ここは魔王四天王のひとり、
つまり俺の領地と俺の居城だ。
「おのれ魔王め……!」
四天王である
それほどまでに、俺は憤っていた。
手には魔王から送られてきたペラ紙の通知が1枚。
「今後は給料どころか、支給物資すら止めるだと……!? 我が領地領民がどれほど困窮していると思っているのだ!」
「困るほどいないっしょ、ヴェルグさまー」
「それを言ってはいけない」
苦虫を噛み潰した顔で、部下にツッコミを入れる。
つまらなそうな表情で欠伸をするコイツは、オークジェネラル。近隣のオークどもを束ねる実力者――なのだが、ご覧の通りすこぶるやる気がない。
ちなみに、魔王からの通知を持ってきたのはコイツだ。「ヴェルグさまー、これ」とか言いながら紙を『ぺいっ』としてきた不心得者である。敬意の欠片も感じられない。
……いったいどうしてこうなった?
竜族最強の男、邪紅竜ヴェルグとして認められ、先代魔王陛下から四天王の地位と紅の大地を賜った俺。
すでに300年以上も前の話だ。
俺自身の年齢もすでに1000歳を超え、魔王軍の中では古参のひとりとなっている。ちなみにジジイではない。竜族の中じゃまだまだ働き盛りだ。
現魔王からは「じゃあおっさんだな」とバカにされた。ちくしょうめ。
俺が今の地位にいられるのは、先代の陛下から目を掛けて頂いたことと、もうひとつ。
魔王に有効とされる武器、『聖剣ルルスエクサ』を人間どもの手から守り続けているためだ。
ところが、代替わりした現在の魔王が、聖剣の脅威を無効化する魔法を開発。
「聖剣の警護役など、もはや無用の長物」とされ、俺はあからさまにハブられるようになったのだ。
今回の通知はトドメと言える。
まったく……先代の陛下なら、決してこのような
俺は先代に巨大な恩がある。
だが、現魔王にはこれっぽっちも恩を感じない。むしろ怒りしかない。
もう我慢の限界だ。
「こうなったら直接文句を言ってやる。おいオークジェネラル。ついてこい!」
「え? いやっす」
「お前……」
玉座から立ち上がった姿勢のまま、俺は愕然とした。邪紅竜形態ならもっと威厳はあっただろうが、今は青年期の人間に擬態している。300年戦っていた間に「これぞ」と見込んだ人間の男たちの特徴を真似ているから、人間基準でも見た目は良いはずだ。竜のまま下手に動いて城を壊したら直す金がない。
小太りのオークジェネラルは、どこからかしわくちゃの紙を取り出した。また『ぺいっ』とこちらに投げて寄越す。「コイツまたかよ」と思いながら紙を拾うと、そこには汚い字で『辞表』と書かれていた。
鼻をほじりながらクソオークは宣う。
「今日限りでここを辞めまーす。よろしくー」
「な、なんだと!? 何故だ。ここは先代から賜った由緒正しき土地だぞ!?」
「えー、だってぇ。金も食いもんもろくにないじゃないっすかぁ。それなのに乱暴な人間の相手ばっかりやらされるしぃ。もうカンベンっすわ」
「くっ。それは……」
悔しいが、コイツの言っていることは事実である。
紅の大地は、大昔は聖地と呼ばれるほど豊かな土地だったと聞く。聖剣が創られたのもその頃だ。しかし、今は見る影もないほど荒廃している。灰の空と岩ばかりの大地だ。
現魔王によって支給が諸々止まったせいで、確かに金も食糧も乏しい。
加えて。
聖剣を求めてやってくる人間どもは、腕に覚えのある奴か戦闘狂ばかり。どいつもこいつも俺の相手ではなかったが、奴らと激しい戦いを繰り広げる度に大地は
おかげで最近は、ほとんど俺が邪紅竜形態で出張って片付けている状況だ。
唸るだけで反論できない俺に、オークジェネラルは無情に言った。
「つーわけで、オレは抜けますんで。もっといい給料もらえて美味いモンも食える職場があるんすわ。じゃ、そーいうことで」
そのまま、オークジェネラルは謁見の間を去っていった。
広大なホールに
「金の切れ目が縁の切れ目、か。これで我が領内に残る部下はほとんどいなくなってしまった……」
がっくりと肩を落とし、呟く。
確かに魔族ともあろう者、金のない上司に付いていくことはない。
先代への忠義を貫く俺が、魔族の中でも異端なのは自覚している。
しかし……だからといって、この仕打ちはあんまりではなかろうか。
「……日課でもこなすか」
ため息をついた俺は、謁見の間から出た。とぼとぼと歩いて向かうのは、聖剣を安置している部屋だ。
丁寧に整理整頓された部屋の中央部に、石の台座に刺さった聖剣ルルスエクサがある。
いつもの通り、
この聖剣を磨いて手入れするのが、俺の日課となっていた。魔王四天王が何を律儀なことを、と思うかもしれない。これが結構、気分転換になって良い感じなのだ。
……俺に心労が絶えない証拠でもあるが。
部屋の隅に保管してあるバケツと魔鉱石、それに魔獣の革を持ってくる。
魔鉱石を手に取ると、俺は自分の魔力をほんの少し差し向けた。するとみるみるうちに魔鉱石が赤熱し、どろりと溶ける。火傷などしない。腐っても俺は邪紅竜なのだ。
もっとも、魔鉱石を溶かせるだけの魔法となると、人間なら遣い手はごくわずかだろう。このような細かな魔力操作も彼らにはまず無理だ。
伊達に俺は1000年以上生きていない。人間との実力差が縮まることはなかった。
下に置いたバケツの半分くらいになるまで作業を続け、魔獣の革をそれに浸す。その後、聖剣を丁寧に磨く。
こうすると魔鉱石に含まれた魔力が余さず吸収され、聖剣としての力を維持できるのだ。さらに魔獣の革はツヤを出すのに最適だ。
俺はこの作業を300年近く、欠かさず続けている。
やがて作業を終えた俺は、満足げに聖剣を見つめた。だが今日に限っては、すぐに気分が沈む。
先代から受けた恩義に報いるため、俺はこの地を見捨てるつもりは毛頭ない。
しかし、このままでは――。
「もう魔王に虐げられるのはうんざりだ。どうしたものか」
深いため息とともにそう呟いたときである。
突如、聖剣がまばゆい輝きを放ったのだ。この温かく清浄な光は、俺たち魔族と対極を成すもの。
「これはまさか、聖剣が持つ聖なる力!? どうして今ごろ――って、お、おい!!?」
俺は狼狽えた。
聖剣から溢れた輝きが、次々に俺の中に入り込んできたのだ。振り払っても振り払ってもまとわりついてくる。まるで尻尾を振ってじゃれてくる
「ええい、離れろ! 落ち着け!! ――おすわり!!」
いつぞや飼っていたフェンリルを思い出し、俺は思わずそう叫んだ。するとスーッと輝きが遠ざかる。聖なる力は聖剣の周りをぐるぐるぐるぐる周り始めた。叱られてしょんぼりしているように見えなくもない。
ぜーはー息を吐いていた俺は、次の瞬間、自分の身体に起こった異変に青ざめた。
「この体内に溢れる力の感触……まさか、聖剣の力を宿したのか!? 俺が!!?」
両手からうっすらと溢れる白い輝き。邪紅竜の俺の魔力と溶け合うように漂っている。
電撃に打たれたように思い出した。
聖剣の守護を言いつけられたとき、先代魔王陛下から聞かされたことだ。
『聖剣ルルスエクサは意志を持っている。自らが認めた主にのみ、聖剣の真の力を授けるという。その際は、光の奔流が起こる。ヴェルグよ。聖剣の輝きには常に注意を払うのだ』
「陛下が仰っていた現象と同じ。ルルスエクサが俺を選んだというのか?」
愕然と呟く。すると、聖剣はそれを肯定するようにゆっくりと瞬いた。えらく機嫌良さそうなのが
がっくりと両膝を突く。
「俺を勇者にしてどうすんだよ……! そりゃあ300年間お前の面倒を見てきたのは俺だけどさあ!」
――どうやら、知らない間に俺は聖剣からずいぶん気に入られていたらしい。
そんな俺が魔王に対して強い憤りを抱いているのを感じ取って、俺に聖剣の力を授けたのか。
「とにかく、何とかして誤魔化す方法を考えないと。魔王四天王の俺が聖剣の力を得たなんて知られたら、大変なことに――」
ばさばさばさっ!
床に書類が落ちる音がした。
俺は恐る恐る振り返る。
「ヴェルグ様。今、なんと?」
ひどく冷たい声がした。
そこにいたのは、上級魔族のサキュバス。
俺の元に唯一残っていた女性部下であるフィアだ。
彼女は、身内からさえ『クールで冷酷』と評される。
裏切り者はたとえ