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第3話

だんっ、と、大きく扉を叩く音の後、女のすすり泣きが続く。


そして、こつり、こつり、と、どこかおぼつかない沓音くつおとが。


あきらめたのだろう。


誰もいないと、想い人はいないのだと、女は肩を落とし、寒さに震え、帰路についているに違いない。


扉という隔たりがあるにもかかわらず、落胆した女の後ろ姿が男にはしっかり見えた。


いったい、どのような女なのだろうか。


思う通りの、美しい娘なのかもしれない――。


たまらなくなり、男は、腰をあげた。


なに、相手はもう帰っているのだ。一目、それも、後ろ姿ぐらいなら、伺い見ても罰はあたらないだろう。


僧には、女が帰ったかどうか確かめていたと言っておけば良い。


ところが、足をとられ、転がった。


いずまいを正して座っていたからか、なにやら、足がしびれて、うまく歩けない。


どうした事だろう。峠を超えたり、いて歩いたりした、そのせいか。


ふと、歳を感じつつ、起き上がり、やけにしびれる足を引きずりながら、男は、よたよたと扉へ向かった。


かんぬきをはずし、そっと扉を開けてみる。


ひゅうと、冷えた風が吹き込んできて、はらはらと、男の鼻先で粉雪が舞い散った。


外は思いのほか、雪が降っている。


男は、寒さに身を縮めた。


足が、がくがく震えた。冷えのせいかと思ったが、違う。


震えているのではない。


しびれだ――。


力が入らない異変に気がついたとたん、男は腰が抜け、地べたに崩れこんだ。


入口の扉にすがりつくが、立ち上がる事ができない。


じたばたと、手足を動かし、体を起こそうと試みる。が、その動きすらままならなかった。


「やれやれ、やっと効いたようですな」


頭上から、穏やかな僧の声が流れてきた。


異変を訴えようと、男は顔を上げた。


言葉を発しようと口を開けるが、たらりと口角から唾液が流れ落ちるだけである。


「しびれ薬です。茶は、あそこまで苦くはないのですよ」


「なっ?!」


自分が飲んだものが、茶でなかった事に、男は愕然とした。


なぜ、僧は、しびれ薬などを――。


僧は笑みを浮かべ、視線を外へ向けた。


女だ。


女がいる。


艶やかな黒髪に、幾本か銀のかんざしを挿し、ちらりと見える細いうなじの辺りでは、紅玉の耳飾りが揺れていた。


薄絹の裳を重ね着た体は、柳の枝のようにしなやかである。


後ろ姿は、その美しさを十分に語っていた。


女が、ぴたりと足を止めた。


「ああ、見つかった」


どこか乾いた僧の口振りに、男は言いしれない恐怖にかられた。


いったいこれは、何なのだ。何に巻き込まれてしまったのだ。


「あれに、喰われてやってもらえませぬか。男の血肉が欲しいと、彷徨っているのです」


僧は、どこか他人事のように言う。


男は、焦った。この場から逃れようと、動かない体を引きずるように、地面を転がった。


だが、もがいても、もがいても、起き上がることができない。それどころか、体にしびれが蔓延して行くような気がした。


「誰かを想って、成仏しきれなかったのでしょう。毎年、毎年、見参されては……。私も困っているのです」


僧は、足下に転がる男など気にもとめず、淡々と事のあらましを語り切る。


「ああ、薬が良く効いておられる。それなら、痛みは感じませんな。それとも、もう一杯、お飲みになられておきますか?」


言って、僧はにこりとほほ笑むと、茶碗を男に差し出した。

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