいいっす」
「なんじゃそりゃ」
相手をしている暇はない。
マイロは誘いを断ると、ベンチで休憩しながら口パクについて考えていた。
(俺に何か伝えたかったのだろうか)
しかしいくら熟考しても何も分からない。
そもそも生きる世界が違うのだ、きっと深い意味のない悪戯だろうと思いながらマイロはカップに口をつけた。
「ん?」
しかし、マイロは飲むのを止めた。
コーヒーの苦味を期待していたのに全く違う味だったからだ。
「……姫さん、誰かのと間違えたのかな」
カップを開けて確認してみると、コーヒーだと思っていたものは、チョコレートソースをたっぷりかけた甘いカフェモカだった。
*
「ミラァ~? 私、新作のフラペチーノにしてってお願いしたじゃない! 何で全部ブラックなのよぉ~!」
お使いから帰ってきたミラに対して姉姫がヒヨドリのような声で怒鳴った。
ミラはきょとんと驚いた顔で姉を見ている。
「……そうだったっけ? ごめん。考え事しててうっかり」
「楽しみにしてたのにぃ~」
ミラは「ごめーん」と誤魔化すが、姉姫は超音波のような声で怒鳴り続けていた。
(だって彼の事で緊張してたんだもん)
「もぉ~。その顔は反省してないわねぇ」
姉姫は諦めたようにコーヒーショップの袋を確認すると、袋の端にレシートが捨ててあるのを見つけた。
「ねえミラ! レシートにカフェモカって書いてあるじゃない、私カフェモカがいいわぁ~どこにあるの?」
甘党の姉姫はカフェモカの可能性に目を輝かせたが、ミラはふっと笑ってから「ざんねーん」とわざとらしく言った。
「カフェモカならもうないわ」
「えぇ~? も〜!」
姉姫は落胆の声を上げると、腹いせかのようにミルクと砂糖をじゃぶじゃぶ入れて激甘のコーヒーを作った。
そしてミラの隣に座ると、文句を言いながらドラマを見始める。
つい最近姉姫と噂になった俳優が出演している流行りのドラマだった。
(ごめんねお姉ちゃん。カフェモカはもうないの)
ミラもコーヒーカップにそっと口をつけた。
啜ると、濃厚なチョコレートの甘みが口中いっぱいに広がっていく。
(だって、好きな人にあげたんだもの)
その美しい瞳と同じくらい真っ赤になった顔を、ミラは隣の姉に見られないようにクッションで隠した。
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今日のミラ姫
10月とは思えない暖かな一日。
ミラ姫は従者とともに「ステラコーヒー」を訪れ、大量のコーヒーを購入。
なんと、集まっていたジャーナリスト全員に振る舞う心遣いを見せた。
その後は王宮へ戻り、外出は控えられた様子。家族との時間を大切にされているようだ。
オフショルダーセーター ノーブランド 12,000-(Tax別)
ウルトラストレッチジーンズ ユネクロ 3,890-(Tax別)
ネックレス(ミニバタフライシリーズ) クラフ 582,000-(Tax別)
ピアス(ミニバタフライシリーズ) クラフ 300,000-(Tax別)
(ミニバタフライシリーズは姉姫ジャネットとお揃い。仲の良さがうかがえる)
著 マイロ・ガルシア