終章、自殺志願島
東京は今も混乱している。次の総理大臣を決めなくてはならないが、散々揉めているらしい。
しばらくの間は自爆テロで亡くなった方の追悼でテレビやネットでも派手な音楽を流すことを自粛するように、また派手な色の服装なども控えるようにというお達しがあったが、渋谷の街では普通にピンク色のワンピースを着た若者や金髪の青年が歩いていたし、家の中ではどんな音楽を聞いていようが自由だ。
それが多様性であり、日本である。
秋風が吹く中、真心は花を持って石の階段を上っていた。見晴らしのいい高台に立てられた墓石には『三方咲苗、三方明日花』の文字が刻まれていた。
東京都庁にヘリコプターが突っ込もうとしていた、というニュースが報じられたが、そのヘリコプターは都庁にたどり着く前に、世田谷区近くの多摩川の上空で突然爆発した。
爆発した後、墜落したのが川の上だったので、犠牲者は搭乗していた四人のみで済んだ。これが住宅地の上だったら二次災害が発生していた。運転手が機転をきかせたのだろうと目撃者は語る。その目撃者は早朝に多摩川のほとりを散歩していたら、ヘリコプターが川に沿って飛んでいた。そして突然ホバリングを始めて、何か白いものが上空から落ちてきたという。ビラのことである。その人は何事かとヘリコプターをずっと眺めていたらやがて爆発したとのことだった。運転手は何かあった際に住民への危害を最小限に減らすために川に沿って飛んでいたのでは、と推測された。ドクターヘリなのに医師が乗っていなかったのは、咲苗が軽症だったからだ。いや、本当は看護師が一人で行くと言って医師を乗せなかったらしい。ヘリコプターの中で何が発生したのかはわからない。飛行機のようにブラックボックスがついている訳でもないが、おそらく搭乗していた看護師がテロリストで阻止した者がヘリコプターを自ら爆発させたのではないか。と報道されていた。
ばらまかれたビラには、都庁へ突っ込む予定時刻と日本の法律を非難する、過激な言葉が書かれていた。
そのヘリコプターに乗っていたのが三方親子だと知った時、真心は泣きたい気持ちになった。咲苗とも明日花とも親しかった訳ではない。でも……。
墓石の前で静かに手を合わせる。
日本の法律はそこまで大きくは変わらなかった。結局のところ、刑法の殺人罪が前より少し重くなっただけであった。あの島は封鎖されている。
犯罪は一時的に減ったが、また少しずつ増えてきたようだ。
真心は罪に問われなかった。もちろん今でも仙台を殺したことは彼女の心を痛めている。手榴弾を投げた右手が夜になると震える。
丘の上から人の姿が見えた。
「久しぶり」
真心が微笑むと石塚も微笑んだ。
「来てくれたんだね」
真心は今日、三方親子のお墓参りに行くというメッセージを石塚に送っていた。石塚も線香に火をつけて、手を合わせる。今の時代は墓石を持たない人の方が多い。樹木葬や海への散骨を望むもの、それ以外にも火葬をせずに遺体を冷凍保存するなんて人もいるし、宇宙に遺骨を飛ばす人もいる。
墓参りを終えた真心と石塚は駅から電車に乗った。
「本当に来てくれるの?」
答えを聞く前に電車のドアが閉まった。
「もう乗ったしな」
「日帰りじゃ無理かも」
「夜になったら宿を探そう」
秋田駅から新幹線に乗って新横浜で降りる。そこからタクシーで三十分。メーターが気になるが、今回だけは幾らかかっても行こうと決めていた。
桜の木は緑の葉がほんの少し霞んだ黄色になっていた。姉の唯は真心の家族の意向で樹木葬にて埋葬された。木の根本には『yui』とアルファベットで記された小さな立て札。
「お姉ちゃんは桜が好きだったの?」
石塚が問う。
「わかんない。でも好きだったんじゃないかな。花壇の手入れとか念入りにやっていたみたいだから、花が好きだったんだと思う」
赤とんぼが二人の間を飛んでいく。まだ暑い日もあるが、夕刻になると肌寒くなる。
「おじいちゃんのお墓はどこなの?」
「神戸だよ」
「遠いんだね……」
夕日が二人の影を長く伸ばした。
「行こうか」
真心の言葉に石塚が驚いた顔をする。
「夜になるよ」
「いいよ」
何人亡くなったのか。ふと真心はあの島に石塚が遺骨を埋めていたことを思い出した。
生ゴミを埋めた裏の森に、埋められた遺骨。彼らにも親族がいたのかもしれない。
「鷹……黒田さんがさ」
「うん」
「車椅子に乗って移動できるようになったって聞いた」
その話は東海道新幹線の車内で聞いた。
「よかった……」
「鰐さんと鮫さんは退院したって」
「よくそんな色々知っているね」
「薊さんが色々教えてくれたんだ」
石塚は元々の夢であった医師を目指すため、薊の元を訪れて「弟子にしてください」と頼んだそうだ。医者なのに弟子っていうのもおかしな話もするけれど、薊はすんなりと承諾したそうだ。
一方、水釘那央斗は死刑囚に戻って執行される日を待っている。その他囚人たちもただの死刑囚に戻った。死刑制度は存続されているが、国会は荒れているので今後どのような法律が定められるのかわからないが、どれだけ罪を重くしたって亡くした人は帰ってこない。
「腰の調子はどう?」
新幹線は次の駅が新神戸だ。
「まぁ多少痛むけどなんとかやってるよ」
「復職したんだよね?」
真心は元働いていた介護施設で再び働き始めた。腰への負担を減らすために重いものは持たないで忙しく動き回っている。
新幹線から降りると辺りは真っ暗だった。午後八時半、お腹がすいたので二人で駅構内のラーメン屋に入った。
すべては夢のようで夢ではない。真心の喉に小さく残った傷跡がそれを示している。
「オレさ、外科医になりたいんだ」
ラーメンの汁を飲み干した石塚がそう言った。
「外科医かぁ」
「手術を担当したい」
「すごいね」
石塚は島にいた時より少し凛々しくなったようだ。
夜十時のお墓は当然の如く誰もいなかった。まるで肝試しのような時間帯。昔ながらの墓石の並ぶ墓の一角に石塚の祖父の墓石があった。
仏花ではなく、秋らしいコスモスを大量に墓の前に置いた。
「じいちゃん家の庭はコスモス畑だったんだ」
空は真っ暗で新月のようだ。その代わりに星がたくさん見えた。
「亡くなった人間は星になるっていうよな」
石塚と一緒に空を見上げていると思わず、
「菫さんはどれだろう?」と尋ねてしまった。
石塚は一瞬驚いた顔をしたが、空を指さした。
「一番光ってそうだよな」
高松菫は亡くなった。自衛隊や海上保安庁により包囲された島から、職員も囚人も港につけられた船に乗り、すべて引き上げたが、総理だけは残ると言って聞かなかった。
足の火傷の治療も必要だからと自衛隊員が彼女を担架に乗せようとしたら、彼女は赤く腫れ上がった足のまま逃げていった。慌てて隊員が後を追ったが、彼女は海へと飛び込んだ。海抜二千メートルの海に。
暗く、深い果てしない海へ身を投げた彼女を、海上保安庁が慌てて捜索したが彼女はしばらく見つからなかった。
一週間後、まぐろ漁船が偶然遺体を発見した。
鷹、すなわち黒田にはその話はまだ誰も伝えていないようだ。
「いつか伝えないとな。いつまでも誤魔化せないって薊さんが頭を抱えていたよ」
鷹はショックを受けるだろう。
「菫さんはなんだかんだで黒田さんのことが大好きだったみたい。ってこれも薊さんが言ってたけどね。泣いてたよ、薊さん」
二人の眼下には煌々と広がる神戸の夜景が広がり、遠くに海らしきものが見えた。
また、真心の右手が震えだした。いつも夜が更けるとこうだ。震える右手を見つめていたら、その手を優しく握られた。
「大丈夫」
まるでおまじないのような言葉。
「ありがとう……」
空からたくさんの星たちが二人を見ていた。