「ああもうっ、腹が立ちますわっ!」
「本当、サイアクだよね! 姉様!」
――アロガーン姉妹はイライラしていた。
停めっぱなしの荷車へ戻る道すがら、ずっと愚痴をこぼし続けている。
謎の美男子ヴェルグから袖にされたことが、彼女らのプライドをいたく傷つけていたのだ。
名門アロガーン家の娘として、何不自由なく暮らしてきた姉妹。もちろん、男にも不自由しなかった。いつだって、自分たちは『選ぶ側』であったのだ。
その点、顔良し、実力良しであったヴェルグという男は、由緒あるアロガーン公爵家の娘の
彼女たちの中では、ヴェルグは『目の前で逃げた大きな獲物』という感覚であった。
獲物を捕まえられなかった苛立ちは、次第に矛先を変えていく。
「だいたい、何であの御仁がティエラさんの肩を持つんですの!? あり得ませんわ!」
「そうそう! なーにが『俺やティエラのような上位の者』よ! あの根暗女、きっとヴェルグ様に汚い手で取り入ったんだよっ。あーやだやだ。汚いのは格好と家柄だけでじゅーぶんだっての! せんぱいよりあたしたちが下だなんて、思い出しただけでも腹が立つーっ!!」
ひととおり呪詛を吐くふたり。やがて姉妹は顔を見合わせた。揃って口元に意地の悪い笑みを浮かべる。
「ティエラさんには、今一度思い知っていただく必要がありそうですわね。自分の立場というものを」
「こうなったらさ、もっと酷い虐めを見せてやろうよ。姉様。くふふ、ちょっと楽しみになってきたわ」
完全な八つ当たり。それでもアロガーン姉妹は悪びれない。なぜなら、生意気で反抗的な下級民を『教育』することは、自分たち上位者の使命であり権利だと信じて疑っていないからだ。
そうこうしているうちに荷車まで戻ってきた。
「さて。とりあえずコレをどうしたものかしら。曳き手がいないと単なるガラクタに過ぎませんし――ん?」
「どしたの姉様?」
マリーの様子に、リーナが首を傾げる。
それからふたり揃って、後ろを振り返った。
直後、熱風がアロガーン姉妹の髪を巻き上げる。
「あ、熱っ!? な、何ですのいったい!?」
「もーっ、せっかく整えた髪がボサボサになった、じゃ……ない、の……」
文句をぶちまけたリーナの語尾が、急速にしぼんでいく。隣に立つ姉のマリーも、完全に固まっていた。
彼女たちの前に現れたもの――それは、全身が炎でできた巨大蛇であった。陽炎ができるほどの熱を放ち、炎よりもなおも赤い目で睨み付けてくる。鎌首をもたげたその大きさは、姉妹の身長を足してもまだ足りない。
しかも。
1匹でも脅威を感じるそれが、複数体並んで姉妹を
マリーが愕然と呟く。
「あ、あれはまさか……『炎竜』!? 紅の大地を支配するという邪紅竜の眷属がどうしてここに!?」
「う、うそ。じゃあ、あたしたち、ここの大ボスに目を付けられたってこと!?」
リーナの声に焦りが混じる。すかさずマリーが妹を
「落ち着きなさいリーナ。私たちには『これ』があることを忘れたの?」
「あ、そうか」
姉妹は揃って指輪を掲げる。アロガーン家がその財力をもって用意させた特殊な魔法の指輪。
これには、魔族を退ける強力な聖の力を秘めているのだ。
実際、ここに来るまでに遭遇した野良の魔物は、すべてこの指輪で撃退してきた。指輪から少し魔力を放出するだけで、魔物たちは尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
この指輪さえあれば、たとえ相手が邪紅竜だろうと怖れることはない。ましてや、その眷属相手などものの数ではない。全力で魔力を注ぎ込み、指輪の力を解放すれば一気に勝負がつく。
――そうふたりは思い込んでいた。
彼女たちは知る由もない。
今自分たちの目の前にいる炎竜が、
「さあ、いきますわよ。魔力解放!」
「さっさと消えちゃえ! あはははっ!」
姉妹が魔力を通した直後、指輪がまばゆく輝く。
辺りに聖なる力が広がっていく。
しかし――。
「え……?」
「な、何で? どうして何ともないの、あいつら!?」
愕然とこぼすアロガーン姉妹。
彼女らの眼前には、五体満足な炎竜が変わらず立ち塞がっていた。
ダメージどころか、怯んだ様子すらない。
完全な誤算である。
予想外の展開に、今度こそ姉妹は慌て始めた。
「ね、ね、姉様。どうしよう? どうしよう!?」
「お、お、落ち着きなさい。もう一度! もう一度試すのよ!」
再び指輪を掲げようとする。だが、炎竜の一体が吐いた炎の塊が彼女らの至近に着弾したことで、ふたりは悲鳴を上げて縮こまる。
「あり得ない……こんなのあり得ませんわ!」
「マジむかつく。ない、ない、ない、こんなのない! 認めないって、あたし!」
「――やはり、目の前の現実を受け入れないのですね」
聞こえてきたその声に、ハッと姉妹が顔を上げる。
炎竜の間から歩み出てきたのは、土埃で汚れた制服姿の少女。
アロガーン姉妹は驚きと嫌悪を込めて叫んだ。
「ティエラ・フォスザ……!」
「何でせんぱいが、そこにいるんですか……!」
「あの方の言ったとおりでした。あなた方はその程度の存在であると。私はずっと、何を怖れていたのだろう」
ため息をつくように零したティエラ。
質問に答えないことと、妙な落ち着きぶり。それらが姉妹の神経を逆撫でした。
「貧乏貴族のくせに生意気な」
「せんぱいなんてそのまま炎竜に食われてしまえばいいんですよ」
罵倒する。
いつもなら、これだけでティエラは萎縮して俯いていた。
しかし今は、姉妹を見据えたまま視線を逸らさない。明らかにこれまでと様子が違う。
迫力すら感じるその立ち姿に、次第にアロガーン姉妹の方が気圧されていった。
「な、なんですの。何があったんですの?」
「せんぱいって、こんなに怖かった?」
姉妹は寄り添いながら不安げに漏らす。
ティエラが一歩前に進んだ。
直後、炎竜たちが呼応するように炎の勢いを増す。「ひっ」と小さく悲鳴を上げるアロガーン姉妹。
その様子を見たティエラは大きく息を吸い込み、告げた。
「私は、もう以前の私じゃない」