(感じる。炎竜から、炎の魔力が私に注ぎ込まれていく)
――満を持してアロガーン姉妹の前に進み出たティエラ。
自分の身に起きていることを、そして自分が今何をしているかということを、彼女は驚くほど冷静に認識していた。
最初は不安だった。姉妹と視線を合わせる直前まで、正直言って不安しかなかった。手が震えていた。足が震えていた。
それでも、彼女は恐怖を振り払って前に出た。
ヴェルグの言葉が彼女の背中を押したからだ。
『お前の心身を縛っているあの姉妹。彼女らにきっちりと、お前の気持ちをぶつけてみないか? お前が、お前のしたいことをできるように。それをもって、奴らへの復讐にすべきと俺は考えているのだ』
彼の台詞を一言一句、噛みしめる。
(初めて出会ったときに復讐なんて言われて、何のことだろうって思ったけれど……今ならわかる。私は、私の知らない間に溜め込んでいたんだ。大きな感情を)
これまで感じたことのない高揚感と、それとは真逆の湖面のような落ち着きを同時に感じながら、ティエラは思う。
(あの人たち……アロガーン姉妹の呪縛から抜け出す。私が、私自身の意志で。それがあの人たちへの『復讐』になる)
紅の大地を一歩踏みしめ、前に出る。炎竜が呼応するように炎の勢いを増す。まるで「その調子だ」と励ましてくれているようだった。本当に頼もしい。
この炎竜たちは、姉妹に対峙するにあたってヴェルグが託してくれたものだ。
ティエラとて、魔法学園の生徒。紅の大地とその土地の主のことを知識として知っている。
炎竜を召喚し、護衛と援護に付けさせる。
その意味を――ティエラは理解していた。
悲鳴を上げるアロガーン姉妹。手を取り合い、彼女たちは後ずさる。学園でティエラを虐げていたときとはまるで違う姿。
その様子を見て、ティエラは心の中で小さく微笑んだ。
心を縛っていた鎖が急速に錆び付き、崩れ落ちていくような感覚を抱く。
もう一度、ヴェルグの言葉を思い出す。そして、満を持して宣言する。
「私は、もう以前の私じゃない」
深呼吸。さらに強く、叫ぶように告げる。
「マリーさん。リーナさん。私はもうあなたたちに隷属しない。言われるまま、されるがままにはならない!」
言い終えてから、大きく息を吐いた。
ついに言った。言ってやったのだ。
自分でも気付かないほど、長く、たくさん腹に溜め込んでいたことを、ついに吐き出せたのだ。
その瞬間、胸の中心がスッと軽く、涼しくなったような気がした。まるで、閉め切った部屋の窓を全開にして、淀んだ空気をすべて追い払ったような。そんな爽快な感覚だ。
(ああ、そうか。ヴェルグさんが言っていたのは、このことだったんだ)
ティエラは実感する。
初めて彼と出会ったとき、言われた言葉の意味が理解できなかった。自分に復讐心なんて、そんな強烈な感情持てるわけがないと思っていたのだ。
違っていた。
自分が気付いていなかっただけで、不満や怒り、悲しみは着実に淀み、凝り固まっていたのだ。そして知らず知らずのうちに、心を縛る強固な鎖となっていた。
――そう、私は気付かなかった。
なのに、一目でそれを見抜くなんて。
(ヴェルグさんはやっぱり凄いんだな)
初対面のときに彼へ感じていた怖れは、もうほとんどない。怖れが残っているとすれば、『彼は只者でない』という畏怖に似た感情だ。
「ティエラさん!」
「せんぱい!」
アロガーン姉妹の怒鳴り声で我に返る。
彼女たちは額に青筋を浮かべ、ティエラに指を突きつけていた。しきりに何かを叫んでいる。しかし怒りのあまり、まともな言語になっていなかった。
ふう、と小さく息を吐くティエラ。
それが姉妹の癪に障ったようだ。
アロガーン姉妹が、血走った目をカッと見開く。同時に肩から魔力が滲み出た。
「
素早く魔法の詠唱を行う姉妹。
直後、ふたりの手から紫色の弾が放たれる。魔力弾だ。狙いは頭部。直撃コースである。
姉妹の実力は、学園の中でも上位にあたる。そんなふたりが渾身の力を込めた魔法。たとえ魔法そのものは基本的な部類でも、ただのいち女子生徒が『何の備えもなく』直撃を受ければ無事では済まない。
それがわかっていて、姉妹はわざと撃った。
これは懲罰。
目の前の不快な女を速やかに黙らせるための処置。
問答無用、ティエラが負傷しようと昏倒しようと、それこそ息絶えようとおかまいなしの一撃だった。
だが、ティエラはそれを難なく無効化した。
正確には、彼女を守護する炎竜が叩き落としたのである。見る者が拍子抜けするほど、ひどくあっさりと。
「は?」
「へ?」
一拍遅れて、間の抜けた声を出すアロガーン姉妹。
炎竜たちは姉妹を無視し、ティエラを振り返った。まるで「大丈夫か」と気遣うような仕草だ。ティエラは口元を緩めた。
(やっぱり守ってくれるんだ。ありがとうございます)
心の中で礼を言いながら、そっと炎竜の首筋を撫でる。炎竜たちはされるがままだ。
撫でても不思議と熱さは感じず、ティエラの手は火傷一つ負わなかった。
ティエラのこの姿はアロガーン姉妹に大きな衝撃を与える。
「な、何ですって……。私の魔法が、あんなあっさりと!?」
「なによ、なによなによ! あんなのズルいってば! せんぱい、まさか本当に炎竜を手懐けてるっていうの!? 嘘でしょ、信じない!」
狼狽え、
今、彼女たちの目には、ティエラがこれまでとはまったく違った姿に映っている。
地味で小汚く、奴隷同然の弱者だったティエラのイメージは消え去った。
その存在感はまるで魔王四天王のよう。
「ああ……」
「うぅ……」
アロガーン姉妹は恐れおののいていた。
その恐怖を、ティエラは感じ取る。
今こそ、『復讐』のとき。
「私やサフィール叔母さまへの、数々の侮辱。仕打ち。その報いを今ここで受けてもらいます!」
両手を高く掲げる。魔力を集める。
姉妹の呪縛を断ち切ったことで晴れ渡ったティエラの心。これまでなかなか発揮できなかった潜在能力のすべてが、解放されていく。
砂塵が、ティエラの周囲に集結する。彼女の魔力を浴びた砂はキラキラと
さらに。
ティエラを守り従う炎竜たちが、その砂の奔流に身を投じていく。
魔王四天王の眷属がまとう炎の魔力。それがティエラの土属性魔法と混ざり合って、さらに高次の魔法へと昇華していく。
ティエラは己の本能が命ずるまま、脳裏に浮かんだイメージのまま、その土火合成魔法を放った。
「
炎の爆発を伴った直進する砂嵐。
弾ける火は、まるで咲き誇る花のよう。
見るも美しい、そして凶暴な魔法が、アロガーン姉妹を直撃する。
「きゃああああっ!?」
まったく予想外の反撃に、アロガーン姉妹は為す術もない。姉妹は揃って、大きく弾き飛ばされた。二度、三度と砂埃を立てて転がる。
ティエラの絶妙な力加減、学生服に施されたわずかばかりの魔力防護、そしてアロガーン家の指輪の魔力により、何とか大怪我は避けられた姉妹。
しかし。
「い、痛たた……へっ!!?」
「ちょっ、待っ!? 服がボロボロじゃん!?」
煤だらけ。細かな傷だらけ。おまけに身につけているものをひん剥かれてほぼ半裸状態という惨めな姿に成り下がった名家の娘たち。
顔を上げたマリーとリーナは、表情を凍り付かせた。
いまだ衰えぬ魔力を揺らめかせたティエラと目が合い、圧倒されたのだ。
ティエラは告げた。
「もう二度と、この地に足を踏み入れないで」
「ひっ……!?」
姉妹は悲鳴を上げて後ずさる。
ティエラの表情は、姉妹がこれまで見たことがないほど険しいものだった。
マリーもリーナも、悪態ひとつ返せない。言葉が出せない。
それは、ティエラと姉妹の間で力関係が完全に逆転した瞬間だった。
直後。
「い、いやあああああっ!」
「ゆ、許してくださぁぁいっ!」
完全に戦意を喪失したアロガーン姉妹は、情けない悲鳴を残して、一目散に