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第6話 土と魔物の向こうから


「あー、喉が渇いたわね。ティエラさん?」

「……はい」

「水を汲んできて頂戴ちょうだい。今すぐに」

「え? でも」

「あら。口答えなさるの?」


 振り返ったティエラに、酷薄な笑みを見せつけるマリー。妹のリーナは、2人のやり取りをニヤニヤしながら観察している。


 明らかに無茶な命令だった。

 しかし、ティエラは反抗する気力がない。

 小声で「わかりました」と応えると、ゆっくりと荷台を停め、手足を覆っている土属性魔法を解除した。そしてのろのろとした足取りで歩き出す。後ろから「見て、あの歩き方。ほんと愚図ね」と姉妹の笑う声が聞こえてきた。


 ティエラは辺りを見渡し、とりあえずわずかでも水脈がありそうな窪地に向かった。疲労からふらつく身体を何とか支えつつ、苦労して岩の斜面を降りる。


 深さ2メートルほど。せり出した岩場が影となり、窪地の底に濃い影を作っている。

 水場はない。

 ただ、窪地に微かな湿気を感じたティエラは、祈るような気持ちで地面に両手を突いた。


 ここがハズレなら、姉妹に何を言われるかわからない。


(お願い……)


 ティエラは大きく深呼吸すると、自らの魔力を地面に向けて放出した。

 彼女の得意な土属性魔法。名前はない。地中を掘り返すだけという、地味な生活魔法だ。


 ティエラの魔力が、水を求めて深く、深く地面に潜り込んでいく。

 使っている魔法はごく一般的なものでも、ここまで深く地中へ浸透できる遣い手は少ない。それでも、ティエラは学園において日の目を見ることはなかった。この日陰の岩場のように。


 ティエラは次第に焦ってきた。いっこうに水源に行き当たらないのだ。


(お願い!)


 強く念じたそのとき、ティエラの魔力に反応があった。

 大きい。

 焦っていた彼女は、思わず『それ』を掘り返した。半径数メートルの地面がぼこりぼこりと隆起する。


 地下から震動。

 ティエラは息を呑んだ。心臓が早鐘を鳴らす。

 これは、水じゃない。別の何か――生き物。


 急いでその場から離れようとする。だが、隆起した地面に足を取られて転倒してしまった。


 直後。

 地中から『それ』が姿を現す。地面が下から突き破られ、大小の石つぶてが降り注ぐ。日陰に砂埃が混じり、視界がさらに悪くなる。


 石つぶてから身を守ろうと身体を丸めていたティエラ。その彼女に、日陰よりさらに濃い影が覆い被さる。


 地中から現れたモノ。

 それは巨大なワームであった。


 見たことがないほど大きいサイズのそれが、ティエラを見下ろす。相応に大きな口には大小の鋭い歯が並んでいた。威嚇するようにカタカタと音を立てている。


 間違いなく魔物だ。

 そして、魔物は怒っている。


 ティエラは急いで立ち上がる。しかし、逃げ道を塞ぐように巨大ワームの尻尾の部分が回り込んできた。


(は、速い……!)


 地面に転がる岩もろとも、尻尾でティエラを巻き込もうとする。

 あんなものに巻き付かれたら、潰されて確実に命を落としてしまう。

 行く手を阻まれた。逃げられない。


(だったら守らなきゃ。防がなきゃ)


 ぎゅっと目を閉じた。頭を抱えて丸くなる。焼け石に水とわかっていても、土属性魔法でガードする。


 直後、全身に衝撃。拘束されたのだとわかった。

 ギチギチ……と嫌な音がする。

 ティエラは泣き叫ぶ代わりに、魔力の放出に全力を傾けた。


(お願い、耐えて!)


 荒い息をつきながら、必死に足掻くティエラ。もう無我夢中だった。


 彼女は気付いていない。

 アロガーン姉妹に反抗する気力を失っても、なお生きようと足掻いている自分に、ティエラは気付いていない。


 その足掻きが、彼女に救いをもたらした。


 ふと、巨大ワームの動きがぴたりと止まる。そして拘束が緩み、ティエラは地面に投げ出される。


 恐る恐る、彼女は顔を上げる。


 ティエラの見ている前で、巨大ワームの頭部に赤い線が走る。それが斬撃の跡だとわかったときには、ワームの頭部は胴体から切り離されていた。


 直後、頭部と胴体は同時に炎に包まれ、一瞬にしてワームの巨体は消し炭と化す。炎も綺麗に消え去った。

 炎の力を込めた斬撃。こんな芸当、ティエラは初めて目にした。

 命の危機は、ひどくあっけなく取り払われたのだ。


 けれど、いったい誰が――?


「間に合ったな」


 男性の声がした。

 視線を向けると、1組の男女が窪地に降り立つところであった。

 男性の手には魔力で形成したらしい剣が握られている。刀身は赤熱したように真っ赤だ。時折、炎の残滓が陽炎のように揺らめく。


 あの武器が巨大ワームを倒したのだと直感する。


(助けられた……? あの人に……?)


 窮地を救ってくれた恩人を、ティエラは呆然と見つめる。

 日陰の中、赤く輝く刀身の光で男女の容貌が浮かび上がる。

 ティエラは息を呑んだ。同時に頬が赤らむ。


 ふたりとも若く、そしてとんでもない美男美女だったからだ。学園でも、これまでの人生でも、彼らのような美しい人たちを見たことがない。


 まるで魅了の魔法でもかけられたように視線が吸い寄せられ、離せない。

 ティエラは、助けてくれた礼も言えないまま、その場に座り込んでいた。


 ただ圧倒されただけではない。突然の闖入者ちんにゅうしゃに、底知れぬ恐ろしさも感じていたのだ。

 本能が訴える。


『この人たちには、きっと逆立ちしても敵わない』と。


(何者なのだろう)


 他人にこんな印象を持つのは初めての経験。

 憧れか。それとも恐怖か。

 ドキドキする心臓を持て余しながら、ティエラは2人を見つめ続けていた。



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