「……降ってまいりました。初雪です」
雪になったと呟き、僧はなぜか鎧戸まで閉じる。
どこか殺気だった様子が、気にかかる。
「……来ましたか」
さらに、入口の扉に耳をあて、外の様子を伺っている。
「あの?」
静かにと、僧は男の問いを制した。
追って、その答えと言うべきものが聞こえてきた。
楼門を潜り、誰かが本殿へ伸びる石畳を歩んでいるようだ。こつり、こつりと、
消えいりそうなそれは、おそらく、女のもの。
雪も降り始めたというのに、いったいどうして、女が寺に?
男は首をかしげた。
なにかに怯える素振りを見せる僧がいる。なぜ、僧は、息を潜めているのだろう。
女か?
女ごときが、恐ろしいのか?
まさか、戒律を守るため、女を寄せ付けないように……いや、それは、度を越している。
と――。
足音がやんだ。庵の扉が数回、叩かれた。
「もし、
若い女の声がした。
美しい娘に違いない――。そう男に思わせるほど、聞こえてくる声は清水のごとく澄み渡り、気品すら漂っていた。
「……困ったものだ」
厳しい顔つきで、僧は言い放つ。
「もし、もし、おいででしょうか?」
幾度呼び掛けられても、僧は、決して扉を開けようとしない。
「本当に、どうすればよいのやら」
僧は落ち着かないようで、火掻き棒で炭をつついている。
その間も、女の呼びかけは続いていた。
雪が降っているのだ。寒かろうに……。
男は、僧の無情さに腹立たしさを覚えた。
「あの、よろしいので?」
「……はぁ、毎年なのです」
僧は口ごもり、あきらめのような溜め息をつくと、男を火鉢に誘った。
そして、口重に事情を語り始めた。
「旅のお方も、ご存じでしょう?初雪が舞う中、好きあう者通しで過ごせば、永久に結ばれるという話を」
「そういえば、ええ、そんな伝承が、ありますな」
男は、相槌を打つ。
いつの頃から、そのようにたわいもない事が、若い者達の間で信じられるようになっていた。
男も、初雪が降るのを心待ちにしていた事がある。とはいえ、ずいぶん昔の話であるが――。
さて、それと、訪ねて来た女とどう関係があるのだろう。
「あの、それであの方は?」
男は遠慮がちに尋ねた。
「あの者は、初雪の伝承を信じているのです」
「それじゃ……」
「まさか、私は修行の身。女人と関わる事などできませぬ。どうやら、先方の思い込みが強いようで……」
「じゃあ、勝手に押しかけてくるのですか?」
奇異な事情に、男はほぉと、驚きの声をあげた。
女に慕われているという、男冥利に尽きる話であるが、世俗に染まってはならない立場の僧にしてみれば、迷惑千万といったところか。
しかし、女が、見知らぬ男を追いかける事などないだろう。
それなり、身に覚えがあるのでは?
いっさいの関わりがないなら、このように怯えなくとも。
「……どうやら、誰でも良いようで、何を思ったか、私……なのです」
言って、僧は忌々しげに、火掻き棒を火鉢の灰に突き刺した。
ふと現れた僧の荒々しさに男は、ぎょっとした。
それ程まで、毛嫌いするとは。なぜなのだろう。なにか解せない。
「すみません。少しばかり、わからないのですが……」
好奇心に負けて、男は、恐る恐る問うてみる。
「はぁ、どうやら、心を患っているようで。私と誰かを、想い違っているのでしょうか。律義に、毎年、訪ねてこられる」
「なんと!」
それは、手に余る。
男は、僧の困惑する理由を知り、息を飲んだ。
相手が病んでいる以上、居留守を通すのが一番なのか。割り切るしかない僧の胸の内に、男は同情した。
「……しばらくすれば、あきらめるでしょう。そうだ、茶をもう一杯……。気分直しに、お入れしましょう」
どこか歯がゆさそうに顔を歪め、僧は立ち上がる。
「……
泣いているのだろう。外から、女のかすれた声がする。
僧は、びくりと肩を揺らし、だが、何事もないかのように、裏方へと消えた。