「あー、喉が渇いたわね。ティエラさん?」
「……はい」
「水を汲んできて
「え? でも」
「あら。口答えなさるの?」
振り返ったティエラに、酷薄な笑みを見せつけるマリー。妹のリーナは、2人のやり取りをニヤニヤしながら観察している。
明らかに無茶な命令だった。
しかし、ティエラは反抗する気力がない。
小声で「わかりました」と応えると、ゆっくりと荷台を停め、手足を覆っている土属性魔法を解除した。そしてのろのろとした足取りで歩き出す。後ろから「見て、あの歩き方。ほんと愚図ね」と姉妹の笑う声が聞こえてきた。
ティエラは辺りを見渡し、とりあえずわずかでも水脈がありそうな窪地に向かった。疲労からふらつく身体を何とか支えつつ、苦労して岩の斜面を降りる。
深さ2メートルほど。せり出した岩場が影となり、窪地の底に濃い影を作っている。
水場はない。
ただ、窪地に微かな湿気を感じたティエラは、祈るような気持ちで地面に両手を突いた。
ここがハズレなら、姉妹に何を言われるかわからない。
(お願い……)
ティエラは大きく深呼吸すると、自らの魔力を地面に向けて放出した。
彼女の得意な土属性魔法。名前はない。地中を掘り返すだけという、地味な生活魔法だ。
ティエラの魔力が、水を求めて深く、深く地面に潜り込んでいく。
使っている魔法はごく一般的なものでも、ここまで深く地中へ浸透できる遣い手は少ない。それでも、ティエラは学園において日の目を見ることはなかった。この日陰の岩場のように。
ティエラは次第に焦ってきた。いっこうに水源に行き当たらないのだ。
(お願い!)
強く念じたそのとき、ティエラの魔力に反応があった。
大きい。
焦っていた彼女は、思わず『それ』を掘り返した。半径数メートルの地面がぼこりぼこりと隆起する。
地下から震動。
ティエラは息を呑んだ。心臓が早鐘を鳴らす。
これは、水じゃない。別の何か――生き物。
急いでその場から離れようとする。だが、隆起した地面に足を取られて転倒してしまった。
直後。
地中から『それ』が姿を現す。地面が下から突き破られ、大小の石つぶてが降り注ぐ。日陰に砂埃が混じり、視界がさらに悪くなる。
石つぶてから身を守ろうと身体を丸めていたティエラ。その彼女に、日陰よりさらに濃い影が覆い被さる。
地中から現れたモノ。
それは巨大なワームであった。
見たことがないほど大きいサイズのそれが、ティエラを見下ろす。相応に大きな口には大小の鋭い歯が並んでいた。威嚇するようにカタカタと音を立てている。
間違いなく魔物だ。
そして、魔物は怒っている。
ティエラは急いで立ち上がる。しかし、逃げ道を塞ぐように巨大ワームの尻尾の部分が回り込んできた。
(は、速い……!)
地面に転がる岩もろとも、尻尾でティエラを巻き込もうとする。
あんなものに巻き付かれたら、潰されて確実に命を落としてしまう。
行く手を阻まれた。逃げられない。
(だったら守らなきゃ。防がなきゃ)
ぎゅっと目を閉じた。頭を抱えて丸くなる。焼け石に水とわかっていても、土属性魔法でガードする。
直後、全身に衝撃。拘束されたのだとわかった。
ギチギチ……と嫌な音がする。
ティエラは泣き叫ぶ代わりに、魔力の放出に全力を傾けた。
(お願い、耐えて!)
荒い息をつきながら、必死に足掻くティエラ。もう無我夢中だった。
彼女は気付いていない。
アロガーン姉妹に反抗する気力を失っても、なお生きようと足掻いている自分に、ティエラは気付いていない。
その足掻きが、彼女に救いをもたらした。
ふと、巨大ワームの動きがぴたりと止まる。そして拘束が緩み、ティエラは地面に投げ出される。
恐る恐る、彼女は顔を上げる。
ティエラの見ている前で、巨大ワームの頭部に赤い線が走る。それが斬撃の跡だとわかったときには、ワームの頭部は胴体から切り離されていた。
直後、頭部と胴体は同時に炎に包まれ、一瞬にしてワームの巨体は消し炭と化す。炎も綺麗に消え去った。
炎の力を込めた斬撃。こんな芸当、ティエラは初めて目にした。
命の危機は、ひどくあっけなく取り払われたのだ。
けれど、いったい誰が――?
「間に合ったな」
男性の声がした。
視線を向けると、1組の男女が窪地に降り立つところであった。
男性の手には魔力で形成したらしい剣が握られている。刀身は赤熱したように真っ赤だ。時折、炎の残滓が陽炎のように揺らめく。
あの武器が巨大ワームを倒したのだと直感する。
(助けられた……? あの人に……?)
窮地を救ってくれた恩人を、ティエラは呆然と見つめる。
日陰の中、赤く輝く刀身の光で男女の容貌が浮かび上がる。
ティエラは息を呑んだ。同時に頬が赤らむ。
ふたりとも若く、そしてとんでもない美男美女だったからだ。学園でも、これまでの人生でも、彼らのような美しい人たちを見たことがない。
まるで魅了の魔法でもかけられたように視線が吸い寄せられ、離せない。
ティエラは、助けてくれた礼も言えないまま、その場に座り込んでいた。
ただ圧倒されただけではない。突然の
本能が訴える。
『この人たちには、きっと逆立ちしても敵わない』と。
(何者なのだろう)
他人にこんな印象を持つのは初めての経験。
憧れか。それとも恐怖か。
ドキドキする心臓を持て余しながら、ティエラは2人を見つめ続けていた。